重さの霊

『ツァラトゥストラ』(ニーチェ著・手塚富雄訳/中公クラシックス版 Ⅱp92-100)
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ツァラトゥストラ @Zarathustar

(Ⅱp92-100第三部「重さの霊」)わたしの弁舌は――民衆のそれである。わたしは絹毛の兎に聞いてもらうには、あまりに乱暴に率直に語る。そしてわたしのことばはすべてのインキ魚(いか)とペン狐にとっては、いっそう耳慣れぬものとして響く。

2010-09-10 16:07:54
ツァラトゥストラ @Zarathustar

わたしの手は――落書き好きの阿呆の手である。すべての机と壁、また阿呆の装飾癖とぬたくり書きの癖をそそる余白をもっているものは、災難である。

2010-09-10 16:08:05
ツァラトゥストラ @Zarathustar

わたしの足は――駿馬の足である。この足でわたしは広野をまっしぐらに、また縦に横に十文字に走る。そしていつも疾駆の喜びに夢中になる。

2010-09-10 16:08:12
ツァラトゥストラ @Zarathustar

わたしの胃は――鷲の胃であろうか、子羊の肉を最も好むから。いずれにせよ、それは空飛ぶ一羽の鳥の胃である。

2010-09-10 16:08:18
ツァラトゥストラ @Zarathustar

とるに足りない物をわずかの量だけ摂ることで身を養い、いつも飛ぼう、飛び去ろうという気短な身構え、これがわたしの性癖だ。それは鳥の性癖をもっているとは言えないだろうか。

2010-09-10 16:08:24
ツァラトゥストラ @Zarathustar

そしてとくに、わたしが重さの霊の敵であること、これこそ鳥の性癖である。まことにそれは不倶戴天の敵、宿敵、根本の敵である。おお、わたしのこの敵意はすでに八方にむかって翼をふるったのだ。

2010-09-10 16:08:30
ツァラトゥストラ @Zarathustar

それについてわたしは一篇の歌曲をうたうことができるくらいだ――そしていまそれを歌おうと思う。もっともわたしは森閑とした家にただひとりいて、それを自分自身の耳に歌って聞かせるほかはないのだが。

2010-09-10 16:08:40
ツァラトゥストラ @Zarathustar

もちろん、ある種の歌い手たちは、会場が満員になってはじめて、その喉はやわらかになり、その手は能弁になり、その目は表情をまし、その心はいきいきとしてくる。――わたしはそういう歌い手ではない。

2010-09-10 16:08:48
ツァラトゥストラ @Zarathustar

将来いつの日か人間に飛ぶことを教える者は、いっさいの境界石を移したことになる。かれにとっては境界石そのものが、いっせいに空に舞い上がったも同然である、大地にかれは新しい名を与えるだろう――「軽きもの」と。

2010-09-10 16:09:14
ツァラトゥストラ @Zarathustar

駝鳥は、最も速い馬より速く走る。しかしその駝鳥も、重い大地に頭を重々しく突き入れる。まだ飛ぶことのできない人間もそうである。

2010-09-10 16:09:19
ツァラトゥストラ @Zarathustar

かれは、大地と生を重いものと考える。重さの霊がそう望むのだ。だが、重さの霊に抗して軽くなり鳥になろうと望む者は、おのれみずからを愛さなければならない――それがわたしの教えである。

2010-09-10 16:09:29
ツァラトゥストラ @Zarathustar

もちろん病患の者たちの愛で愛するのではない。病患の者たちにおいては、自愛も悪臭をはなつ。

2010-09-10 16:09:35
ツァラトゥストラ @Zarathustar

人はおのれみずからを愛することを学ばなければならない、すこやかな全き愛をもって。――そうわたしは教える。おのれがおのれ自身であることに堪え、よその場所をさまよい歩くことがないためにである。

2010-09-10 16:09:42
ツァラトゥストラ @Zarathustar

こういう、よその場所をさまよい歩くことが、「隣人愛」と自称しているのである。このことばで、今までに最もはなはだしい嘘がつかれ、偽善が行われてきた、ことに世界を重苦しくしてきた者たちによって。

2010-09-10 16:09:48
ツァラトゥストラ @Zarathustar

そしてまことに、おのれを愛することを学びおぼえよという命令は、きょうあすに達成できるようなことではない。むしろそれは、あらゆる技術のうちで、最も微妙な、最もこつよ忍耐を必要とする、最終的な技術である。

2010-09-10 16:09:54
ツァラトゥストラ @Zarathustar

という意味はこうである。真に自己自身の所有に属しているものは、その所有者である自己自身にたいして、深くかくされている。地下に埋まっている宝のあり場所のうち自分自身の宝のあり場所は発掘されることがもっともおそい。――それは重さの霊がそうさせるのである。

2010-09-10 16:10:00
ツァラトゥストラ @Zarathustar

ほとんど揺籃のなかにいるときから、われわれは数々の重いことばと重い価値とを持ち物として授けられる。「善」と「悪」――これがその持ち物の名である。この持ち物をたずさえているのを見とどけて、人々はわれわれにこの世に生きることを許すのである。

2010-09-10 16:10:08
ツァラトゥストラ @Zarathustar

また人々が幼子たちを引き寄せて愛護するのは、幼子たちがおのれみずからを愛するようになることを早い時期から防ぐためなのだ。こういうことも重さの霊のせいである。

2010-09-10 16:10:23
ツァラトゥストラ @Zarathustar

そしてわれわれは――人々から持たされたものを、忠実に運んで歩く。こわばった肩にのせ、険しい山々を越えて。われわれが汗をかくと、人々はわれわれに言う、「そうだ、生は担うのに重いものだ」と。

2010-09-10 16:10:31
ツァラトゥストラ @Zarathustar

だが、重いのは、人間がみずからを担うのが重いだけの話である。そうなるのは、人間があまりに多くの他者の物をおのれの肩にのせて運ぶからである。そのとき人間は、駱駝のようにひざまずいて、したたかに荷を積まれるままになっている。

2010-09-10 16:10:37
ツァラトゥストラ @Zarathustar

ことに、畏敬の念のあつい、重荷に堪える、強力な人間がそうである。かれはあまりに多くの他者の重いことばと重い価値の数々を身に負う。――そのとき生はかれには砂漠のように思われるのだ。

2010-09-10 16:10:42
ツァラトゥストラ @Zarathustar

だが、まことに、人間が真に自分のものとしてもっているものにも、担うのに重いものが少なくない。人間の内面にあるものの多くは、牡蠣の身に似ている。つまり嘔気をもよおさせ、ぬらぬらしていて、しっかりとつかむことがむずかしいのだ――。

2010-09-10 16:11:07
ツァラトゥストラ @Zarathustar

ところが、しばしばこういうことも起こる。貝殻がみずぼらしくて、悲しげで、あまりにも貝殻そのものであるために、人間のもつさまざまの特質が見すごされるのである。こうして多くの隠された善意と力がついに察知されることがなく、このうえもない美味が、その味わい手を見いださない。

2010-09-10 16:11:12
ツァラトゥストラ @Zarathustar

女たち、この、最も外見の美しいものたちは、その消息を知っている。もう少し太りたいとか、もう少し痩せたいとかが、彼女たちの苦心である。――おお、どんなに多くの運命の転変が、このようにわずかなことにかかわっていることか。

2010-09-10 16:11:17