「どうせ死ぬんだから‥」/『終末期』医療は差別か?

癌とかアルツハイマー病になったら即、『終末期』だというイメージが先行して、 「どうせもうすぐ死ぬのだから大したことやんないよ」という対応をしているのではないか? 『終末期』という名付け=ラベリング=レッテル貼りによる、イメージ操作・印象操作によって、普通の医療が受けられなくなっているのでは。 spitzibara氏のブログ記事「2013年3月20日の補遺」のコメント欄でのやり取りをまとめました。 ●追加しました。⇒同ブログの「『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』書評を書きました」のコメント欄でのやり取り。 続きを読む
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■本まとめに続くまとめ:
●『緩和ケアの差別的な使われ方と、ロー・セオリーからの反撃』http://togetter.com/li/485134
 

まとめ 緩和ケアの差別的な使われ方と、ロー・セオリーからの反撃 病気による痛みや辛さをやわらげる「緩和ケア」が、適切になされていない例について、それは差別ではないのか?なぜそのような差別的扱いが生じるのか?を、立岩真也「なんのための「緩和」?」と、spitzibara氏のお子さんが、手術後に不適切な扱いをされた経験の話から始まるやり取り。 これらの問題を考え、反撃するのに、 ① 差別の問題、② 人をモノとして扱うこと、③ 言葉による概念化で、連続した事象の分断、④ 能力主義や権威への服従、について。 また、整合性を求める分析的な言説である「高踏理論(ハイ・セオリー)」に対抗する「低理論(ロー・セオリー)」と、ロー・セオリー的な視点や考え方の人の事例、などについて。 まとめ『「どうせ死ぬんだから‥」/『終末期』医療は差別か?』に引き続き、 spitzibara氏のブログ記.. 2790 pv 17

 

●spitzibara氏のブログ【Ashley事件から生命倫理を考える】:
★「2013年3月20日の補遺」http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/66189387.html
★(上記エントリーでTBされた記事)「「ターミナルな病気」という新分類と、そこから見えてくるもの」http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/61336847.html
は、このまとめの末尾に抄録を掲載しました。
 


リンク Ashley事件から生命倫理を考える 2013年3月20日の補遺 - Ashley事件から生命倫理を考える - Yahoo!ブログ カナダのBC州で去年出た、PAS禁止の違憲判決 の上訴審。上訴したカナダ政府の意見陳述などニュースが続々出ていて、全然読めていないのだけど、せめて一つくらいは拾っておく。 http://www.theglobeandmail.com/new...

 

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 ● 以下 ↓ は、上記spitzibara氏のブログ記事のコメント欄でのやり取り:

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 @hijijikikiの投稿:

こんばんは。「米国の高齢者3人に1人が認知症で死んでいる」の記事ですが、認知症は直接の死因になるのでしょうか?

メルクマニュアルでアルツハイマーを検索すると、
「5年死亡率は61%と,認知症のほとんどの病型よりも高いが,この理由は他のアテローム動脈硬化性疾患が併存しているからであると推測される」
ということで、「よくわからん」、というのが実情なんでしょうかね。

認知症のケアや介護・介助が困難で、事故や心身状態の悪化によって、寿命が縮まるのではないか、と思ってしまいます。

2013/3/21(木) 午前 2:25 [ @hijijikiki ]

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 spitzibara氏の投稿:

英語圏の医学系の情報では、認知症を「ターミナルな病気」と書いていることがすごく多いです。fatalという形容を見たこともあります。そういうことに疑問を感じて前に書いた記事があるので、TBしてみました。コメント欄に寄せてもらった米国の体験談も凄いです。

アルツハイマー病の末期は寝たきりになって死に至る、というイメージですけど、確かにその死の原因が全てアルツハイマー病そのものなのかどうか、hijijikikiさんの言われることには説得力がありますね。

そういえば、トリソミー13とか18の新生児の死亡率の高さについても、実は「治療しないから効率で死んでいるだけなんでは?」という医師らの議論を読んだこともありました。

2013/3/21(木) 午前 8:59 [ spi*zi*ar* ]

【訂正】効率 ⇒ 高率

2013/3/21(木) 午前 9:00 [ spi*zi*ar* ]

TBした記事を読み返してみたら、認知症は身体症状を伴う病気であるということと、末期には合併症が起きるということが強調されていました。

2013/3/21(木) 午前 9:21 [ spi*zi*ar* ]

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  kakaa氏の投稿:

おはようございます。
私は医療従事者ではありませんが、認知が進めば失行といって行動手順や行動そのものを忘れていくようです。
歩く為の足の出し方、食べる為の咀嚼など、全てに亘って記憶から抜け落ちていき介助をしても飲み込めない、歩けない、など、生存に必要な行動が失われていくので、最後は寝たきりになっていくようです。
私の要援護者も今、まさにこの状態に陥りつつあり、心配でなりません。

2013/3/21(木) 午前 10:04 [ kakaa ]

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 spitzibara氏の投稿:

kakaaさん、コメントありがとうございます。それはご心配ですね。

認知症の進行とともに歩けなくなったり食べられなくなったりして、最後には寝たきりになるとしても、寝たきり状態であることそのものは適切なケアが行われれば命にかかわるわけではないので、「認知症で亡くなる」という表現には確かにhijijikikiさんが言われるような複雑・微妙なものがあるんじゃないでしょうか。

2013/3/21(木) 午後 2:31 [ spi*zi*ar* ]

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 @hijijikikiの投稿:

TBありがとうございます。コメント欄の「痛み ⇒ 突然のモルヒネ投与」、この粗雑な扱いは恐ろしいですね。

「ターミナルな病気」ですか。これって、よく言われる
「ターミナルケア」とか「終末期医療」と同じような文脈で使われるのでしょうか?

父親の入所している老人ホームで看護師さんから、「緊急時には、延命措置について聞かれる」と言われました。
これは尊厳死法案がらみの、治療を止める選択肢の医師からの提示だと思われるので、
とにかく緊急時には救命のために手を尽くして欲しい、ということで、「できるだけのことはして欲しい」と言いました。

尊厳死=安楽死?法が成立すれば、この「延命」とか「終末期=ターミナル」という言葉が、より広範囲に大っぴらに、治療中止の口実に使われる恐れが多分にある、というかそのための立法なんでしょう。

やはりここでも「誰のための、何のための」という視点が重要かと。

2013/3/22(金) 午前 2:00 [ @hijijikiki ]

「終末期=ターミナル」と名付けられることにより、通常の医療が削減され、「どうせもうすぐ死ぬのだから大したことやんないよ」ということになるという恐ろしさ。

たとえ、「余命○年」ということになっても、それが子どもだったら、高齢者と同じ扱い、同じことをするか?
これは一種の差別ではないでしょうか。

名付けることには、長所・メリットと短所・デメリットの両方があるはずで、例えば「発達障害」と名付けることにより、本人に適切な支援がなされ、周囲が配慮して協力するという長所が、「障害」というレッテル貼りの短所を上回らなければ、本人にはよい選択ではないはず。

そう考えると、「終末期=ターミナル」と名付けられると、本人には何もメリットはなさそう(栄養や呼吸が不十分なままにされれば苦痛で、それを鎮痛剤で緩和、などは本末転倒)で、周囲の人間や何よりも医療費削減を目論んでいる行政や政府のみにメリットがありそうですね。

2013/3/22(金) 午前 2:02 [ @hijijikiki ]

しかし、家族など周囲の人間も、経済的に困窮したり、介護の負担がなければ、たいていは長生きして欲しいと思うでしょうから、結局は福祉に予算を回せば、家族などの負担は減って、「終末期=ターミナル」という名付けや、その下での医療はメリットにならないでしょう。

というわけで、「終末期=ターミナル」という名付けや概念がメリットになるのは医療費や福祉の削減を推進する側だけでは。

2013/3/22(金) 午前 2:04 [ @hijijikiki ]

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 spitzibara氏の投稿:

hijijikikiさん、おはようございます。終末期とかターミナルというのは、あくまでも不可逆的に死に瀕している状態とか、ある人がそういう状態にある時期のことであり、それは尊厳死推進派の長尾医師をはじめ多くの医師が日本でも言っているし、英語圏の議論でも慎重派の医師らが言っているように、正しく予測することはできないものですよね。

それなのに癌とかアルツハイマー病とか病気を「ターミナルな病気」と形容してしまうことによって、その病気になったら即、終末期だというイメージが先行してしまうし、実際に昨今のPAS合法化議論では植物状態も最小意識状態も寝たきりの重症障害も、そして昨日のエントリーで取り上げたような介護者による「慈悲殺」事件に対する世論の空気では「治らない」「要介護状態」までもが、「生きるに値しない」「愛情からすることなら殺してもかまわない」状態とみなされて、ORやWAの尊厳死法の対象である「余命6カ月以内のターミナル」と混同されていく。

2013/3/22(金) 午前 7:48 [ spi*zi*ar* ]

結局、hijijikikiさんが言われるように、「どうせ死ぬんだから、死なないでも悲惨な状態のままなんだから大したことじゃない」なんですよね。合法化議論は、繰り返されるたびに、この「どうせ」を共鳴させ、広めていってる気がします。

2013/3/22(金) 午前 7:48 [ spi*zi*ar* ]

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 @hijijikikiの投稿:

「その病気になったら即、終末期だというイメージが先行」>そうだと思います。
名付け=ラベリング=レッテル貼りによる、イメージ操作・印象操作になっている、と思います。

「不可逆的に死に瀕している状態」>って、生まれた瞬間から誰でも確率的な差はあれ、多かれ少なかれ「死に瀕している」、少しずつ死に向かっているでしょう。

そしていつ死ぬかの確率は、誰もが「正しく予測することはできない」ことは誰でも知ってるはず。
「明日のことはわからない」って言葉はどこに行ったのか。

確かに青年期の健康な若者は平均余命は長く、老年期の病者は短いでしょうけど、両方とも統計上の、即ち確率的なものであり、ばらつきがあるはず。
同じ年齢や健康状態でも、個々人によって、その事情によって、そして偶然=確率的なものにより、余命(あと何年生きるか)は一人一人異なるはず。

2013/3/23(土) 午前 2:10 [ @hijijikiki ]

特に病気の場合は、よい治療やケアを受けられれば、栄養状態や呼吸や睡眠などなどの諸要因がよく保たれれば余命は延びるだろうし、QOL(生活の質)は向上するでしょう。

このように、種々の要因によって変化しうる一人一人の状態を無視して、一括して、ある病気が終末期である=「ターミナルな病気」と言ってしまうことは、そう言われた人に対する一種のイメージ操作・印象操作ではないのか?

つまり、上記のように、同じ年齢や健康状態でも余命は一人一人異なるはずであり、しかも治療やケアなどをよく保てば余命が延び、QOLが向上することは当然予想できるのに、
「もうすぐ死ぬから手をかけるな」
というイメージ操作・印象操作によって、その言葉通りに余命を短くし、QOLを下げることを行っているという犯罪的な欺瞞ではないのか?

2013/3/23(土) 午前 2:11 [ @hijijikiki ]

「どうせ死ぬんだから」というのは誰でも例外なくそうであり、時間の問題だけのはずで、しかも、いつ死ぬかさえも予測が困難、即ちわからず、治療やケアによって変わるのに。

これはとても差別に似ていますね。

黒人差別では、黒人が劣っているという偏見や思い込みがあり、その結果黒人に対する待遇や扱いが悪くなり、その結果「劣っている」状態にさせられる。その悪循環が続く。

こう考えると、認知症を「ターミナルな病気」と呼び、「ターミナルな病気」=終末期、すぐに死ぬ、というイメージ操作・印象操作をすることは、差別による不利な状態の押し付けと、悪循環の恒常化にとても似ているような気がします。

日本ではようやっと障害者差別禁止法の制定が準備されているという話ですが、こう考えると、老人や病者差別禁止法も同様に必要に思えてきます。

2013/3/23(土) 午前 2:13 [ @hijijikiki ]

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  kakaa氏の投稿:

おはようございます。

昨日、何人かの地域医療に携わっている医師にお話しを聞く機会があったので聞いてみました。厳密に「認知症」の病気で亡くなることはあるのか?と・・・

「認知症で食べられなくなり、栄養状態が悪くなり感染症を起し肺炎で亡くなったとしても、やはり、死亡診断書には認知症による肺炎と書くよなあ」
との意見でした。
私がいつも違和感を覚えるのは、病名を細分化してその人の全体を見ることをしなくなった現代の医療のあり方に対してです。
医学に無知な私にはそれが「治る病気なのか治らない病気なのか?」と考えれば認知症は治らない病気であり、いずれ死を迎える病気としての認識しかありません。
ただ、介護の現場にいる者として、最後の最後まで本人の生命力を引き出す努力をする・・・としか云えません。
地域医療に携わっている医療職の方たちも、大半は同じ思いでがんばっておられます。ただ、昔は自然な形で死を迎えられていたのに、今は医学が発達?したせいで、色々な責任を家族に背負わせてしまう。。。

2013/3/24(日) 午前 8:27 [ kakaa ]

どうせ治らない病気なんだから、どちらにしても死ぬんだから、という視点は、人を見ずして病理物体としてしか見ていない・・・
「このブログはそれへの警鐘を鳴らして下さっている」と思っていつも拝見させていただいています。がんばってください。

2013/3/24(日) 午前 8:28 [ kakaa ]

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 spitzibara氏の投稿:

hijijikikiさん、私も全く同感です。アシュリー療法論争の時にあの論争で起こったことというのは、表向きの議論の陰で父親やDiekemaやFostらが「どうせ、こんな重症児じゃないか」といい、読んだり聞いたりする側がそれに「そうだよね、どうせこういう重症児なんだからね」と応えただけだったんじゃないかと私は思っているんですけど(功利主義の学者が投げかける問いのカラクリってこれですよね)、尊厳死や無益な治療をめぐる議論で、本来なら厳密に区別されるべきことがぐずぐずのままに議論されて、いるのまにか対象者像が拡大されていくのも、明示的に議論されていることの裏で実は議論を引っ張っている人たちが「どうせ」と煽り、議論を受け取る側の人たちの中にある「どうせ」がそれに呼応しているからじゃないかという気がしています。その意味で、本質は差別以外の何でもないとhijijikikiさんがおっしゃるのは、その通りだと思います。

2013/3/25(月) 午前 11:05 [ spi*zi*ar* ]

kakaaさん、「病理物体」って、ほんと言い得て妙ですね。地域医療に携わっておられる専門職の方々は患者や家族の生活にとても近いところで本当に頑張ってくださっていますよね。そういうところにいる人が見ているものと、病院の中でしか患者と向き合っていない人が見えているものの間にある距離が、「人」と「病理物体」との距離にも通じていくのかもしれませんね。

2013/3/25(月) 午前 11:15 [ spi*zi*ar* ]

 

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ひじじきき @hijijikiki

「延命治療を断る人が増えている」「人工呼吸器や胃瘻など過剰な延命治療」などの誘導で、NHKは高齢者に通常の医療を受けさせずに”尊厳死”などへ誘導しようとしているのか⇒「“凛(りん)とした最期”を迎えたい - NHKクローズアップ現代」http://t.co/u4X9G1Q87e

2013-04-04 01:53:37
リンク NHK クローズアップ現代 凛(りん)とした最期を迎えたい ~本人の希望をかなえるには~ 医療によりただ命を長らえるのでなく、自分らしい生き方を守りながら最期を迎えたい。いわゆる「平穏死」や「自然死」を扱った本がベストセラーとなるなど大きな関心を集める中、高齢者たち自身が自分の死に方・医療のあり方についての意志を表し、行動を起し始めている。多死社会の到来が目前に迫り、医療費削減への国民的議論も高まる中で、高齢者の意志をどう実現するかが、今大きな課題だ。しかし、終末期医療の現場では、高齢者本人が書面で意志を残していたとしても、延命措置の是非を巡って親族間で意見が対立したり、医師の側にも裁判で訴え

 
 

●spitzibara氏のブログ【Ashley事件から生命倫理を考える】:
★「『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』書評を書きました」http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/66231487.html

リンク Ashley事件から生命倫理を考える 『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』書評を書きました - Ashley事件から生命倫理を考える - Yahoo!ブログ 『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』 責任編集: 安藤泰至・高橋都 丸善出版 6090円 40名の編集委員と総勢約270名の執筆者による丸善の一大プロジェクト『シリーズ生命倫理学』(全20巻)の第4巻『終末期医療』が、昨年末に刊行され...

 
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 ● 以下 ↓ は、上記spitzibara氏のブログ記事のコメント欄でのやり取り:

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 @hijijikikiの投稿:

こんにちは、@hijijikikiです。

昨晩のNHKの「クローズアップ現代」が、「延命治療やめましょうキャンペーン」みたいなノリの番組構成(疑問や批判も一応刺身のツマ程度にはあったが)で、ここまで堂々と世論誘導するのか、と恐ろしくなりました。

ツイッターで以下のようにツイートしました:
『 「延命治療を断る人が増えている」「人工呼吸器や胃瘻など過剰な延命治療」などの誘導で、NHKは高齢者に通常の医療を受けさせずに”尊厳死”などへ誘導しようとしているのか⇒「“凛(りん)とした最期”を迎えたい - NHKクローズアップ現代」 』

上のエントリーでご紹介の本や、spitzibaraさんの書評や、立岩真也さんのコメントなどが、もっと多くの人の目に触れて、読まれる方法はないのか、と思います。

2013/4/4(木) 午後 1:26 [ @hijijikiki ]

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 spitzibara氏の投稿:

こんにちは。そうですかぁ。見なくてよかったなぁ。

そういえば、昨日の朝だったか「めざましテレビ」で妙なことを聞いたんですよ。英国のワン・ダイレクションという人気ユニットが英国首相の後押しまで受け、アフリカの途上国へ行って、飢餓に苦しむ子どもたちの姿をレポートする、というビデオ映像の紹介があったんですけど、そこで映像にかぶせてアナウンサーが読んだ内容はざっと「ほんのわずかの金額で買えるワクチンが打てないために、この子たちはこんなにも貧しく、おなかをすかせて、病気になっているのです。この小さなワクチンで救うことができます。だから、途上国にワクチンを送りましょう」……。ワクチンが打てないから貧困になる??? 飢餓に苦しむ子どもたちに「食料を」ではなく「ワクチンを」???

メディア、こわい。

2013/4/4(木) 午後 3:49 [ spi*zi*ar* ]

hijijikikiさん、この本、『重い障害を生きるということ』の高谷清先生が読まれて、昨夜、約600名の読者がいる先生の『読書メモ』というメーリング情報で、ご紹介くださっていました。少しずつでも、ひろがっていくと思いたい……ですね。

2013/4/4(木) 午後 3:57 [ spi*zi*ar* ]

 

 
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ノザーリン(反犠牲) @chosuke50

来週、義妹が結婚する。相手は橋下や石原(慎)が好きらしく、あわよくば(たぶん日本維新の会から)立候補したいらしい。けったくそ悪いので私事だけどさらしておく。そんな思想で仕事が老人の介護って、聞いて笑わせるぜ!

2013-03-26 18:28:11
ひじじきき @hijijikiki

笑い事ではなく、http://t.co/QVWYV56taCのコメント欄にあるように、認知症を終末期の病気として「どうせすぐ死ぬ」と、ケアや医療を制限する動きがあり、それに賛成しそうな介護者は恐ろしい。RT @chosuke0 そんな思想で仕事が老人の介護って、聞いて笑わせるぜ!

2013-03-26 19:58:10
リンク Ashley事件から生命倫理を考える 2013年3月20日の補遺 - Ashley事件から生命倫理を考える - Yahoo!ブログ カナダのBC州で去年出た、PAS禁止の違憲判決 の上訴審。上訴したカナダ政府の意見陳述などニュースが続々出ていて、全然読めていないのだけど、せめて一つくらいは拾っておく。 http://www.theglobeandmail.com/new...
リンク Ashley事件から生命倫理を考える 「ターミナルな病気」という新分類と、そこから見えてくるもの - Ashley事件から生命倫理を考える - Yahoo!ブログ 前のエントリー で触れたように、 米国GA州でALS男性が「臓器提供安楽死」を希望している件で CNNのキャスターがALSを「ターミナルな病気」と紹介したことから 去年の暮れに書いた文章をアップしてみたくなったので。 「ターミナルな病気」と...

 
 
●spitzibara氏のブログ【Ashley事件から生命倫理を考える】から引用:

 「2013年3月20日の補遺」

2013/3/20(水) 午後 9:54
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/66189387.html

『   (....省略....)

米国の高齢者3人に1人が認知症で死んでいると米国アルツハイマー病協会からの報告書。心臓病その他の死因は減っているのに対して、アルツハイマー病で死んだ人は2010年までの10年間で68%も増加。報告書本文はこちら ⇒http://www.alz.org/alzheimers_disease_facts_and_figures.asp
http://www.medicalnewstoday.com/articles/257882.php

    (....省略....) 』
 

 

 


●spitzibara氏のブログ【Ashley事件から生命倫理を考える】から引用:

 「「ターミナルな病気」という新分類と、そこから見えてくるもの」

2010/8/10(火) 午後 2:46
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/61336847.html

前のエントリーで触れたように、
米国GA州でALS男性が「臓器提供安楽死」を希望している件で
CNNのキャスターがALSを「ターミナルな病気」と紹介したことから
去年の暮れに書いた文章をアップしてみたくなったので。

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「ターミナルな病気」という新分類と、そこから透けて見えてくるもの

ここしばらくterminal という言葉にこだわっている。欧米で加速する一方の自殺幇助合法化議論(2月号当欄で紹介)を継続して追いかけていると、その中で、いつからか terminal illnessという見慣れない表現が目に付くようになった。見るたびに感じていた違和感がついにはっきりした疑問となったのは、先日、ALS患者の自殺幇助事件で「この人にはターミナルな病気があった」と書くニュースを立て続けに読んだ時──。

「ターミナルな」というのは病気を問わず、あくまで病状の段階を指す形容詞だとばかり思っていた。「ターミナルな患者(terminal patient)」や「ターミナルな病状(terminally ill)」ならともかく、「ターミナルな病気」……? ALS患者の中には適切なケアで長く生きる人があるにもかかわらず、「ターミナルな病気」というと、まるでALSの人がみんな余命わずかみたいに聞こえてしまう……と、拘泥していたら、なんと次に聞こえてきたのは「認知症はターミナルな病気」だった。

◎「認知症はターミナルな病気」

 The New England Journal of Medicine誌の10月号で米国国立衛生研究所(NIH)の研究「終末期における末期認知症ケアのための選択、姿勢、そして戦略(CASCADE)」の結果が報告されている。ボストン地域のナーシングホームで認知症が進行した患者を18ヶ月にわたって調査したところ、約6割が調査期間中に死亡。認知症が肉体的な症状を伴う病気であること、末期には合併症が起きることへの認識が十分でないために、本人の利益にならない過剰な医療が行われていることが明らかになった。そこで強調されるのが「認知症はターミナルな病気である」。その事実を医師も家族も法定代理人も、みんなでしっかり認識して、無益な医療を求めるのではなく緩和ケアを選択するように、というのが趣旨のようだ。

しかし「認知症の末期には合併症が起こることを理解しておこう」と言うことと「認知症はターミナルな病気であると認識しておこう」と言うことの間には、ずいぶん非科学的な飛躍があるのではなかろうか。
 
◎終末期プロトコルの機械的適用で脱水死

英国では9月、緩和ケアの専門医数名がthe Daily Telegraph紙に手紙を書いて、終末期医療現場での“思考停止”状態を告発した。英国医療技術評価機構(NICE)は2004年から、死にゆく患者の苦痛を軽減するために作られた看取りのプロトコル「リバプール・ケア・パスウェイ(LCP)」を推奨しているが、このLCPがターミナルと分類された患者に機械的に適用されているというのだ。まだ回復の余地のある患者までが水分と栄養、治療薬を引き上げられ、死ぬまで重鎮静にされるなど、本来は「尊厳のある死を」と作られたLCPが、手をかけずに患者を死なせる自動的な手順と化している、と。

この告発から間もない10月13日、ある裁判の和解が報じられて話題になった。2005年に癌が再発し、もはや打つ手はないと診断されてリバプールのホスピスに入ったJack Jonesさん(76)は、栄養も水分も与えられず2週間で死亡した。しかし死後になって、癌は再発しておらず死因は肺炎だったことが判明したのだ。病院側はJonesさんにLCPは適用していないと主張するが、患者が機械的に分類され、一旦ターミナルと分類されると、症状の観察も再評価もなく分類だけが一人歩きしているのでは……と、このニュースも終末期医療のあり方に大きな疑問を投げかけた。

◎緩和ケアとはアグレッシブな症状管理と支援

NEJMの10月号には、NIHの研究論文以外にも、緩和ケア専門医の論説が同時掲載されている。認知症患者の終末期ケアをグレードアップして、痛みや不快をもっと丁寧にケアすべきだと訴える内容。「アグレッシブな医療か医療なしかの2者択一ではない。緩和ケアとはアグレッシブに細やかに、症状管理に重点を置いて患者と家族をサポートすることだ」という部分は、NIHの論文への鋭い反論ではないだろうか。

ちなみにterminal illness という用語、実は英語版ウィキペディアには既に存在している。「不治で有効な治療法がなく、患者を死に至らしめることが予測される進行性で悪性の病気のこと」。なるほど、「どうせ死んでしまう病気」なのだから金も手間もかけることはない、という文脈で使われるものらしい。でも、それを言うならALSや認知症の人だけでなく、生まれてきた瞬間から人は誰もが、その悪性病にかかっているのだけど……? 
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『世界の医療と介護の情報を読む』「介護保険情報」2009年12月号 p.77

【関連エントリー】
”終末期プロトコル“の機械的適用で「さっさと脱水・死ぬまで鎮静」(英)(2009/9/10)
肺炎なのに終末期ケアで脱水死(英)(2009/10/14)
「認知症患者の緩和ケア向上させ、痛みと不快に対応を」と老年医学専門医(2009/10/19)
「認知症はターミナルな病気」と、NIH資金の終末期認知症ケア研究(2009/10/19)

「認知症末期患者のビデオを見せて延命治療拒否の決断を促そう」とMGHのお医者さんたち(2009/6/5)
モンタナの裁判で「どうせ死ぬんだから殺すことにはならない」(2009/9/3)