佐藤誠市氏によるナムコにまつわる話

「ボスコニアン」の企画をはじめ数々のナムコのゲーム作品に関わった佐藤誠市氏が、読書の所感などにナムコでのエピソードを交え、さまざまなお話をツイートされています。 大変貴重なものであると思いますので、まとめてみました。(随時更新) ※ http://togetter.com/li/179133 から1年ほど間が空いたため、新規に作成しました。 ※ 「ファミコンとその時代」をきっかけにしたツイートは別にまとめました。 http://togetter.com/li/530829
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サッカーW杯とラグビーのゲーム

佐藤誠市 @SugarSeisan

釜本さんは結局正しかった。大会が始まる前にテレビで日本のグループリーグ突破確率はと司会者から尋ねられたとき25パーセントと答えていた。共演者や観覧客から大ブーイングがあった。そのせいか次にテレビに出たときは50パーセントに上げていた。でもその根拠は4チーム中2チームだからいう。

2014-06-26 10:36:59
佐藤誠市 @SugarSeisan

釜本さんは日本の実力をよく知っていたことになる。太平洋戦争で絶対に勝てないアメリカになぜ戦争を起こしたのかという批判をする人がいるが、今回グループリーグで敗退したことを非難する人は、同様だと思う。最初から25パーセントだと思えば、よく頑張ったと言えるだろう。

2014-06-26 10:40:45
佐藤誠市 @SugarSeisan

その昔「日本のサッカーは世界に通用しないからサッカー選手は別のスポーツをやるべきだ」と書いてあった本を読んだことを思い出した。KISSYがファミスタのあと何のスポーツゲームを作るか考えていたときなので多分87年ぐらいのことだと思う。KISSYが試作していたのはラグビーであった。

2014-06-26 10:44:44
佐藤誠市 @SugarSeisan

ファミリーコンピュータで野球を出した後なので漠然と次はサッカーでもやるのかなと思っていたら、3人ずつのフォワードがスクラムを組んでいる試作品を見せてもらった。その時私は第二次ラグビーブームとでもいうべきマイブームが来ていてラグビー関連の本を集めたりしていたので意見を聞かれたのだ。

2014-06-26 10:48:31
佐藤誠市 @SugarSeisan

その集めた本の中に先の言葉があったのである。「サッカーは世界に通用しないから大事なアスリートが無駄になる、だからラグビーをやるべきだと」確かにその頃はJリーグもなければワールドカップってなにそれというような時代だった。だがラグビー好きの私でもそれは言い過ぎでしょうと思った。

2014-06-26 10:51:26
佐藤誠市 @SugarSeisan

ラグビー好きの私でも世界に通用するのはラグビーではなくサッカーの方だろうと思っていたからだ。日本人の体格では肉体的接触のあるものほど世界に通用しなくなる。勿論柔道・レスリングなどの個人競技の格闘技などは除くが。球技では肉体的接触のないバレーボールではなんとかなるがバスケットは?

2014-06-26 10:55:09
佐藤誠市 @SugarSeisan

サッカーにしても肉体的接触の少ないパスサッカーを選択するしかないのである。ラグビーは肉体的接触を無くすことは不可能でありサッカーよりもさらに不利である。とはいえ野球やサッカーに取られているアスリートをラグビーに引っ張って来たいと思ってのラグビー愛からの暴言だと思いたい。

2014-06-26 10:59:59
佐藤誠市 @SugarSeisan

結局の所、ファミコンでのラグビーはお蔵入りになってしまった。ラグビー自体マイナー競技と言うこともあるが、ファミコンの性能では15対15ではやれず、その当時はさらにマイナーな7人制のラグビーしかできないというのもあったと思う。ラグビーの人気はその当時とさして変わってない気がする。

2014-06-26 11:05:34
佐藤誠市 @SugarSeisan

19年には日本でラグビーのワールドカップが開催されるが盛り上がるだろうか?それに合わせてラグビーゲームを作ろうというゲーム会社は出てくるだろうか?日本チームの活躍次第でその後にブームがくるだろうか?それとも「日本のラグビーは世界に通用しないから別の競技に人材を投入せよ」となるか?

2014-06-26 11:10:25
佐藤誠市 @SugarSeisan

でも世界に通用しなくても大学ラグビーは見ていて楽しい。毎年選手が替わるし、第一対抗戦などは強豪校と弱小校が試合をやる。弱小校の工夫が見られたときは最高である。弱くても勝てる時があるのである。今は強いところが勝つという事が続いているがアイデアで勝って欲しい。楽しませてもらいたい。

2014-06-26 11:19:53

『うたばん』に出てきた『ファイナルハロン』

佐藤誠市 @SugarSeisan

VHSテープの整理をしていると『うたばん』の録画が出てきた。滅多に歌番組は録画していないのでびっくりして中身を見ることに。なぜか急に番組が始まっているので予約録画したものではなく急に録画し始めたもののようだ。ホリケンとベッキーの『ホリケンサイズII』という歌が最初に入っている。

2014-10-20 10:30:28
佐藤誠市 @SugarSeisan

ホリケンを録画したかったからではなくやはりベッキーが目的だったのだろう。そうか俺はベッキーのファンだったのか?ネットで調べると2003年の曲である。Ohaガールとかで気になっていたのだろう。そういえばテレビ神奈川の『saku saku』であかぎあいとか木村カエラも見ていたっけ。

2014-10-20 10:36:47
佐藤誠市 @SugarSeisan

サラリーマン生活も20年以上経ち、生活に潤いがないなと感じていたとき、ベッキーやあかぎあい・木村カエラなどが出てくる朝の番組で潤いを取り戻していたことを思い出す。でもベッキーの唯一のギャグ「ドント・タッチ・ミー」は言葉の強さといい表情の怖さといい男性のトラウマになりそうだ。

2014-10-20 10:40:06
佐藤誠市 @SugarSeisan

ベッキーの部分はテープの同期があっていないのか横線が入ってしまっていて鑑賞に耐えない。ではどうして録画したままになっているのだろう。基本女性歌手しか興味がないので好きな歌手が映っているのだろうかと早送り。松浦亜弥が出てくる。CDやDVDを1・2枚持っているがそんなにファンでもない

2014-10-20 10:45:03
佐藤誠市 @SugarSeisan

前田健のあややのものまねを見てからは本人の姿を見るたびになぜか笑ってしまっている自分に気がつく。自分の中ではアイドルという感じがしない。それでは何故と思ってさらに早送り。後藤真希が出てきて初めて納得。といってもこちらもファンではないのだがトークに録画を残した理由があったのだ。

2014-10-20 10:48:58
佐藤誠市 @SugarSeisan

『うたばん』にお願いということでゲームセンターでは恥ずかしくてやれないゲームをやらせて欲しいとのこと。競馬の騎手になるゲームをやりたいということでナムコの『ファイナルハロン』をスタジオに持ち込んでみんなでやるという所があったので消さずに残していたのだと思う。

2014-10-20 10:52:27
佐藤誠市 @SugarSeisan

ただ『ファイナルハロン』という言葉はついにでなかった。仕方がないことか。その会話の中でとんねるずのタカさんはゲーセンで一心不乱に太鼓をたたいている女性を見たと言うときも『太鼓の達人』という名前は出て来ないし、中居君もダンスのゲームをやってギャラリーを集めたという話しをしたときも

2014-10-20 10:56:42
佐藤誠市 @SugarSeisan

『ダンス・ダンス・レボリューション』という名前は出て来なかった。ネーミングを時間をかけてやっていたみにとってはつらいものがあるが、太鼓のゲーム・ダンスのゲーム・乗馬のゲームというということで語られることも悪くはない気がする。テープは捨てるがこの部分はHDDにダビングしておこう。

2014-10-20 11:00:59
佐藤誠市 @SugarSeisan

『ファイナルハロン』は操作部が馬の手綱になっているのが異様であるが随分昔のアイデアではなかったか?80年代にいろんな操作部を考えてみるという時に出てきた案の様な気がする。ラリーXの企画をやった伊藤さんという人のアイデアだったと思う。会議では受けたがそのまま製品には繋がらなかった。

2014-10-20 11:05:36
佐藤誠市 @SugarSeisan

この時のアイデアが『ファイナルハロン』の開発に繋がったかどうかは私は知らない。伊藤さんは『ゼビウス』の原形の『シャイアン』のそのまた原形のゲーム案を考えた人でもある。まあ本人としては『ラリーX』の企画の延長として自機が画面中央にいて地上攻撃ができるゲームとして企画していたようだが

2014-10-20 11:09:02
佐藤誠市 @SugarSeisan

自機が画面中央にいて、背景画面が回転・拡大縮小して地上の敵を攻撃するという内容だ。ただまだハードの技術がそこまでやれないので地上攻撃もある空中スクロールものという内容に落ち着いたのだ。開発には0を1にするという言葉が使われることがある。1を製品だとすると伊藤さんのは1にならない。

2014-10-20 11:12:57
佐藤誠市 @SugarSeisan

ただ0を0.1ぐらいにはしているのだと思う。製品にはならないので脚光は浴びない。最後の仕事もギャンブルゲームではないメダルゲームの開発をナムコでもやるべきだという建白書を書いたが、ナムコではメダルゲームは作らないという中村社長の鶴の一声でおじゃんに。あの人らしい生き様だった。

2014-10-20 11:17:38