戊辰戦争時のRMA。あるいは、官軍と幕軍の軍事技術の差について

地雷魚先生の語る戊辰戦争時の戦列歩兵vs散兵戦術のお話
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地雷魚 @Jiraygyo

非合理なものを受け入れなければならないほど日本の軍事知識が旧来のものになっていたわけで、ただ幕府にとって運が悪かったのは西欧の戦術と火器転換期にあったことと、その成果がよりによって薩長に渡ってしまったことでありますよな。

2012-11-04 11:23:17
地雷魚 @Jiraygyo

四カ国戦争で陸戦に敗れたのが大ショックだったようですね RT @combatmedic:アヘン戦争で危機感を感じた幕府が西洋式を導入した経緯を見ると、オランダ・イギリス・フランスとなっていて、散兵の概念も伝わっては居るようですね。 とすると長州が導入したのも同じだったのかも?

2012-11-04 11:25:02
地雷魚 @Jiraygyo

正直、高野長英の時代では、家柄もない彼の考えをドクトリン化するような舵を幕府は取れなかったでしょうね。 RT @hanasakimasanao: @Jiraygyo 高野長英が生きとったら…

2012-11-04 11:26:08
地雷魚 @Jiraygyo

まあ、日本人にとっては「戦列歩兵」がメジャーな戦術であった時期がほとんどなかったのは『ラッキー!』というべきでありましょうな。「どこか非合理だと思いつつも西欧銃陣だから、と戦列歩兵で両軍戦う戊辰戦争」なんてあって、そして多分幕府は勝って「やっぱり戦列歩兵は強い」ってなり……

2012-11-04 11:28:59
地雷魚 @Jiraygyo

「叛意のある諸藩を鎮圧した幕府の御用戦術『西洋銃陣 戦列歩兵』」とし、その後、西洋諸国の脅威が現実のものとなって、それに対抗するために戦列歩兵で西欧の散兵と戦って悲惨なまでに犠牲を増やす日本人とか、もう悪夢です(笑)

2012-11-04 11:31:10