0570[人物]和泉屋甚助。次に、出入りのかかりつけの医師に扶持米(ふちまい。現物支給の報酬)をやる代わりに、医師の家の入口に「太申内OO」という看板を掲げさせた。和泉屋お抱えの医師ということを宣伝させたわけだ。しかし、これもまたなんの効果もなし。
2012-10-28 06:54:240571[人物]和泉屋甚助。本への執着も続いていたようで、売れない戯作者を吉原へ連れて行って接待し、「江島大双紙太申夜話」(えのしまおおそうしたいしんやわ)なる作品を書かせた上に「太申著」として出版したが、売れなかった。「千字文」で懲りたはずだが、学習能力がないようだ。
2012-10-28 07:38:010572[人物]和泉屋甚助。ここまでやっても世間に全然名が知られないことに対し、さしもの和泉屋も疲れ、空しさを感じるようになった。大店(おおだな)の主人で金持ちであること、そこまでして有名になりたがるには、何か大きなことをするのではないかという期待から、彼の周囲には勝ち馬に乗ろ→
2012-10-28 09:13:19→うといったことからシンパ、信者がけっこう寄ってきていた。いくら和泉屋が失敗し、世間があざ笑い、あんな者の応援をするのはやめろ、と言われても、和泉屋さんは必ず大きななにかをやってくれるということでどこまでも支持していた。が、当のご本尊が意気消沈してしまった事で、動揺と不安が広が→
2012-10-28 09:16:120573[人物]和泉屋甚助。しかし、無情な世の中でも、なお残る者がたった1人だがいた。彼は言った。「和泉屋さん、あんた今まで有名になりたい一心でカネも労力も惜しまず使ってきたが、全然有名にならない。見ていてただただ気の毒だ」と、まずは慰めた。そして続けた。
2012-10-28 09:21:580574[人物]和泉屋甚助。「そこでだ、一つ提案がある。あんたがまだやったことのない、一文もかからず労力も要らないことだが、やってみるというならそれを伝授しよう」これを聞いた和泉屋は大喜び。いくらでも出すから教えてくれと膝を乗り出した。
2012-10-28 09:25:250575[人物]和泉屋甚助。「しからばその秘策とは、おまえさんの母御を殺すことだ。さすれば、和泉屋太申の名は母親殺しの極悪人として後世まで残ること請け合いだ」さすがの和泉屋もこれには青くなり、とんでもないと拒否した。
2012-10-28 09:28:560576[人物]和泉屋甚助。最後に忠告の意味をこめて提案をした友人も去り、和泉屋はすっかり財産を使い果たして身代を棒に振り、亀戸の裏店(うらだな=借家)に引きこもって廃人同様となり、孤独のまま亡くなった。
2012-10-28 09:32:480577[人物]和泉屋甚助。「太申ほどの売名漢ですら、自分の名よりは、親の方が大事と見える」このような評判とともに、和泉屋の名前はその後しばらく有名になった。死してようやく望みがかなった。軽蔑と嘲笑のマトではあったが。(終)
2012-10-28 09:36:08