徳川家と会津がなぜ薩長に敗れたか

もとは幕府側だったはずの薩摩が秘密裏に薩長同盟を結んでいたせいで、 第二次長州征伐に敗れて武門の棟梁としての「権威」が傷ついた時点で幕府はオワコンだったが、 慶喜が「大政奉還」(により有力大名として実力を維持する)という寝技に持ち込んだところを、 さらに薩長が「王政復古」という大技でひっくり返した
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itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X お待たせしました。ご質問は「慶喜と容保、徳川家と会津がなぜ薩長に敗れたか」ということでよろしいでしょうか。「ここが気になる」という箇所をご指定いただければ、そこを基点にして説明したいと思います。

2013-05-26 21:57:56
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X またそれとは違う質問でも構いません。いつでもどうぞ。

2013-05-26 21:58:47
甲斐シュンスケ @Shunsk_X

@itzk_k はい、ではその内容でお願いします。無学をさらすかもしれませんが、どうかご容赦ください。

2013-05-26 22:10:28
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X 了解しました。では、ここしばらくの大河を見ていて「ここが気になった」というところはありますでしょうか。そこをとっかかりにしようと思いますので、ご指定いただけると助かります。「ここ」はできごとでも人物でも、その他のものでも構いません。

2013-05-26 22:12:25
甲斐シュンスケ @Shunsk_X

@itzk_k そうですねー……朝敵として一度駆逐されたはずの長州が気づいたら官軍になっていたこと(どういうルートで?ちゃんと信頼されてるの?)、薩摩が朝廷の権威を得ることができた理由、官軍がどうしてこんなに圧倒的に強く見えるのか、がよくわかってないです。

2013-05-26 22:22:51
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X 了解です。次から順番にリプライしていきますが、時間がかかるかもしれません。なにかほかのことをしながら、ときどき確認していただければと思います。

2013-05-26 22:27:25
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X まず長州や薩摩ですが、長州が都から追われることになった八月十八日の政変以前から、彼らを含めた有力諸藩は朝廷にさまざまなアプローチをかけていました。具体的には、位の高い公卿を味方につけて有利な発言、行動を朝廷でしてもらうことです。

2013-05-26 22:30:29
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X そこで優位に立った長州が攘夷の即時実行を朝廷からの命令として幕府や諸藩に命じようとし、それに危機感を抱いた薩摩が会津その他の諸藩と組んで彼らを追い出したのが八月十八日の政変です。一種の(無血)クーデターですね。

2013-05-26 22:32:24
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X このとき、長州派の主な公卿たちも一緒に追い出されたんですが(これを「七卿落ち」といいます)、それでも朝廷には親長州の公卿たちが残っていました。彼らは機会を見つけては、長州の罪を許すよう働きかけたりしていましたが、やはり後ろ盾がないだけにあまり効果を挙げられず。

2013-05-26 22:35:03
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X あ、話は前後しますが、諸藩が公卿の後ろ盾になるというのは、つまりお金を出すということです。これを使ってその他の人々を説得する。あとはその藩の武力、あるいは傘下においてる浪士たちのテロをちらつかせていうことを聞かせる、というのが主なやり方でした。

2013-05-26 22:37:58
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X ここで改めて浮上するのが薩摩です。長州が突出するのを恐れて会津と組み、都での主導権を握った彼らは、ここまでは公武合体派でした。帝を奉じ、徳川家や有力諸藩で作ったゆるやかな連合体で政治を行うというもの。

2013-05-26 22:40:51
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X ところが、その後のさまざまな事件に対する幕府の対応のまずさ、今後の展望の乏しさ、そしてなにより幕府が公武合体ではなく徳川家絶対主義、あるいは徳川家有利のまま連合体ができることに新たな危機感を覚えます。このままでは自分たちの影響力が小さくなる。

2013-05-26 22:43:21
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X そこで薩摩が目をつけたのが、かつて自分たちが追い出した長州です。彼らは禁門の変に敗れて朝敵となり、さらに幕府の長州征伐という二重三重の苦難にあくまでも立ち向かうという姿勢を示し(内部ではすさまじい闘争がありましたが)、そこに薩摩は手を組むメリットを見出します。

2013-05-26 22:45:55
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X ここで、薩摩はひそかに長州と同盟を組むことにするかたわら、外国と直接取引できない彼らの代わりに武器を買い付けて送ります。また朝廷に対しては、親薩摩派公卿、あるいは残っている長州派公卿の後ろ盾になることで、長州を許すよう働きかけます。

2013-05-26 22:47:51
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X その一方、表側では長州征伐の重要な役職に就いた西郷隆盛が長州への処罰をなるべく軽くするよう進言し、第二次長州征伐では薩摩藩の出兵すら拒否します。これらの力もあって、新式装備に身を固めた長州軍は圧倒的多数の幕府軍を打ち破ります。

2013-05-26 22:50:49
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X ここから大事なのは「権威」です。ひとつは朝廷、つまり帝の持つ権威。これを手に入れれば、勅命として他者へ命じることができるようになります。逆らったら朝敵、つまり「官」に逆らう「賊」ですね。

2013-05-26 22:52:45
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X 八月十八日の政変後は会津や一橋など、親幕府勢力がこれを握っていましたが、その一角に食い込んでいた薩摩がひそかに裏切ったかっこうです。しかもこのころ孝明天皇と14代将軍・家茂があいついで亡くなったために、朝廷内の新幕府勢力が大きく減退します。

2013-05-26 22:55:08
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X ここで一気に主導権を取りにきたのが薩摩。次の帝を自分たちの子飼い(といっていいほど密着していた)の公卿が関わっている宮様から選び出し(これが明治天皇です)、朝廷内部の空気を親薩摩、あるいは長州のものにしてしまいます。

2013-05-26 22:57:28
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X 幕府方は新将軍選出、京都と江戸の調整不足などがたたり、有効な対策を取れないまま薩摩らに朝廷を握られてしまいます。また、長州征伐に敗れたことで幕府の「権威」、つまり武門の棟梁としてのそれが傷ついたのも大きいものでした。

2013-05-26 22:59:33
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X これまで最強だったはずの徳川家が負けたことで、彼らの力の根源が疑われるようになってしまったのです。この状況で、薩摩と長州が朝廷を国内最高位の「権威」として持ち出し、その命に従えと幕府と全国に発信したわけです。

2013-05-26 23:02:12
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X 幕末の混乱の大きな要因は国内最高位の「権威」がどこにあるかがはっきりさせられないことにあったのですが、これまで紆余曲折ありながらも並び立っていた朝廷と幕府のうち、前者が後者に勝るとはっきり示されたわけです。

2013-05-26 23:04:22
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X その「権威」の序列は、下位とされた幕府方の人々にとっても従わなければならないものでした。だからこそ、鳥羽伏見の戦いで錦旗が出てきたとき、会津や幕府方諸藩の心が折れてしまったのです。「自分たちは<賊>だったのか!」という衝撃とともに。

2013-05-26 23:07:17
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X 個人レベルの話をすれば、慶喜はもともと徳川御三家のひとつ、水戸家の出身でした。水戸は徳川家の中でもやや異色で、特に朝廷を重んじる朱子学をよく学んでいました。そういう環境で育った慶喜にとって、自分が賊軍になるというのは耐えがたいことだったと思います。

2013-05-26 23:09:35
itozaki_kei/イトザキ ケイ @itzk_k

@Shunsk_X ひとまず以上です。途中の経過をかなり端折りましたが、いかがだったでしょうか、もし不明な点などありましたら、また遠慮なくご質問いただければ幸いです。連投失礼しましました。(おわり

2013-05-26 23:11:03

ケーキ様を責めないで