2012-11-13 上山・酒井問答(再)

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上山和樹 @ueyamakzk

これは「学問的に分析して、論文にする」というより、気づいた時点で介入して、目の前でいろいろ工夫して、解きほぐすというような作業になります。(そしてまた、そういう必要に気づいた時点で、すでに変化は起きている。) @contractio

2012-11-13 19:16:33
縮限 @contractio

@ueyamakzk いちおうイメージはつかめたと思います。 さっき言っていた「揉め事」のようなものも、「家族や支援者を中心とする・いろんな仕方で 引きこもりに関わる人たちの間で起こる事」を指している、ということですね。

2012-11-13 19:18:45
上山和樹 @ueyamakzk

ええ。ひきこもりに限りませんが、こうしたテーマを共有しているはずのスタッフの皆さんのあいだでも、なかなか意見の一致を見ないというか。それぞれが「必要な分析」を口にするのですが、いちいち実験で確証するわけでもないですし… @contractio

2012-11-13 19:24:15
上山和樹 @ueyamakzk

論文にするにしても、ディシプリンとの関係が難しいです。お互いの関係や意識の変化は、むしろ「なかったこと」にするべきなのかどうか。その具体的な関係性のうごきと、「研究」との関係はどうなのか。 @contractio

2012-11-13 19:26:45
上山和樹 @ueyamakzk

せんじつ北海道であった日本社会学会で、ひきこもりを研究されているかたが、調査倫理について扱われたそうで、それも注目しています。http://t.co/kyf8g4hB @contractio

2012-11-13 19:32:08
リンク t.co 日本社会学会 日本社会学会(The Japan Sociological Society)は、社会学の研究を促進しその発展普及を図ることを目的とする全国的な研究者組織である。現在3600名をこえる会員を擁し、学会大会の開催や機関誌の発行などの学会活動をおこなっている。
上山和樹 @ueyamakzk

ひきこもりの場合、まさに関係性の困難が中心テーマになりますが、にもかかわらず研究協力が成り立つというのは、そもそも何をやっているのか。その信頼関係は、たんに自明視はできませんが、かといって、《加害-被害》で一方的に語るようなことなのか。 @contractio

2012-11-13 19:34:31
上山和樹 @ueyamakzk

(学者は学者で、アカデミック・サークルに属すための、葛藤の縛りがあるはずです。そっちも同時に扱わないと、問題の構造を扱ったことには、ならないと思うのですね。) @contractio

2012-11-13 19:36:10
縮限 @contractio

@ueyamakzk 支援を中心とした話しであれば1)当該関係者内での振り返りがあり、可能な場合は、そうした経験や知見を2)関連団体が相互に参考にしあう、というふうな順序になりそうな気がするのですが。「研究」や「思想」は どの辺りに関係して来るのでしょうかね(反語ではありません)

2012-11-13 19:38:34
縮限 @contractio

@ueyamakzk ガタリの話も、 1)ガタリが取り組んでいた病院運営の改革が、自分の支援活動にも参考になるかも。 2)ガタリがその後出版した著作が、そうした病院運営の経験と無関係であるはずはないよね。 …という順序で提示されれば(私にとっては)不思議なところはなにもないです。

2012-11-13 19:42:11
縮限 @contractio

@ueyamakzk ただ──ちょっと話をかえてしまうかもしれませんが──その場合には、「参考になるもの」は他にないの?ということが気になりますが 。まぁそれはさておき。

2012-11-13 19:43:42
縮限 @contractio

@ueyamakzk 他のグループの取り組みがベタに直接に自分のところでも流用できる、ということは普通ないので、なんらかの意味では抽象性を経由することが必要になるようには思います。もしも「思想」という言葉が、その場所に登場するものであるのなら、それは私にも理解できるのですが。

2012-11-13 19:46:05
縮限 @contractio

@ueyamakzk そういうことでもないんですかね。

2012-11-13 19:46:22
上山和樹 @ueyamakzk

ありがとうございます。私は今はそういうスタンスですが、そもそも「ガタリ」に興味があるのに、こういう順番で興味をもっていること自体、レアケースのようです。 @contractio

2012-11-13 19:49:00
上山和樹 @ueyamakzk

ある信仰を持つ社会学者のおこなった、宗教に関する参与観察で、調査対象者が、その学者の宗派に変わってしまったことがあるそうです。 http://t.co/S8tRaTmN その場合、この参与観察は、失敗なのだそうですね。影響を与えてしまったので。 @contractio

2012-11-13 19:40:51
リンク Freezing Point 党派性の分析――現実の集団的構築 カトリックの信仰者であり、宗教学者でもあるという渡辺学氏の論考 「過程としての回心」 に付された注23..
縮限 @contractio

[sociology]「ここに古典的な意味での客観性は存在しない」なる文の意味が分からぬ。 / “党派性の分析――現実の集団的構築 - Freezing Point” http://t.co/qv2fNTe4

2012-11-14 01:50:51
上山和樹 @ueyamakzk

おっしゃるとおりだと思います。そして、その「研究」とか「思想」として何をどう扱うべきなのか、ということそのものが、そのつどその場で、スタッフ・ミーティングの主題になるのだと思います。 @contractio

2012-11-13 19:44:41
上山和樹 @ueyamakzk

そこで、「俺は○○理論を知ってる」と、権威者を出して終わらせることができなくて、「じゃあなんでその話をするのか」とか、「わざわざここで経済の話をする必要があるの?」とか。そこでも、分析の方針やテーマ設定をめぐって、常にバトルになります。 @contractio

2012-11-13 19:45:27
縮限 @contractio

@ueyamakzk それは悪夢のようなミーティングですねw

2012-11-13 19:47:30
縮限 @contractio

@ueyamakzk 普通は、個々の局面で具体的に取り組まないといけない課題が(たくさん)あって、それが議論の限界を確定するようにアジェンダセッティングするものではないのですかね。

2012-11-13 19:49:39
上山和樹 @ueyamakzk

ええと、これは 《その場で生きられている思想》 という意味でしょうか。 QT @contractio もしも「思想」という言葉が、その場所に登場するものであるのなら、それは私にも理解できるのですが。

2012-11-13 19:51:07
上山和樹 @ueyamakzk

というのも、以前に少しだけ読んだときに、http://t.co/5YpeSqTA 「文化的判断力喪失者 cultural/judgemental dope」 という話が、まさに私が問いたいような話だったので。 @contractio

2012-11-13 19:55:19
リンク Freezing Point 社会性こそがルーチン化している 社会学を専門にされる関水徹平氏の論文を幾つか拝読。 なかでも論考 《「社会性」概念の再検討》 は、直接..
縮限 @contractio

@ueyamakzk わかりません^_^ わたしは そういう言葉は使わないので。

2012-11-13 19:52:56