「富国強兵の遺産」要約 第二章―2
日本の技術と安全保証に関する考えの大筋、そこから導きだされる戦略は、欧米の戦略思想および実践方法と相容れないものではない。シュンぺーターもリストも欧米人であったし、アメリカの保護主義と産業育成政策は第二次世界大戦後に世界の覇権を確立するまで広く支持されてきた。
2012-12-17 23:20:54第二次世界大戦後のヨーロッパ、例えばイギリスについては「国内の企業から兵器を調達すること、総合的な防衛技術の基盤を維持すること、イギリスを代表する大企業を支援すること、必要とあらば生産手段を国有化すること」などが「普通のこと」として考えられていた。
2012-12-17 23:21:15戦後フランスでは、ドゴールが同盟国との共同開発を避け、国内の研究所とメーカーの育成に力をいれた。フランスも日本と同様ライセンス生産を通じて技術を習得する戦略をとり、アメリカの技術に依存していた航空機産業を独り立ちさせようとした。そのモットーは「より高く跳ぶために後退する」だった。
2012-12-17 23:21:56また、西ドイツのフランツ・シュトラウス元国防相は「わが国は系統だてて産業育成を進めてきた。最初はアメリカの航空機メンテナンスと組み立て、ライセンス生産から始め、必要なエンジニアリング能力を蓄積し、科学技術の潜在能力を高めて、ついに自前の航空機産業を持つに至った」と回想する。
2012-12-17 23:22:11民間技術と防衛技術の相互浸透は、日本に特有のことではない。製品や生産プロセス、大量生産技術は非常に素早く普及してきた。十六世紀には「何か新機軸が発明されると、それは驚くべき速さで宮廷から宮廷へ、工房から工房へ、軍隊から軍隊へ伝わった」という。
2012-12-17 23:23:23当初火薬は軍事的につくられたわけではなかったが、軍事用の火薬工業は近代科学工業の先導役となった。また軍事地図は著しく地図作成技術を進歩させたが、その技術は民間の地図作成技術と独立して発達したわけではなかった。
2012-12-17 23:24:20軍事技術の応用は民生品の開発に大きな影響を及ぼしたが、軍用品が最初から一貫して、しかも定常的に軍用品メーカーの手でつくられたという証拠はない。軍用品が効率化を目指しているからと言って、民生品より精巧であると考える理由もない。現に主な技術革新は民間の活動から生まれてきた。
2012-12-17 23:24:43アメリカ連邦政府がアメリカの技術力の育成に大きな影響力を及ぼしたことは異論の余地はない。例えば化学産業では、一九四〇年のデュポン社のように、連邦政府が企業に直接資金を提供して新技術を開発させた場合もあるし、政府が共同開発プロジェクトを設けてポリマーの新製法を普及させた例もある。
2012-12-17 23:26:23ジョン・ケンリー・スミスは「大戦中、連邦政府は技術革新の阻害要因を除去した。政府が平和時にこうした政策をとっていたら、産業政策の実施において見事な成果を納めたであろう。その産業政策とは、まさに戦後の日本が国内の基幹産業を育成するために利用してきた政策なのだ」と語る。
2012-12-17 23:27:20近年になってアメリカでも多くの軍需産業が民生品市場に進出するようになった。国防総省と取引のない企業に比べて、軍需産業の企業はより近代化され、効率もよく生産性も高く、人的資源のマネジメントや他企業との協調と言う点でも想像性に富んでいる。
2012-12-17 23:27:43アメリカの政策が、日本人の考え方や行動を律してきた技術・安全保証上のイデオロギーと一致すると考えてはならない。類似性がある航空宇宙産業とマイクロエレクトロニクス産業の歴史を振り返り、日米の差を明らかにしてみよう。
2012-12-17 23:27:54航空宇宙産業に対する政府からの資金援助は、航空機が発明された直後から始まった。研究成果を集め、広範囲にわたるクロスライセンス生産を推進したnacaの政策は、アメリカ航空宇宙政策のなかでも最も「日本的な」政策だと言える。この政策は、技術の育成と普及という明確な目的を持っていた。
2012-12-17 23:28:13NACAがNASAになった後、NASAの研究機関の風洞やテスト施設を共同利用することでコストの軽減が計られた。アメリカ国内で開発される全ての民間航空機の設計とテストに、こうした共同利用施設は利用可能であった。
2012-12-17 23:28:38しかし、米議会技術評価局は「防衛関係のビジネスで生まれる利益は、競争を促して民間向けのビジネスの活性化に重点を置いた場合の利益よりもはるかにすくない」という結論を出した。この認識は日本とは対象的だ。日本は国内産業の育成の最終目的が民間向けか軍事向けかを問われたりはしなかった。
2012-12-17 23:29:19国防総省の航空宇宙予算の多くはプライムコンダクターである企業に支払われているが、こうした企業は民間向けにはあまり活動しておらず、その結果下請け企業には民間軍事どちらにも使える製品がかなりあったにも関わらず、民生経済と軍事経済の距離はアメリカでは拡大し、日本では狭まった。
2012-12-17 23:29:25そして一九七五年、アメリカと日本の考え方の差を象徴するような出来事が起きた。米法務省が、日本流のやり方に最もよく似たNASAの共同研究計画を、反トラスト法に違反するという理由で中止したのであった。
2012-12-17 23:29:53議会と連邦政府、そして国防総省は、アメリカ産業の技術力が急速に衰え、軍事システムと国防体制を支えるサブシステムを設計できなくなっており、また軍事から民生へ転用可能なスピンオフ技術がすくなくなった事を憂慮して、新たな方法で国内産業を育成する必要があると考えていた。
2012-12-17 23:30:25アメリカの軍事システムが日本の集積回路への依存度を高めている事に気付いた国防総省は、日本の研究コンソーシアムが問題解決の鍵になるとみて、一九七九年超高速集積回路開発プロジェクト―国防総省が手掛けた個別プログラムでは最大のマイクロエレクトロニクス開発プログラム―を開始した。
2012-12-17 23:30:42数ヶ月にわたる協議と交渉と説得の末に、研究に参加する企業が決定された。どの企業もこのプログラムで獲得した技術を民生市場に適用できると大きな期待を寄せていたし、国防総省もこの研究開発が商業的にも十分な利益が出るものだと明言していた。
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