ミステリにおける論理の様相・序
@mr_konn 確かに駆は犯行方法・証拠を論理的に限定していくけれど、その限定方法には複数のルートが考えられること、そして新たに発見される証拠によって覆されることを否定もしない。にもかかわらず、ある一定のタイミングで、彼は犯人を確信を持って指摘する。その根拠が本質直観なのです。
2010-08-13 01:32:58そして、本質直観に科学的・論理的根拠はない!だから駆シリーズを古典的なミステリとして読むのは、その本質直観に重点を置いた場合、とてもアンチミステリ的な読み方を可能にするのです(ってことはいつか書く予定のネタ)。
2010-08-13 01:35:00.@tsuruba つまり、笠井潔が「後期クィーン的問題」に対する回答として選択したのが『本質直観』で、これはつまり「矢吹駆の云ったことが真実」と云う公理と同値だと僕は考えています。
2010-08-13 01:39:11@mr_konn おー「『矢吹駆の云ったことが真実』と云う公理」というのは面白い観点ですが、普通これを公理で、一般の論理の範疇にいれると、ミステリが成り立たないのではないかと個人的には思ったりするのですが(また他のミステリがこういった観点を隠蔽していることはありますけれども)。
2010-08-13 01:45:48つまり、矢吹シリーズで採用されている体系は、『手掛かりと矛盾せずに事件を上手く説明する事が出来、その推理がカケルの口から発せられたものであればそれが真相である』と云う公理を本格世界につけたしたものに過ぎない。そしてそれは旧来の探偵小説の暗黙の了解を成文化したものなのではないか
2010-08-13 01:48:17@mr_konn それを「つけたし」とするか、「論理の非論理化」と見るかに見解の差がありますが、方向性は大変示唆に富んでいて楽しいです。「旧来の探偵小説の暗黙の了解を成文化したもの」という指摘には賛同します。
2010-08-13 01:50:55まあ、僕もさっきの駆の推理の仕組みはつきつめると、メルカトル鮎になり、その先には九十九十九がいるのはよく理解していたりします。この問題と読者参加型のミステリのフェアプレイ(読者への挑戦状)との関連を考えたりするのですが、もう、ダメ、じ、時間が……
2010-08-13 02:01:10いかん、この議論は続けると、例のアレにつながるので(僕はつながると思っている、例のあれと新本格とは双子の関係だとすら思っている。言葉の使い方はまあいろいろあるけれども)、このあたりでやめて寝る準備をしよう。
2010-08-13 01:37:56本格ミステリは様相論理を採用している、という点までは以前書いた憶えがあるけれどもう一歩踏み込めば、本格ミステリは認識論理を採用していると言えると思う。義務論理(やその他の様相論理)を採用したミステリというのはあるのだろうか。
2010-08-13 01:48:06ミステリに非古典論理を適用する……と考えてみる。直観論理や多値論理は隠然と採用されているような気がするなあ。そもそも蓋然性を含んだ推理なら排中律を適用してもほとんど意味がないし。
2010-08-13 01:40:37矢吹駆も九十九十九も特定の命題に対して真偽値を直接返す存在(計算科学で言うオラクル)なだけで、論理そのものは特殊でも何でもないと思うのだよね。
2010-08-13 01:52:18ミステリはよほど厳密で無い限り、いかにして証拠から帰納的に説得力のある「Aは犯人たりうる」という言説を導き出すか、と云う文学であると思っていて、その数ある別解の内で正解を保障するのが『本質直観』であり『銘探偵』であり『九十九十九』
2010-08-13 02:01:47義務論理よりも二項義務論理の方が妥当というのはたしかにその通りかも。むしろベイズ推定に基づいた探偵がいないことの方が不思議だ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%8B%99%E8%AB%96%E7%90%86
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