ポール・ド・マン Paul de Man
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【近刊】9月下旬刊行予定:ポール・ド・マン『盲目と洞察』 ウラゲツ☆ブログ http://t.co/iloI4Htz
2012-09-04 18:05:17宮﨑裕助氏ご自身での訳なんですね!楽しみです。 RT @parages 【近刊】9月下旬刊行予定:ポール・ド・マン『盲目と洞察』 ウラゲツ☆ブログ http://t.co/b80qScmI
2012-09-04 18:10:54ありがとうございます!この仕事は本当に本当に大変でした苦笑 RT @honzuki_news: 宮﨑裕助氏ご自身での訳なんですね!楽しみです。RT @parages【近刊】9月下旬刊行予定:ポール・ド・マン『盲目と洞察』 ウラゲツ☆ブログ http://t.co/iloI4Htz
2012-09-04 18:16:00これはビッグニュース。ようやく、ようやく、1971年のド・マンの主著が日本語で読めるとのこと!(宮﨑裕助・木内久美子:訳) RT @parages 【近刊】9月下旬刊行予定:ポール・ド・マン『盲目と洞察』 ウラゲツ☆ブログ http://t.co/KhD3vYcQ
2012-09-04 19:09:57ド・マン『盲目と洞察』、訳者のご苦労がしのばれる。ところで「時間性の修辞学」などの重要論文を追加収録した1983年の改訂第二版をなぜ底本としなかったのか不思議に思っていたが、版元のブログ http://t.co/Ym2y15IB を見て納得。
2012-09-04 20:15:48ド・マン『読むことのアレゴリー』も近刊予定ということですが、こちらの翻訳は「本当に×3+大変」でありましょう。しかし日本でもついにド・マン・ルネサンスですね。いや、これまで盛り上がったことないので(ル)ネサンスか。標語は「ド・マンとともにR.ウィリアムズを」でしょう個人的には。
2012-09-04 20:42:10底本を1971年の初版にした理由については詳しくは「訳者あとがき」に記しましたが、版権処理上のやむを得ない問題がありました。第二版の重要論文「時間性の修辞学」とヘルダーリン論については『批評空間』に既訳があるので(邦訳を必要としている方は)さしあたりそちらを参看願えれば幸いです。
2012-09-04 22:19:18こちらです。ポール・ド・マン「時間性の修辞学」保坂嘉恵美訳、『批評空間』第1期・第1号、100-117頁/第2号、98-116頁/「ハイデガーによるヘルダーリン釈義」芳川泰久訳、『批評空間』第1期・第6号、152-169頁。
2012-09-04 22:20:58ただ、初版にしかなく、第二版では割愛されているところもあるので、その点では初版を訳した意義はあると思ってます。書物としてのまとまりも初版のほうがありますし。この、初版にしかない点が何なのかは、訳書が出てからのお楽しみ、ということでお許しを。
2012-09-04 22:27:38『時間性の修辞学』の影響を未だに受け続けている。今なお批評空間の功罪が語られる(「罪」とされる面もいくつでも挙げられる)が、ド・マンの翻訳は明らかに「功」だと断言したい。
2012-09-04 22:28:59.@parages 1990年代ですら「遅すぎる」と言われていたわけですが、良書・良論文の翻訳に遅すぎるということはないと思います。私はさらに極端に、「時節性が強すぎるため時期を逸すると古臭い」という発想すらときに邪魔だと思っています。訳者が適切に再文脈化を行うならば。
2012-09-04 22:39:55@yishioka それは激しく同意。『批評空間』にド・マンの訳が載ったのは学部生の頃だったけれど、あの段階で出会ってなければ、ここまで本気でド・マンを読もうとは思わなかったかもしれない。それに、僕らが駒場でやってたド・マン読書会もなかっただろうしね。
2012-09-04 22:36:35今度は、insight の訳語問題ですか。実際「盲目」に対して明暗の対比が際立つ「明察」という訳語も気に入っていたのですが、本文では訳し分けるのが難しく、まあ無難な訳語に統一したということです。これについても「訳者あとがき」に書いたので、ネタバレ気味なんですが。
2012-09-04 23:06:13ド・マンのハイデガー論はフランス語の方が圧倒的に読みやすい。というのは私の語学力の問題? "Les exegèses de Hölderlin par Martin Heidegger", in Critique n°11, Paris, 1955
2012-09-04 23:07:21.@zepkark 違うよー。そのヘルダーリン/ハイデガー論はド・マンがフランス語で書き下ろしたからです。単行本に載っているのは別の人の英訳ですね。ド・マンは少なくとも60年代までの段階ではフランス語論文のほうが断然読みやすい。ド・マンは本当はフランス語著作集が出るべきですね。
2012-09-04 23:18:29@parages やっぱりそうですか、良かった(笑)。あれは一応Buddeberg, Allemanの書評なんですよね。読んでいて少なくとも語学的な違和感を一切感じなかった記憶があります。フランス語著作集は若書きのものが中心となるでしょうから、政治的な問題が出てきてしまいますね。
2012-09-04 23:26:26.@zepkark 『盲目と洞察』の英語のほうは違和感を感じまくりです(苦笑)。『盲目と洞察』の原型の半分以上はフランス語で、自分で英訳していて非常に厄介な文章になっている。フランス語テクストは戦後渡米した後のものだけでかなりの量になります。ベルギー時代の若書きはまた別物ですね。
2012-09-04 23:35:16@parages ということはその「原型」を集めて訳すと『盲目と洞察』の「零版」が出来るわけですか。冗談はともかく、フランス語テクストは相当重要な原資料ですね。若書きのものは一応Wartime journalismとして書物になってはいますが…
2012-09-04 23:52:23@parages Diacriticsに依頼されて執筆した、まさしくWartime Journalism(およびハーマッハーら編Responses)の書評ですね。フランス語原文は公刊されていないようです。ナンシーがド・マンとほとんど接点がなかったという驚きの書き出しです。
2012-09-05 00:22:45今月下旬刊というニュースが入ったド・マン『盲目と洞察』(月曜社)でまず読みたいのが、5章「モーリス・ブランショの批評における非人称性」。カントやヘーゲルを扱った『美学イデオロギー』の諸論文とはまた違って、「批評の批評」というメタ批評家の顔が見れそうな予感!
2012-09-04 23:35:44『盲目と洞察』は原書刊行から40余年経ったけれど、ここまで遅れたのには版権上の問題に加え翻訳の困難さもあったのでしょうか。翻訳という点については『理論への抵抗』でベンヤミン「翻訳者の使命」についてド・マンが書いていたことが思い起こされます。「我々はガダマーよりもベンヤミンに近い」
2012-09-04 23:49:50@HAYASHI_twit ツイートありがとうございます! ド・マンの翻訳の困難さは、とにかく言語の狭間で思考しているという点にあると思います。ド・マンが論じるテクストは英仏独語、多岐にわたるので原文・既訳など、逐一追跡調査するだけでも非常に骨が折れましたね……
2012-09-05 11:50:49@parages 英仏独の言語の狭間に加え、哲学と文学の間の往還や、批評家についての批評という多層性もあり、きっと踏査領域が広いのでしょうね。共訳者の木内久美子さんのベケット論も今年読んだので、馴染みのある方々の訳で、本当に待望していた本が読めるのはうれしい限りです。
2012-09-05 23:30:53