芦田宏直先生@jai_anの「結局の私の結論。男性は女性を大切にすべきだということです。これだけが言いたい。」

「本当にあの男でいいのか」という父親の言葉は、女性に「本当(の男)」など本質的に存在していないという確信の裏面でしかない。 逆に女性は、愛されることを通じて〈男性像〉を作り上げていく。だから「最初の」男性に遊ばれてしまうと、不幸なことが連続することになる。 フェミニズムで“得をする”のは結局、男(あるいは経営者)なのだ。 続きを読む
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芦田宏直 @jai_an

男の社会的なプレゼンスは、女性を引きつける力と相関しているが、女社長には男を性として引きつける力はない。

2013-01-24 01:10:56
芦田宏直 @jai_an

増補改訂版です。 RT @urashimasakon: っていうか芦田先生、ブログのやつ投下してるだけか。

2013-01-24 01:11:42
芦田宏直 @jai_an

しかしそれに反して、男性の主体的な努力はそのまま社会的なパワーに繋がり、着飾ることなく、女性を選ぶパワーに繋がっている。社会的な成功と男性としての成功とはほぼ重なっているのだ。この落差は、社会運動では「改革」できない。

2013-01-24 01:12:09
芦田宏直 @jai_an

つまり女性の社会進出という問題は、性としての女性の問題ではない。その意味でなら、女性はむしろ社会の起源であって、それ自体は社会的ではない。家族は偶然に成立した社会であるし、女性という〈性〉もまた偶然に成立した〈性〉なのである。偶然に依存するからこそ、女性は「弱い」性なのである。

2013-01-24 01:13:34
芦田宏直 @jai_an

女性の本来の“理想”があるとすれば、男性なし(=恋愛なし)で子供を作ることができ、男性なしで“家庭”を築くことができるということかもしれない。その意味でこそ、男性は優しくなくてはいけない。女性を大切にしなくてはならない。様々な意味を込めて、私は、そう言うしかない。。

2013-01-24 01:14:14
芦田宏直 @jai_an

【補論】だから、男性が女性を囲いたがるのは、女性の背後に他者(他の男性への柔軟性)を感じているから。女性の男性像が不安定だから。それが異性愛のダイナミクスを産んでいる。そして文学や芸術をも。

2013-01-24 01:14:53
芦田宏直 @jai_an

【最初に戻る】 〈女性〉とは、最初に愛し愛された人間が〈同性〉である者のことを言う。反対に〈男性〉とは、最初に愛し愛された人間が〈異性〉であるもののことを言う。

2013-01-24 01:16:20
芦田宏直 @jai_an

この場合、〈同性〉も〈異性〉も、大概は、〈母親(女性)〉のことを指している。従って、男性は思春期の異性イメージの原型を〈母親〉再生するだけでよい。が、女性は、そう単純にいかない。最初に愛し・愛された者が「同性である」女性だからだ。

2013-01-24 01:16:44
芦田宏直 @jai_an

しかし、これは“定義”にはならない。というのも、同性か異性かがわかっているのであれば、最初から、女性とは、男性とは、と問い返す必要などないだろうから。同性である、異性である、というのは、まだこれからその性が何であるかの問いの答えを先取しているわけだ。

2013-01-24 01:17:06
芦田宏直 @jai_an

だから、これは性器的な差異などを先取しながら形成される構造的な規制、あるいは(クリプキ的な)共同体の規制と考えるしかない。

2013-01-24 01:17:53
芦田宏直 @jai_an

つまり同性/異性という概念、あるいは男/女という概念は、論理的にではなく、つねにすでにア・プリオリだということだ。

2013-01-24 01:18:15
芦田宏直 @jai_an

経験的・学習的に作られるといっても作る・作られる作為が、個人的な作為にとどまるものではない以上(個人的に作為しても、対他的には単に〈異常〉と思われるだけ)、同性/異性、男/女という対はいつも循環的な“定義”に陥らざるを得ない。

2013-01-24 01:18:36
芦田宏直 @jai_an

ここでの同性、異性は、対他・対自的にそう思われている〈同性〉、〈異性〉という概念にすぎない。「すぎない」というのは、経験的には乗り越え不能な無力という意味で。

2013-01-24 01:18:54
芦田宏直 @jai_an

さて、その女性は〈同性である母親〉から〈異性である父親〉への移行を通じてしか異性原型が出来ない。同性への愛は基本的には(=対他、対自的には)禁じられているからだ。

2013-01-24 01:19:17
芦田宏直 @jai_an

女性にはもう一つの移行がある。それはクリトリスからヴァギナへの移行。乳幼児期に、女性もまた無意識も含めてクリトリスを刺激してオナニーを行うが、これを思春期に反復する(男子は言うまでもない)。

2013-01-24 01:19:55
芦田宏直 @jai_an

しかし女性の特有性はヴァギナ快感(男性と異なる過剰な性感)。クリトリスからヴァギナへの移行が存在する、この移行性も女性の〈性〉を特長付けている。女性には男性には存在しない過剰な性が存在している。

2013-01-24 01:21:05
芦田宏直 @jai_an

この意味でも、男性は乳児期の性快感の単純で単調な反復しかないが、女性はヴァギナ快感を(ある意味で)一から学ばなくてはならない。乳幼児期にもない経験を新たに経る必要が生じる。

2013-01-24 01:21:38
芦田宏直 @jai_an

このクリトリスからヴァギナへの移行は、基本的に、愛し愛される男性との邂逅以外には達成されることはない。これに失敗するとセックス体験(=挿入体験)は豊富であるにもかかわらず、死ぬまでクリトリス派にとどまる。

2013-01-24 01:22:04
芦田宏直 @jai_an

「最初の男性が大切」「処女性」をめぐる諸問題は、このクリトリス反復の問題に関わっている。「クリトリスでしか感じない」という問題は、性感について男性の関与を認めないのと同じか、かえって「男性との性交は鬱陶しい」ということになる。

2013-01-24 01:22:58
芦田宏直 @jai_an

つまり男性がペニス快感を女性の身体を道具化する仕方で実現するのと同じようにしか、女〈性〉もまた自らの身体を外面的にしか受容できないのと相似している。

2013-01-24 01:23:16
芦田宏直 @jai_an

女性が、1)母親から父親へ移行すること 2)クリトリスからヴァギナへと快感を並存させつつ移行させること。この二重の移行は男性にはない危うい綱渡りなのである。というか、移行はいつでも危うい。この危うい〈性〉を〈女性〉と言う。

2013-01-24 01:23:49
芦田宏直 @jai_an

〈男性〉は精神としても肉体(快感)としても単純で安定しており、乳幼児期を反復すれば性的には大人になる。つまり自分が誰(どんな異性)を愛すべきなのかの〈像(異性像)〉が出来あがっている。

2013-01-24 01:24:11
芦田宏直 @jai_an

〈男性〉が遊ぶ性(遊びうる性)である理由は簡単だ。本命(母親原型)がいつでもあるからである。どんな女性が好きなのかが出来上がっているからだ。だから容易に順番も付けられる。

2013-01-24 01:25:47
芦田宏直 @jai_an

だから遊ぶことが「できる」。が、女性はどこからが遊びか本命かわからない。異性原型が明確ではないからだ。母親(同性)には戻れないからだ。

2013-01-24 01:26:31
芦田宏直 @jai_an

言い換えれば、女性は愛されて受動的に男性を確かめるということだ。「確かめる」というよりは、女性は、性愛(過剰な性愛としてのヴァギナ性愛)を思春期以降はじめて学ぶのである。

2013-01-24 01:27:42