「幕末、刀は銃に破れた」のか?

幕末もので、「刀で立ち向かった幕府側が、維新勢力側の銃に破れる」という話はよくありますが、 では実際のところ、刀が銃に破れたのは、本当に幕末になってからだったのか?という点について あれこれと書いたのをまとめてみました。結構色々話が飛んでるのはご容赦ください。 ■追記:幕末に剣術が隆盛した件については、もうちょい補足してもいいかなー、と思ったので、その辺追記してまとめました。 続きを読む
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神無月久音 @k_hisane

なんかもうボロウソ言われてますな。一応、 安政三年(1856)にこの講武所ができた時、その目的は「流派の垣根を越え、貧富を問わず武芸に励み、尚武の気風を取り戻そう」というものだったのですが、率直に言うと、その気概は明後日の方向に向いてたのでは、という気がしてなりませんな。

2012-11-02 01:20:40
神無月久音 @k_hisane

特に注視するべき点は、「その不便知れども、一時の私利を失わんことを憂いてここにこれを改むること能わず」ですかね。要するに、「刀じゃ銃に勝てないことくらい知ってるけど、でもウチがやってるのは剣術だから…ねぇ?」ということで砂。

2012-11-02 01:27:14
神無月久音 @k_hisane

代々剣術をやってたこと自体は、そもそも200年以上平和な時代が続いてたわけで、それに適応した武力として、剣術はジャストフィットしてただけに、それを責めるのはお門違いで砂。武芸者にしても生活があるわけですし。

2012-11-02 01:30:12
神無月久音 @k_hisane

例えば、入社して10年くらいずっと国内で開発やってた人に、「これからはグローバルな人材でなければ生き残れないので」と、インドでマネージャーやるべき、とか言っても、そりゃ無茶だろうと。ましてや武芸者の場合、子供の頃からやってる上に、武士としての面目だってあるわけですし喃。

2012-11-02 01:32:58
神無月久音 @k_hisane

実際、平和な時代においては、銃を使う余地なんてのは殆どなく、むしろ、日常帯刀している刀を使った剣術なら、何かあった時役に立つじゃないの、と思うのはそれほどおかしなことでもありませんしね。

2012-11-02 01:37:59
神無月久音 @k_hisane

しかし、とうとう銃が必要な時代が来てしまい、更に言えば、戦国当時ですら「銃相手は無理」と言われてたものよりも、数段性能が上のものが出回る有様で、この時点で剣術は選択肢として厳しいものになってしまったわけですよ。

2012-11-02 01:43:58
神無月久音 @k_hisane

でも、前述の通り、ずっと剣術やってただけに、頭で分かってても、変えるわけにはいかんかったわけですよ。そのことを実に的確に表した言葉があるので、以下紹介http://t.co/sc31lsc2

2012-11-02 01:47:49
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神無月久音 @k_hisane

ちなみに、さっきの勝海舟が書いたんじゃないかと思われる建白書ですが、文久二年(1862)って事は、男谷精一郎が亡くなる元治元年(1864)より前で砂。その時はまだ講武所奉行並兼師範役をやってた筈なので、これを従弟である海舟から見せられた時、精一郎はどんな気持ちになったんでしょうか

2012-11-02 01:54:36
神無月久音 @k_hisane

なお、精一郎達が講武所設立に際し、老中たちに提出した武芸稽古の心得の中には、ある一文があるのですが、この海舟の建白書と並べてみると、実に皮肉めいた因果を感じさせるものがあるので、紹介をば。

2012-11-02 01:58:53
神無月久音 @k_hisane

「一、槍剣とも形ばかりの流儀も数多これあり候えども、講武所に召し出され候ては試合仕るべし。もつとも是までの流儀など改め候には及ばず候様、御触れ渡しこれある様つかまつりたく(続く)

2012-11-02 02:01:27
神無月久音 @k_hisane

(続き)さてこれなく候ては、形ばかりの稽古盛んに相成り候様にては、却りて士気の衰えに相成るべし。寄って柳生流たりとも罷り出候様つかまつりたく存知奉り候」

2012-11-02 02:03:00
神無月久音 @k_hisane

「形稽古ばかりでは強くなれないので、講武所ではどの流派でも試合するべき。これは柳生流と言えども同じである」という話ですが、後に、剣術(槍や弓も含む)そのものが、銃に対して、そのような立場になってしまったというのは、まさに「因果は巡る糸車」とでも言うべきでしょうか喃。

2012-11-02 02:06:54
神無月久音 @k_hisane

結構長々と書いてしまいましたが、今回は結構参考にした本があるのでご紹介をば。【幕府歩兵隊―幕末を駆けぬけた兵士集団(野口武彦) 】http://t.co/87koqzlg 幕府歩兵隊についての解説本としては微妙かも、と言われてますが、講武所に関する参考資料として重宝しました

2012-11-02 02:33:17

「ではまとめを」「まとめ、そうねえ」

神無月久音 @k_hisane

昨日の話をまとめると、①まず、「刀では銃に勝てない」という認識は、戦国時代の時点で既に持たれており、「幕末、刀は銃に破れた」というのは、イメージ派生的な面が強い。戦国の時点で既に刀は銃に破れていたのである。

2012-11-02 22:36:24
神無月久音 @k_hisane

②しかし、島原の乱以後、日本では200年以上「銃が必要な状況(戦)」が発生しなかったため、剣術は戦闘技術としての価値を保つことが出来た。それに市中の争い程度であれば、刀も武器として十分通用したのである。

2012-11-02 22:36:55
神無月久音 @k_hisane

③で、その戦が近づきつつあった幕末期に「剣術」が流行ったのは、「(銃が必要な)戦にまではならないだろう」という空気があったため、従来の規制の範疇内で強さが求められたことによる。この辺は現代日本で個人が強さを求める場合、銃を入手するより、格闘技を習う方が妥当なのと同じ。

2012-11-02 22:38:29
神無月久音 @k_hisane

④なお、武芸者側も、実際の戦になれば、刀で銃に対抗するのが難しいことは承知していたが、自らの生活と面目のため、それを認めるわけにはいかなかった。習う側も、面倒の多い銃(に象徴される近代戦術)の修練ではなく、慣れた刀の方に流れた。

2012-11-02 22:39:13
神無月久音 @k_hisane

⑤その意味では、幕末の「実戦剣術」なるものは、時代の仇花のようなものといえる。時代が近代へ移るに際し、駆逐される旧時代の象徴としての「刀」を飾り立てた花である。尤も、この仇花に「暗殺の横行」という毒があったことも、駆逐される一因になったと言えなくもない。

2012-11-02 22:40:40
神無月久音 @k_hisane

ひとまずこんなとこですか喃。結論はほぼ①だけで終わってるようなもんですが。そのうちまたなんかあったら書きますかね。

2012-11-02 22:41:06

補足

神無月久音 @k_hisane

「幕末、なぜ剣術が流行ったのか?」という件については、もうちょい補足してもいいかなー、と思ったので、その辺追記してまとめました。【幕末、なぜ剣術が流行ったのか?】http://t.co/ttL4Z0c0

2012-11-03 22:48:56