山本七平botまとめ/【われらの内なる横井さん②】/神話を事実と信じ込ます「ヒトラーの原則」をどうやって見破るか?/~神話には無い、「生物としての人間」が抱く”生理的感覚”とは~
- yamamoto7hei
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26】当時は天皇の顔を見たなどといえば、それだけでその家族や友人、隣り近所では一大ニュースで「どんな人?」「どんな顔をしてた?」と聞かれるのである。天皇家が週刊誌に登場したのは戦後のことであって、戦前は文字通り「雲の上」である。
2012-09-30 18:57:4827】何しろ石坂洋次郎氏の『若い人』に、天皇にもわれわれ庶民と同様の生理現象ありやといった女学生の会話があり、それが当局の忌避にふれて削除されたといったような噂――あくまでも噂にすぎないが――があった時代だから、みな興味津々である。
2012-09-30 19:28:0428】たちまち家族一同から「どうだった」「どんな人」といった質問攻めにあった。それに対して私が、――多分返事が面倒だったからでもあろうが「白かったなあ!……ああ、あの小便の川!」と言ったというのである。確かにそれだけではなかった筈なのだが!
2012-09-30 19:57:4529】これが後々までタタリ、今でもタタっている。何かのときには必ず両親が「何しろあなたは『白かったぁ!』ですから、人前でお話しをするときは少し気をつけなさい」とか、「ナニ、交渉がうまくいかなかった?アレのことだ、大方いきなり『小便の川』とても言ったんだろう」ということになる。
2012-09-30 20:28:0430】…先日姉に会った処が「『文芸春秋』に連載してるんですってね、まさか『白かったあー」なんて書いてるんじゃないでしょうね」と釘をさされる始末である。「うちなる横井さん」の声に耳を傾けて、その時代の神話に適合するように語らないと、三十年後にもなおタタる一つの例証かも知れない。
2012-09-30 20:57:4631】だが簡単にいえば、この言葉は『紅衛兵の「裏切られた革命」』でケン・リン氏が語っていることの要約のようなものであって、その場にいて、それを体験した者に確実に残っている一種の「生理的感覚」なのである。
2012-09-30 21:28:0332】そしてこれが「人間という生物」が、その生物という枠の中でのみ生存していけるものであっても、神話の世界では実際には生存して行けないことを証拠立てているようなことなのである。観兵式も紅衛兵の閲兵も、「生物としての人間」が「神話」との接点にいる。
2012-09-30 21:57:4533】そしてこの接点における「生物としての人間」の神話への感覚的な反応の仕方が、紅衛兵も私もほぼ同じであること、これは私には、いろいろな意味で、実に強い感銘であった。ケン・リン氏を模して少し自分の言葉を解説すれば「白かった」とは天皇の顔のことである。
2012-09-30 22:28:0734】事実、白粉をつけているのではないかと思うほど白く感じた。これはおそらく錯覚であろう。というのは閲兵の時には天皇の後から、まるで金魚の糞のようにゾロゾロと、同じように馬に乗った「ベタ金」がつづくのである。侍従武官とか参謀本部員とかいう幕僚であろう。
2012-09-30 22:57:4735】「ベタ金」とは将官のことで、階級章に三本の金筋が入ると、地の赤が見えなくなって「ベタ金」になるからである。ところが軍人はみな日焼けして真っ黒である。これは普通に想像するよりはるかに黒い。
2012-09-30 23:28:0536】…野外演習が仕事だから、肌の色が、螢光灯下のサラリーマンとは全く違うのである。普の軍人ももちろん、これ以上黒くても白いことはなかった。従って天皇の顔は白くうき出る。…これが「白かったなあー」という言葉になったわけである。
2012-09-30 23:57:4537】次に「小便の川」だが、この問題に開する限り、紅衛兵のようなひどいことにはならなかった。閲兵されるものが立ったまま流すので、異状な臭気と暈気(?)に包まれるというような状態は、やはり「大陸的」であって「非日本的」なのかも知れぬ。
2012-10-01 00:27:5338】しかし「陸軍始」は一月八日の厳冬である。しかも順次に代々木練兵場に入るから、早い部隊は五時ごろ出発しているはずである。こうなると、やはりこの生理現象への対策は大問題にならざるを得ない。
2012-10-01 00:57:4439】紅衛兵はいわば、毛沢東の前で「立ちション」をしていたわけだが、帝国陸軍は陛下の御馬前でそういうことはできない。観兵式というのは連隊の全員が出て行くのでなく、各中隊ごとに、…一定の基準で人事係准尉が兵士を選抜して編成するのである。
2012-10-01 01:28:0140】その基準はいろいろあった。…身長その他も確かに考慮されたと思う。しかし何といっても、絶対的な条件は「小便が近くない」ことなのである。厳冬の代々木原頭で、寒風にさらされて八時間立っていても、身ぶるい一つ出ない人間、これが第一条件である。
2012-10-01 01:57:4241】…しかし一月八日は確かに寒い。従って連隊長以下全幹部が「生理現象」に神経質たらざるを得ない。代々木の付近…に練兵場入口があって、各部隊は順々にそこから入り、…整列したのである。この入口の傍に小さな共同便所があった。水洗なき時代だから、…汲取り式である。
2012-10-01 02:27:5142】各部隊はそこまで来ると必ず「小休止、小便をしてこい」ということになる。これから何時間かは、何しろどうにもならないから、全員がそこで用をたす。槽はたちまちあふれ、湯気を立てた小川となり、それが道路を斜めに横切って反対側の国鉄の土手下の溝に流れ込んでいた。
2012-10-01 02:57:4143】各部隊は皆その小川を渡り、渡ると同時に「水源」を補給し、…練兵場へ入っていく。砲車の轍も、…皆その「水分」の跡を道路に残していく。「小便の川」とは、…これを言ったわけである。そしてここを通過した者のうち、この湯気の立つ小川が印象に残らなかった者は、むしろ例外であろう。
2012-10-01 03:27:5544】以上はいわば極端な一例だが、人間は生物だから、その人間が体験した事実を記せば、それが私であろうと紅衛兵であろうと、必ず「生理的感覚」がどこかに付随して来るのである。だが、神話にはそれがない。またあったら神話にならない。
2012-10-01 03:57:4145】これだけは、神話を事実らしく書くものが、いかに忠実にヒトラーの原則を守っても、欠落してしまう点なのである。と同時にこれは、ある事が本当に自分の体験か、それとも神話がしのびこんで来て知らず知らずの内に体験と誤認しているのかを自ら判別する、最もよい「試験紙」だと私は思っている。
2012-10-01 04:27:55