Akira Tsuboiさんが語る福島共同診療所報告会レポート

Akira Tsuboi(@1876to1945)さんが語る福島共同診療所報告会レポート(at 03/10/2013)、松江寛人氏、杉井吉彦氏の発言等
38
前へ 1 2 ・・ 8 次へ
Akira Tsuboi @1876to1945

-彼女の線量計は消音状態で0.8μを示していた。3日ほど前の世田谷の線量0.16という値を話すと、「たかいですね」女性は言った。自分の感覚はごく浅いレベルだが麻痺していることを知る。福島共同診療所の活動を知り、なにか協力できないかと思い来たのだ、そう彼女は言った。-

2013-03-16 11:19:20
Akira Tsuboi @1876to1945

明日17日(日)原爆の図所蔵丸木美術館にて、自分の展示期間中のイベント「福島の現状ととりくみを知る」が開催されます。3.11より二年を経過した段階で、福島市で甲状腺診療に当たっている福島共同診療所の杉井吉彦医師、現在米沢と福島市に家族が分断されながら生活されている女性、→

2013-03-16 11:45:27
Akira Tsuboi @1876to1945

-千葉で保養プロジェクトにあたられている方から見た現状をお話していただきます。13時より東武東上線森林公園より美術館までの送迎車が出ます。遠路ではありますが、どうぞ足をお運びください。詳細http://t.co/p14YkpBEYT

2013-03-16 12:05:05
Akira Tsuboi @1876to1945

イベントが終了した。司会などという柄にないことをして疲れた。閉館時間等あったが話の内容を重視し、話してくださる事すべて話していただいた。のべで50人ほど来てくださった。ありがたい。カンパ41,010円はそっくり福島共同診療所へ渡した。協力してくださった方々ありがとうございました

2013-03-17 20:20:11
Akira Tsuboi @1876to1945

福島行-自分の隣の一行は、つい最近伊豆半島の東側で保養プロジェクトをはじめ、やはりつい最近福島のこどもを避難疎開させるネットワークに加入したと言った。福島共同診療所の目的は、診察にではなく、疎開させることにある。一般的な見方からすると、彼らがそこにいることはごく自然な流れだった-

2013-03-22 10:49:16
Akira Tsuboi @1876to1945

-しかし、自分は彼等がそこにいることにある種の驚きを感じた。疎開避難を巡っては、国がまったくと言っていいほど動かぬ半面、把握するのがむずかしいほど様々な市民レベルの活動がある。東北の教会が各地にある教会のネットワークを活かして短期保養を援助している。—

2013-03-22 11:00:00
Akira Tsuboi @1876to1945

-特にそうした設備上のネットワークが無くとも各方面と連携して住家、暮らし全般の援助、医療サイドからの診療等の組織的な運営を練り上げたごく市井人からなる団体もある。伊豆の一行はそうして立ち上がった団体に思えた。問題は、福島の被曝問題に戦後左翼運動の記憶が持ち込まれることにある-

2013-03-22 11:19:35
Akira Tsuboi @1876to1945

-自分が丸木美術館で計画したトークイベントは、疎開避難に携わっている方、福島診療所の医師、福島にすむごく一般の方に来て話していただこうと考えていた。しかし、思いのほか人選に難儀した。一旦はこころよく参加の意を表明してくださるのだが、会議に上がると不参加になるのだった。-

2013-03-22 11:25:21
Akira Tsuboi @1876to1945

-いち早く参加を快諾してくださった診療所の医師と、福島共同診療所そのものの名前をめぐり、彼等はこう言うのだった。「診療所は中核派と認識しております。我々としては肩を並べて活動されているように思われる事は望まない。席を一にすることは、組織として拒否いたします」-

2013-03-22 11:30:03
Akira Tsuboi @1876to1945

-ある移住プロジェクトで移住先で医療を担当しているのは、民医連の医師だった。戦後放射能の組織的な診察、検討、研究を連合国司令部により禁じられた日本の医師は、肥田舜太郎氏をはじめとしてレッドパージされ共産党に入党せざるを得なかった。民医連は肥田医師が立ち上げに関わった組織だ。-

2013-03-22 11:36:35
Akira Tsuboi @1876to1945

-共産党内部で、戦後社会に対してより妥協的になってゆく者と、革命思想を維持する者が別れてゆく。広島に建設された向陽第一診療所は、後者による運営であり、後者とは中核派と呼ばれる組織だった。この診療所も残存放射能の被害者と被曝二世の診療を目的としていたのだが、両者に交流はないという-

2013-03-22 11:47:06
Akira Tsuboi @1876to1945

-福島診療所は、2011年8月の広島平和式典で、福島の市民と向陽第一診療所の医師が出会ったからことから始まっている。医師はこう言ったそうだ。「これから福島も広島と同じように国との長い戦いになるでしょう。国は病態を隠そうとするはずです。病態をちゃんと残してゆかないといけません」-

2013-03-22 11:54:17
Akira Tsuboi @1876to1945

-福島の市民は医師に、市民カンパによる正当な医療からの被曝診療を目的とした診療所の建設への協力を打診した。医師は快く応じた。中核派と共産党は主導権争いをほぼ修復不可能なレベルまでこじらせ、現在に至っている。-

2013-03-22 12:13:10
Akira Tsuboi @1876to1945

-被曝から逃れる、ただこの目的が一つ同じようにしてあるのだが、その関係性がふとしたおりに露出する。隣の伊豆の一行がそうした外部からすると不可解な対立にぶつかる前に協調が図られればいいのだが。自分は言葉にしなかったが彼等の前途を案じた。と、会場に建設委員の方が入ってきた-

2013-03-22 12:17:41
Akira Tsuboi @1876to1945

福島行-司会に促されて皆の前に一人の女性が出てきた。福島市で有機、自然農法を長年やってきた女性だった。彼女の農法は農薬も使わず、土を耕すこともしないという独特のもので、震災以前には多くの研修の者が彼女の元を訪れていた。文科省の役人との折衝で汚染された土を差し出した女性だった-

2013-03-23 10:43:06
Akira Tsuboi @1876to1945

-彼女の環境への意識は3.11以前からのもので、震災の前の段階で彼女は東京に居る知人にもし原発で事故があった場合、彼女のこども預かったもらう手筈を整えていた。その手筈の通り、彼女はごく早い段階でこどもを東京に逃していたことを聞いていた。その彼女が話し始めた。―

2013-03-23 10:45:24
Akira Tsuboi @1876to1945

-建設計画から一年で福島共同診療所が立ち上がったことからはじめて、彼女は建設までの経緯を語り始めた。「まず子供を逃さなきゃいけない、そう私も思って疎開活動に関わってきました。で、戦中の疎開のことを調べたんです。縁故のあるこどもは縁故を頼って、ない子は先生が引率して疎開した-」-

2013-03-23 10:49:31
Akira Tsuboi @1876to1945

-「でも、あまりにも小さくて親から離せないこどもが一割いたんです。その一割は結局、空襲で命を落としたということがあったんですね。私としてはその一割ももらさない、どう救うか、病気にさせないことが必要だと思ったんです。今、現実として福島から逃げた子供は一割いるかいないかです-

2013-03-23 10:55:55
Akira Tsuboi @1876to1945

-診療所建設のことを疎開に携わられているお医者さんに話したら、「こどもを逃がすのが第一でしょ、なんでこどもを逃がさないんだよ」熱い気持ちをもった言われたのが最初でした。でも、現実として避難しているのは一割程度なんです、残っているこどもが病気を作ってから治療するわけではない-

2013-03-23 11:01:04
Akira Tsuboi @1876to1945

-病気にさせないための診療所が必要だと思ったんです。私はもともと医者嫌いです。お産の時でさえ行ってないんです。この診療所建設の話があった時にだから言ったんです。「普通の病院はいりません、」言いました。建設委員であることにバッシングを受けました。仲間からされるのは一番つらい。―

2013-03-23 11:05:01
Akira Tsuboi @1876to1945

-健康調査はまだまだ実施をまっている段階です。いわきにはヨウ素がいったはずで知り合いの医者では癌が最終的に50人いくのではという声もあります。」女性はこの会合の前に行った講演で500人の参加者から22万のカンパを頂いた事、週刊金曜日がフラットな視点で取り上げていることを言った-

2013-03-23 11:10:53
Akira Tsuboi @1876to1945

福島行-続いて、福島共同診療所事務局長の男性が皆の前に出てきた。会場の60人掛けの椅子は満席で、みな前へ出るように言われた。会場の後ろに立ち見の人間があふれていたのだった。男性は語り始めた。「3.11で、放射能が大量にばらまかれた状況で子供たちは情報をもらえなかったんですね」-

2013-03-24 11:37:47
Akira Tsuboi @1876to1945

-皆さんご存じの山下さんはじめ安全を説いたんですが、飯舘村浪江町のこどもたちは高線量のなかで暮らし、水を汲みに表に並んでいました。ヨウ素を大量に吸い込んだはずなんです。そんな中でこどもを何とかして守りたいと動き始めたんです。-

2013-03-24 11:42:57
Akira Tsuboi @1876to1945

一昨年の10月、全ての原発いますぐなくそう全国評議会の結成集会に広島の向陽病院の吉田さんをお招きして提言をいただいたんです。その提言で吉田さんは「福島の人は戦わないと行政は動かない、被曝手帳のようなものを書きとめてゆくこと、診療所をつくること」を言われたんです-

2013-03-24 11:47:42
Akira Tsuboi @1876to1945

-大変な提言を頂いたな、と思ったんですが、その集会のメンバーがそっくり建設委員会に入り、呼びかけにおうじて全国の医師が応じてくださいました。今起きていることは、甲状腺問題です。3人の癌が出て、7人が疑いである。しかし2月の時点でも白河、会津地方はまだ調査されていないんですね-

2013-03-24 11:51:06
前へ 1 2 ・・ 8 次へ