赤穂浪士の現代的価値観での批判は、福沢諭吉が「学問のすすめ」で明快にやっているんですね。昔はこれが義だったが、これからはそうではないという例として。「47人も命を捨てるものがいるなら、勝手に吉良を殺すのではなく、公に訴え出るのが義である。ひとり殺されてもまた一人と訴え出ればいい」
2012-12-28 00:30:07事件の数年後にも、あの当時の法治主義の先駆者荻生徂徠が、「大石は何年かかっても請願に徹するべきだった。本当の義人は、主人の放免を勝ち取るために根気強く請願を続けた下僕の話であって、赤穂浪士は義ではない」と論じていたのですけど、当時はものすごく受けが悪かった
2012-12-28 00:33:04「法」の他に「面目」って価値観があって、そっちの方が規範として力が強かったわけですし喃。法に従わなかったが、面子は立てた、とする方が武士らしいと言われてたわけですし、そりゃ受けませんよね。 @ut_ken 当時はものすごく受けが悪かった
2012-12-28 00:37:56実際、長崎喧嘩だと、潰れた面子を取り戻すために、速攻で討ち入りにかかって、面子を戻せたと判断したところで討ち入った連中は切腹してますし喃。で、法による処断は処断でするけど、「流石は鍋島家中の者よ」とか言って誉める幕府老中。
2012-12-28 00:41:57註
アルデバランの 夢の星:かぶき者 意地っ張りには 度し難し/話し合う 気持ちの足りぬ かぶき者 - livedoor Blog(ブログ) http://t.co/M8OGkQye @arudebaran60yさんから
2012-12-30 07:44:01赤穂事件参考 『江戸時代を“探検”する』山本 博文 忠臣蔵と「かぶき者」 http://t.co/LU1KRlMg 「長崎喧嘩」の波紋 -武士の意識と町人の意識 http://t.co/teNB6PFU 浅草同盟の深層 下級武士の家柄意識 http://t.co/p1VlgEgR
2012-12-30 07:50:32ここまで来るのに幕府成立から百年以上掛かってるわけですし喃。戦国時代がどれだけ世紀末だったかわかるというものです。 @minamofuduki そもそも論として「明文化された刑法が公事方御定書登場までなかった」
2012-12-28 00:49:22特に堀部安兵衛なんて、武勇を見込まれて雇われた上にその条件も、最初は「堀部家の養子を望まれているが、自分の中山家の再興をしたいので受け入れられない」と断ったのを、「家は中山家でいいので、堀部家を継いで欲しい」という破格の物で、浅野内匠頭 にもそれが承認された @Jiraygyo
2012-12-28 00:49:59やる夫スレの形で書いた、事件直後から明治初期にいたるまでの赤穂浪士の各種是非論 http://t.co/C3p3Tv43 @tsukasafumio @dragoner_JP
2012-12-28 01:26:32