2012-11-13 上山・酒井問答(再)

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上山和樹 @ueyamakzk

(その病院を専門に研究する先生方に対し、私が引きこもり問題の事情を説明すると、やはりその内在的な関係に驚かれたりしました) @contractio

2012-11-13 17:57:06
上山和樹 @ueyamakzk

ですのでここの解釈を私が誤解しているなら、あとはぜんぶ誤解かもしれないです。80年代以降に見られたような――私がヒントを得られなかったような――議論を反復する気は、ありません。 @contractio

2012-11-13 18:01:42
上山和樹 @ueyamakzk

そのガタリのいた精神科病院(ラボルド病院)は、どうやら原理的な基本部分を提供しているはずなんですが、日本側の「20世紀フランス思想の紹介」においては、(少なくともこれまでは)ほぼ完全に黙殺されています。 @contractio

2012-11-13 18:03:09
上山和樹 @ueyamakzk

たとえば「ドゥルーズ=ガタリ」と言っても論じられるのはドゥルーズばかりだし、ガタリが取り上げられるときも、ネグリ等との「極左的活動」ばかりが取り沙汰されて、精神科病院でどういう趣旨があったか、その詳細なディテールは、ほとんど誰も論じなかった。 @contractio

2012-11-13 18:04:19
上山和樹 @ueyamakzk

私が興味をもつのはその、出発点の病院事業であり、そこから受け取った《モチーフ》なんですね。それが先ほどの、「だらしない日常に、細やかな気づきと分析が生きられる」 「雑談にすら潜んでいる暗黙の思想を、制度として分析しなければ」――といった話です。 @contractio

2012-11-13 18:09:08
上山和樹 @ueyamakzk

繰り返しますが、これは日本の「20世紀フランス思想の紹介」において、ほぼ完全に無視されてきた文脈であり、モチーフなので、「そうしたものを これまで提供してきた実績があるとは聞いたことがない」 とおっしゃるのは、まさにその通りです。 @contractio

2012-11-13 18:10:02
上山和樹 @ueyamakzk

さてそこで、次のご指摘は決定的です。 @contractio

2012-11-13 18:12:54
上山和樹 @ueyamakzk

RT @contractio 「そこで-どういう人たちが-何をしているのか・どういう人たちに-何が起きているのか」を分析することは、一般に、自分に近いことであればあるほど難しいわけで、そういうものを扱おうとするなら、すごく高い分析能力が必要だろうと思う。

2012-11-13 18:13:44
上山和樹 @ueyamakzk

私は先ほど、「おばちゃん的」という言い方で、生活に密着するような細やかな分析を論じたのですが、たしかにそうした分析は、《自分に近いことであればあるほど難しいわけで、そういうものを扱おうとするなら、すごく高い分析能力が必要だろう》。 @contractio

2012-11-13 18:25:25
上山和樹 @ueyamakzk

さらに言うなら、かりにそれぞれが「自分が必要だと思う分析」を出せたとしても、お互いの意見調整や意思決定は、どうするのか。それぞれで分析の優先順位がちがうし、揉め事だらけです。(実際にそうなってますw) @contractio

2012-11-13 18:28:27
縮限 @contractio

このあたりは、以前紹介していただいた共著に関係するところですね。 RT @ueyamakzk: 私が興味をもつのはその、出発点の病院事業であり、そこから受け取った《モチーフ》なんですね。…

2012-11-13 18:18:24
上山和樹 @ueyamakzk

以前にやり取りをご一緒させていただいた共著書籍については、公刊時点でそういう疑念をエントリしています。 http://t.co/g8G9xz40  @contractio

2012-11-13 18:29:20
縮限 @contractio

ちなみに─後続する質問に関係するので確認して置きたいんですが─、こうした↓ことを言う時の主題の中心は、 RT @ueyamakzk: …「だらしない日常に、細やかな気づきと分析が生きられる」 「雑談にすら潜んでいる暗黙の思想を、制度として分析しなければ」――といった話です。…

2012-11-13 18:21:58
縮限 @contractio

@ueyamakzk 引き続き「引きこもり」である、と理解しておいてよいでしょうか。(上山さんの呼びかけ先がどの辺りなのか、ということが気になっています。)

2012-11-13 18:23:07
上山和樹 @ueyamakzk

うーん… 分析がどうこうというときの、《主題の中心》こそが焦点ですよね。それが馬鹿げていたり、すれ違ったりすると、話も合わないし、お互いに評価もできない。 @contractio

2012-11-13 18:36:31
上山和樹 @ueyamakzk

まさにその、《主題をめぐる設計図》こそが、焦点なのです。▼ある話を論じ始めてしまった瞬間に、その議論は、すでに自分のディシプリンを生き始めていますよね。 @contractio

2012-11-13 18:42:46
上山和樹 @ueyamakzk

そうすると、その議論じしんとしては「まだ答えは出ていない」かもしれないけれど、努力を始めている時点で、すでにその《努力の設計図》は描き終わった後なので、答え以前に、「どういう努力が続いてしまうか」は、すでに決まっているわけです。 @contractio

2012-11-13 18:43:23
縮限 @contractio

@ueyamakzk そうですね。 私が いろいろ気になっている^_^ 事のうち、上山さんは、 1)何について、 2)誰に対して、 話している[・呼びかけている]のか ……というのは、その筆頭に位置します。

2012-11-13 18:47:55
上山和樹 @ueyamakzk

強迫や常同思考と言わなくても、あるいは本人が苦痛を感じておらず、得意げであっても、《同じパターンの処理を繰り返してしまう》、そのことが、問題のある環境や、誰かの苦痛の共犯者になっている――そういうことを問題にしたいのです。 @contractio

2012-11-13 18:53:30
上山和樹 @ueyamakzk

なるほど。とりあえず直接には、(1)私たちが日常的に反復している努力の方針そのものについて、(2)ご家族や支援者など、周辺に関わる皆さんに、でしょうか。 @contractio

2012-11-13 18:58:15
上山和樹 @ueyamakzk

とはいえいずれも、いろんなお立場のかかわる集団的なことなので、たとえば学者さんやメディア関係者、政策決定者ほか、「無関係な人はいないはず」とも、思っています。(こういう言い方をしてしまうと、揉めやすいのですけれど…) @contractio

2012-11-13 19:00:01
上山和樹 @ueyamakzk

たとえば患者さんは、「専門家言説」を勉強して、詳しかったりします。ところがその専門家言説がそのまま、臨床像の悪化に加担している場合がある。――そういう事情に気づくには、「反復されている努力のありかた」にまで、分析が及ぶ必要があります。 @contractio

2012-11-13 19:04:52
上山和樹 @ueyamakzk

あるいは「○○学」と名前がついていなくても、閉じこもってカチカチの意識は、周囲を巻き込みながら、同じ枠組みでグルグル回っています。(繰り返しますが、あんがい専門家や社会制度も、そこにフレームとして加担しています) @contractio

2012-11-13 19:10:41
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