芦田宏直先生の連続ツイート 学校教育とは何か。「できない学生」ほど大学に行くべきだ。
さて、そろそろ時間がなくなってきました(笑)。ここには、大学の先生も高校の先生も来られているし、筑波大の土井隆義の若者論も出してきたのですから、これまでの議論を集約しながら〈教育〉とは何かについて、最後に私の考えをまとめておきたいと思います。
2013-04-24 23:50:17私は、教育とは〈新人〉の産出・発見 ― ハイデガーはこれを「目撃」(Augenblick)と呼んでいました ― だと思っています。〈学校教育〉が〈生涯学習〉と(臨教審思想に反して)異なるのは、学校教育は若者の教育であり、次世代(ながーい時間)を形成する人材の形成だということです。
2013-04-24 23:50:35新卒人材の「即戦力」論というのは間違っているわけです。経産省も文科省さえも「即戦力」論は、中途採用者の概念だと最近やっと言い始めるようになってきました。
2013-04-24 23:50:52〈若者〉が育つのは、慣習・風習・伝統の中においてのこと。偏見・先入見もその中に加えていいのかもしれない。いずれにしても、「若い」というのは、〈先にあるもの〉にまずは支配されているということです。身近で言えば〈家族〉や〈地域〉に学生を含めた子どもたちは先行されています。
2013-04-24 23:51:16「大人になる」というのは、その影響を何らかの仕方でとらえ返せる(引き受け直せる)ということですから、こういった先行性を有した受動的な主体(主体ならざる主体)は、決して生涯学習マーケットのような〈顧客〉や〈消費者〉ではないのです。
2013-04-24 23:51:49さて、彼らは、それら先行するものから直接に“影響”を受けるわけではなく、〈校門〉と〈塀〉に囲まれた《学校》の中で学びます。校門と塀の中は、単に教室の中に閉じ込めるためと言うよりも、広大なキャンパスに支えられた遊動空間です。
2013-04-24 23:52:24ジェネラルエデュケーション(国語・算数・理科・社会・英語)→リベラルアーツ(シェークスピアやアリストテレス)の軸は、近代がテクノロジー(根源は、ギリシャ的なテクネー)における〈新人〉を発掘するための装置です。
2013-04-24 23:53:01人間だけが、生の威力に押し出されるように時間を過去から未来へと追随させる ― 機能主義的、心理主義的な述語収集は、いつもこのリニアな時系列にそって動いているわけですが ― のではなくて、その時間を溜めること、解釈(=再解釈)することができる。
2013-04-24 23:53:39〈新人〉というのは、既に在るもの(慣習・風習・伝統・偏見・先入見、そして親やふるさとなど)を何度も何度も解釈し続けて、世の中=世俗(自然時間)に登場してきます。既に在るものをもう一度既に在るものの時系列へと落とし直すわけです。
2013-04-24 23:54:08世俗(先行する第一の多数決)から世俗(第二の多数決)への展開は、結果だけ見るといつも多数決の機能主義的、心理主義的勝利のように見えますが、実は第二の多数決は、最大の抵抗と矛盾を含んでいます。¬¬¬
2013-04-24 23:54:25“新しい”人は認められる必要がある。認められるというのは、何らかの権威によってでしかないわけです。権威とはそれ自体が多数決の結果であるわけですから、認められた新人はすでに新人ではない。
2013-04-24 23:54:52認める人も、一瞬、新人「である」必要がある、認められる人も、一瞬、伝統「である」というプロセスが、“新人発掘” “新人登場”という出来事、ハイデガーの言う「目撃Augenblick」であるわけです。
2013-04-24 23:55:05作家が処女作へと収斂するのは、この二つの振幅の最大値が〈新人賞作品〉だからです。最大の抵抗に遭った作品が新人賞作品です。〈新人〉とは、終わりを始める人(ハイデガー)なのです。
2013-04-24 23:55:36新人登場のプロセスは、「因果」でも「相関」でもない、ましてや「論理的」でもない非機能主義的な出来事です。「才能があった」「出るべくして出た」ともっともそうに理屈が付きますが、それはいつも後になってからのことです。結果論にすぎない。
2013-04-24 23:56:10国木田独歩が言ったように、どんな曲がった道でも、後から見れば、一本道でしかない。つまり本来の“曲がった時間”とは、その「一本道」との断絶の中で曲がっているのです。機能主義的な述語化に抗うのが、この“曲がった時間”なのです。
2013-04-24 23:56:26このパワーは、大衆的な規模で言えばキャンパスの「遊動」の中からしか出てこない。「遊動」とは、実は〈ストック〉のことです。無駄に大きな図書館。無駄に長いアプローチ。大小いくつもの大きさの教室。建物よりも数倍、数十倍も広い大きなキャンパス。これらは世俗の時間を曲げるパワーなわけです。
2013-04-24 23:57:28大地震が起こり、原発がメルトダウンし、多くの人々が路頭にさまよっても、うれしそうな顔をして地震や津波の「専門知識」を語り、原子力の「専門知識」を語る「遊動」学者の登場。飛行機が落ちても、戦争が起こっても、デフレでもインフレでも、そういった「遊動」学者がテレビや新聞に登場する。
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