20世紀ぐらいまでの食べ物の作り方

最近読んだ本とか今まで溜め込んだ知識で食べ物を作るってどういうことなのかな?と書いてみました。 書いていて疑問点や解釈に不備がありそうなところや資料の多重チェックしていないところが多いので 間違いも多々あるかと思います。 数年後には読み返してぎゃー!ぎゃー!と言えるぐらいになってるといいですね
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ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

これは新世界だぜひゃっはー!というので開墾しては肥料を上げずにばかすか作物を植えまくったのもさることながら、膨張し始めた人口に自然を利用した有機農法では徐々にその需要を満たせなくなってきたことの現れでもありました

2012-10-22 00:04:43
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

これらの収量の低下は連作により先ほど取り上げた肥料の3大要素である窒素・リン酸・カリウムの回復が生産に追いつかなくなったことが原因で、これを打開するにはこれらの栄養を大量に含んだ良質な肥料が必要でした

2012-10-22 00:09:14

鉱物肥料の発見と先駆者となったグアノ

ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

はてさてインカ帝国を築いたケチュア人達はファヌと呼ばれる海鳥のふんの堆積物を肥料として利用しあの険しい土地でも十分な食料の生産を行い、かれらはファヌを大事にしファヌが取れる珊瑚礁の島で海鳥の営巣を妨げたものは死刑になるほどだったそうです。

2012-10-22 00:16:25
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

その効き目はインカを征服したスペイン人達も驚いたが彼らはファヌには見向きもせず黄金を追い求め、ファヌ(英語ではグアノとよばれるようになる)は忘れられ原住民によってほそぼそと採掘が続けられる程度となったそうです。

2012-10-22 00:18:24
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

1802年ドイツ人の地理学者であり探検家だったアレクサンダー・フォン・フンボルトは一見不毛な土地で穀物が豊かに実っているのを発見し、グアノがこの土地で1000年以上使われているのを聞き出し、サンプルをフランスに送りグアノがヨーロッパに知られるようになります。

2012-10-22 00:21:38
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

グアノは窒素分の多いものとリン酸の多いものに別れ窒素質グアノはそのまま肥料にできる一方でリン酸質グアノは加工処理が必要となり、この加工処理が初期の大規模な化学工場と発展したようです。

2012-10-22 00:24:19
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

1838年イギリス リバプールにあったマイヤーズ商会にグアノのサンプルが送られ、これが世界的なグアノ取引が始まる直接のきっかけとなりペルーは外貨の9割をグアノで稼ぐように、アメリカでは青色吐息だったたばこ生産はグアノの登場により息を吹き返すことになる。

2012-10-22 00:31:07

グアノによって始まったアメリカの海外進出

ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

当時グアノの効き目はそれまでの肥料の数十倍と言われ、その需要は急激に伸びグアノ利権をめぐってグアノ採掘を狙うアメリカの商人とペルー政府、ベネズエラとの小競り合いが頻発するようになり

2012-10-22 00:36:15
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

アメリカでグアノ島法が制定され、他国政府の主権がなく他国民に専有されていない島、岩礁、サンゴ礁にグアノ鉱床を合衆国民が発見し、採掘する場合はそれらは合衆国に帰属する合衆国は発見者の権利を守るため必要な陸海軍の兵力を行使する権限などが明記されアメリカの海外進出の第一歩となる

2012-10-22 00:39:14
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

これによってアメリカが専有した島々は軍オタにはお馴染みのジョンストン島やミッドウェイとかなんかもあったりします。

2012-10-22 00:42:34
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

というわけで、限界を迎えていたそれまでの有機農法に変わって鉱物肥料、そして化学肥料の時代が幕を開ける事になるわけです。

2012-10-22 00:43:58

ドイツでの新しい鉱物の発見と肥料と戦争

ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

さて、また同じ頃産業革命で鉱山の開発が進み古来より岩塩が取られていたドイツのシュッタスフルトで新しいボーリング技術によって岩塩の採掘の途中、食用にならない塩が発見されこれはカイナイトと呼ばれるカリウム塩の発見でした。

2012-10-22 00:48:02
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

それまでカリウムは植物の灰から手に入れており森林が最大のカリウムの供給源で、当時硝石の製造にカリウムが必要だったため、大きな需要がありはじめは火薬の材料として使われていたがドイツでの発見により徐々に肥料として重用されるように変化していく

2012-10-22 00:51:12
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

余談ですが、カリウム塩発見以前のクリミヤ戦争ではチリ硝石とロシアから輸入したポタッシ(植物の灰)をまぜまぜして硝石を作ってロシアに売りつけ大儲けしたそうです。

2012-10-22 00:53:23

抜けてましたが大儲けしたのはドイツです

ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

カリウム塩の発見はそれまで森林を燃やして作った植物の灰からの依存からの脱却に成功し現在年間に使用されているカリウム塩は日本の4倍の面積の森を燃やして取れるカリウムの量に匹敵するそうです。

2012-10-22 00:57:49

つらつらと思ったことを

ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

疲れたので今日はこのぐらいに、あとは燐鉱石とチリ硝石とその枯渇の危機から生まれたハーバー・ボッシュ法、これらによって進んだ農業の省力化と都市生活の形成とファーストフードやら飲食産業の誕生とかまとめて終わりにしたいとです。

2012-10-22 01:02:57
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

ていうか19世紀はまるでイギリスのために用意されてかのような世紀ですよね、まず19世紀までに世界の交易路を確保しておいて19世紀が始まると農業革命で生産性が向上、さらに1840~60年ぐらいにはカリウム塩以外の鉱物資源の独占権を取得したりして大儲け

2012-10-22 01:07:59
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

さらにウェールズ炭という当時世界最高のエネルギーが豊富にあって、コークス炉の發明によって高品質の鉄鋼を大量に用意できて、鉄道網の整備とそれによる国内の大規模高速流通の完成、さらに冷蔵技術による生鮮食品の輸入成功とか全てが有機的に繋がってイギリスの反映を約束している感じですよ

2012-10-22 01:10:30
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

19世紀のイギリスの出来事はそれ一つ一つとっても大きな革命なのに、それがさらに相乗効果で倍率ドン!ですよねもう国士無双とか満貫ドラドラとかですよ

2012-10-22 01:14:29
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

\その後すごい勢いで転がり続けてるけどね!/

2012-10-22 01:15:42
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