武蔵はどっかに仕えたという事実はないので、牢人というのは違うと思う。当人は「生国播磨の武士」としていたが、つまりは武蔵は就職一回もしてない…(それは違う
2013-01-29 10:50:39@sword_saint1971 作州説は私は支持しないですね。というか当人も生国播磨って書いてますし。美作出身説の大本の史料は突っ込みどころありまくりですし…まあ、根強い支持がある説ではありますが…
2013-01-29 10:56:10@sword_saint1971 宮本武蔵の作州出身説に関して言えば、それこそ播磨武蔵研究会が徹底的に批判していますから、私はその尻馬にのってるだけですw けどまあ、美作説はそれでもなお根強く残ってるものですよ。
2013-01-29 11:06:18@sword_saint1971 最近読んでないので忘れてるから迂闊なこといえないけど、多分吉川武蔵が作州牢人宮本武蔵って名乗ってるからじゃないかしら…もう二十年読んでないので覚えてないけど。
2013-01-29 11:07:45武蔵の美作出身説の人とは何度かやりとりしたことがあるが、言ってることがどうにもおかしいので、あんまり矛盾を指摘して切れられたら困るからたいがいすぐに引いてるけど…いやあ、本当におかしなこと言ってる人がたまにいるんだよなあ…例えば美作の宮本村は武蔵の生誕時はまだできてないと(続く
2013-01-29 11:10:18血族であるのがバレるのが嫌で、だけど新免はかえようがないので、血族ではないということにした…ということらしい。素晴らしく斬新な説だったので、「それだったら最初から新免名乗らなかったらいいですやん」「昔なら調べようがないんだから」とか突っ込むのはやめときました。
2013-01-29 11:19:05そういえば五輪書の武蔵著書であるのを否定している人も、割りと美作出身説の人が多い印象…確たることははっきりしないが…「播磨の武士」と書いてるのを否定したいってのがよく伝わってくる…しかし「新免武蔵守など勝手に名乗るはずがない」という根拠(の一つ)はお粗末すぎて泣けてくるわ…
2013-01-29 11:48:58播磨武蔵研究会は兵法三十五箇条をベースにして五輪書ができたという説については否定的で、というか否定していて、五輪書を譲られなかった寺尾求馬助の系統が伝授されてた内容を研究の末に箇条書したものとしている。逆にいえば、五輪書の頃より三十五箇条の方が発展している内容ともいえるわけだ。
2013-02-17 23:40:47宮本武蔵の流れと称する十智流なる流派は、相手の意表に出る剣術だった…というけども、この祖を遡れば武蔵の弟子と称する古橋惣右衛門って人で、どうにもこの人の伝というのは何かよく解らない。武蔵より授かったという十智の書は、なんか偽書くさいし…もっとも五輪書には心理戦が載ってるけどね…
2013-02-20 00:32:32去年に放送された『ヒーロー伝説巌流島ミステリー』を今見ているけど、ほぼ予想通り、予定調和の展開で30分過ぎたなあ…けど現在の宮本家ご当主を映像でみれたのはちょっと嬉しいなあ。あと話しにだけ聞いた宮本家系図も見れた。ああいう感じのか。ふむう。
2013-02-23 09:31:06しかし、佐々木小次郎の名前が後から創作由来でついたというのは周知されてきたんだなあ…十五年くらい昔は、修験道に関わりを保つ佐々木家の流れだとかどうとかいう話ももっともらしく語られていたものだが
2013-02-23 09:42:52巌流島に関しては沼田家記使うのが流行ってるみたいだけど、あれ検証してみるとかなり面倒な部分があって…とりあえず決闘の場所を「ひく島」としているのを誰か解説してくれろ。
2013-02-23 11:03:19続き)特集ニが検証 宮本武蔵 没後350年の真実 細川家伝統二天一流の勢法…宮田先生の記事だな…読んでると「南郷継正氏が『武道の理論』をはじめとする武道関係書籍で解き明かされている」…とかいう文章が目に付く…ああ、宮田先生はこの頃からそういうの好きだったのね…まあこれはこれで…
2013-03-01 17:31:10…まあ、さっき七月先生に送ってしまったのは、私が二十年くらい前に書いてた短編だけどなw 戦国時代というか大阪の陣に紛れ込んだ闘いに飢えた超未来の超人戦士たちが、吉岡拳法と宮本武蔵の決闘に巻き込まれてあっさりと殺されるという…ああ、吉岡一門が大阪に入ったという話があったのでね…
2013-03-03 05:59:01そういえば剣道時代読んだんだった。越後二天一流って明治半ばまであったのか…しかも農村に広く伝わってたとかが面白いな。丹羽信英が出奔した挙句にいきついた果てで広まった…というのも何か昔話めいている。播磨武蔵研究会でその研究成果が近いうちに発表されるようだから、楽しみに待っとこう。
2013-03-03 06:01:27しかし丹羽信英もそうなんだが、柴任三左衛門も故郷を出て、その先に流れ着いて二天一流の種を巻いているのな…ただの偶然だと思うけども、面白い。
2013-03-03 06:10:01あ、故郷を出た先で定着して…はよくある話だけど、なんか出奔っつーかね、そういうのがなんか面白いと。兵法者だと普通なんだろうか。丹羽の場合は諫言が聞き入れられなかったので、それで…という話だったらしいけども。
2013-03-03 06:11:46柴任はどうにも移動先がいちいち武蔵と縁がありそうな場所だったり関係者の子孫がいる場所だったりするのがどうにも伝奇心をくすぐる。武蔵最晩年の弟子が故郷を出てあちこち武蔵の縁者を探してたという話にすれば、何か長編の一本もできようって感じ。まあただの偶然だと思うけど。
2013-03-03 06:14:08二天流の五尺棒の写真とか初めて見たわ。武蔵は片手であれを軽々と振り回したというから剛力だったのだな…二天一流の五尺棒は、寺尾夢世が工夫したものだという。
2013-03-03 23:47:40@SagamiNoriaki 150センチ台が当たり前の時代、180センチ台だった武蔵は今ならジャンボ鶴田やダルビッシュぐらいの体格ですね。しかも左利きという。ランディ・ジョンソンレベルかも。
2013-03-03 23:50:33しかしググってたらすでに動画を観ていたのだということが判明。すっかり忘れてた。@bubunken_web 棒。って権之助たんの立場どないすいんねん! / 二天一流棒術 http://t.co/tLf8yHqd8d
2013-03-03 23:51:57