芦田宏直先生@jai_anの「結局の私の結論。男性は女性を大切にすべきだということです。これだけが言いたい。」

「本当にあの男でいいのか」という父親の言葉は、女性に「本当(の男)」など本質的に存在していないという確信の裏面でしかない。 逆に女性は、愛されることを通じて〈男性像〉を作り上げていく。だから「最初の」男性に遊ばれてしまうと、不幸なことが連続することになる。 フェミニズムで“得をする”のは結局、男(あるいは経営者)なのだ。 続きを読む
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芦田宏直 @jai_an

逆に女性は、愛されることを通じて〈男性像〉を作り上げていく。だから「最初の」男性に遊ばれてしまうと、不幸なことが連続することになる。

2013-01-24 00:50:25
芦田宏直 @jai_an

愛し愛される〈男性像〉が像を結んでいかないからだ。恋愛を重ねる度に、自分がどんな男性と合っているのかがわからなくなっていく。

2013-01-24 00:50:41
芦田宏直 @jai_an

逆に言えば、浮気しやすい男性は(大概の場合)原初の母親に傷ついている(愛されていない)母子関係不全の男性だとも言える。

2013-01-24 00:51:01
芦田宏直 @jai_an

彼は浮気し続けること(心なく口説き続ける)によって、女性がいかにいい加減な者(いかに騙される性)であるかを確証し続けている訳だ。

2013-01-24 00:51:18
芦田宏直 @jai_an

そうあってくれないと、自分が母親に捨てられた意味を受け入れることができないからだ。

2013-01-24 00:51:37
芦田宏直 @jai_an

ところで、(先に触れた)女性の性的な二重の移行性(母親→父親、クリトリス→ヴァギナ)は、基本的には、女性は、男性よりも愛すべき異性像が広いことを意味している。

2013-01-24 00:52:39
芦田宏直 @jai_an

男性のように異性像が狭くはない。異性原型が二重の移行によって不安定で曖昧化されている分、“男性次第”の要素が相対的に大きくなっている。

2013-01-24 00:52:55
芦田宏直 @jai_an

その分、愛されることによって、選ばれた男性に「染まる」度合いが高い。それ故にこそ、男性に「遊ばれること」は、危険この上ないことになる。

2013-01-24 00:53:31
芦田宏直 @jai_an

交際をしながら(経験的に)、自らの異性像(=性愛)を確かめ続けている女性はいくらでもいる。男性では異性原型が強い分、そういう“試行”は、そう多くはない。

2013-01-24 00:54:57
芦田宏直 @jai_an

従って、女性が〈性〉として幸せになるということは危うい綱渡りだ。まずは受動の〈性〉だということ。愛されることによってしか自分の〈性〉を精神(男性像)としても肉体(ヴァギナ快感)としても引き受けることが出来ない。

2013-01-24 00:55:31
芦田宏直 @jai_an

しかし自分が本当に愛されているのかどうか、女性にはその基準そのものがない。しかも遊ぶのが上手な男性ほど、自分はうぶだ、純粋だということを前面化して近づいてくる場合も多い。

2013-01-24 00:56:53
芦田宏直 @jai_an

騙されやすいということそのものが性の原理になっているのが女性。騙されやすいということと柔軟性の像とが区別できないからだ。大概の娘の父親が、娘の「連れてくる」男性を拒否するのは、このことと関わっている。

2013-01-24 00:57:39
芦田宏直 @jai_an

「本当にあの男でいいのか」という父親の言葉は、女性に「本当(の男)」など本質的に存在していないという確信の裏面でしかない。

2013-01-24 00:59:15
芦田宏直 @jai_an

したがって、女性が恋愛をして(「私が選んだ人」というふうに主体転換し)無事(とりあえず)結婚へ至るということが、どんなに危うい偶然の上になり立っているか、ここに思いをはせない恋愛論はありえない。

2013-01-24 01:00:01
芦田宏直 @jai_an

男性は(極論を言えば)「好き、好き、好き」を押し通せばいいだけのことなのだから。女性が「好き、好き、好き」と押せば、男性は腰を引くばかりだ。

2013-01-24 01:00:28
芦田宏直 @jai_an

つまり、恋愛は、n個の主体(=個人の自由)による意志と能力によってなされるものではない。恋愛は、特に女性にとって〈出会い〉でしかない。

2013-01-24 01:01:08
芦田宏直 @jai_an

〈恋愛〉ほど反近代的なものはない。だから主体性が強化されればされるほど、女性は恋愛から疎外される。少子化現象も近代化のなれの果てかも知れない。男女交流が新しいメディアによって活発化すればするほど、むしろ不遇な出会いは増えている。

2013-01-24 01:01:57
芦田宏直 @jai_an

もしもフェミニズムが存在しうるとすれば、こういった(あれこれの)意志と能力をこえた〈出会い〉によってしか自分の異性像と身体とを受け入れられない女性の特有な水準を、社会、そして男性が気に留めていない場合のことだろう。

2013-01-24 01:02:39
芦田宏直 @jai_an

フェミニズムで“得をする”のは結局、男(あるいは経営者)なのだ。

2013-01-24 01:03:47
芦田宏直 @jai_an

男性は努力や能力で差別されるが、その差別は「主体的な」努力や能力が根拠であることによって、不本意なものもあるにせよまだ納得できる要素が強い。

2013-01-24 01:04:14
芦田宏直 @jai_an

しかし女性の恋愛=家族形成は、全く主体的ではない。ここに家族という“社会”の固有な水準がある。。

2013-01-24 01:04:51
芦田宏直 @jai_an

家族はその意味では〈社会〉でも〈組織〉でもない。不合理そのものだ。そもそも親(先行する原因)が存在すること自体が〈主体〉の蹉跌であるのだから、その始原である〈恋愛〉が女性の主体の蹉跌であることはそうおかしなことではない。

2013-01-24 01:05:54
芦田宏直 @jai_an

「女性の主体の蹉跌」→「女性が主体的に生きることの蹉跌」

2013-01-24 01:06:52
芦田宏直 @jai_an

主体的な能力や努力の女性とは、化粧をしたり、着飾ったり、知性を身に付けたり、キャリアを持つ女性ということであるが、そんなの大きらーい、という男性はいくらでもいる。

2013-01-24 01:08:15
芦田宏直 @jai_an

「自然な方がいい」と言われて自然に振る舞うのも不自然だ。女性からすると、いったいどうすればいいの、ということになる。

2013-01-24 01:08:34