- K_misa_maguro
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逆説と狂人の論理。通じるのは一見不合理に見えるけれどもその実、合理を突き詰めた結果(としての飛躍)であるという点か。とするなら、違うのはその飛躍の仕方。逆説が純粋な論理の産物であるのに対して、狂人の論理は倫理的常識的ハードルを踏み越えることで生まれる。
2013-08-14 00:28:42云ってみれば、逆説はユニバーサルに応用可能な代物だけれど、狂人の論理はきわめてパーソナルな代物なんじゃないかと。
2013-08-14 00:29:07@K_misa_maguro それを言ってしまうと異世界本格以外の広い範囲で該当してしまうものが多いように思います。まあでも、ずれの程度が異世界本格と狂人の論理が比較的大きいというのは頷けますね。
2013-08-14 00:32:50異世界本格の中でも狂人の論理をやってのけたのは『キッド・ピストルズの妄想』みたいなもの。「ノアの最後の航海」などは彼岸に達した作品。
2013-08-14 00:33:17「異世界本格」というと正確な定義が問題になってしまうので、「異世界を舞台にした本格ミステリ」とくくった方が良かったかな。で、異世界が舞台の本格ミステリも、犯人と読者の距離感によって二種類に分かれると思うのです。(この辺友人の受け売り)
2013-08-14 00:33:34「一眼国」で描かれているのは(色々な言い方があるとは思いますが)マジョリティとマイノリティの逆転ですね。それによって駆逐する側とされる側がぐるりと入れ替わる。
2013-08-14 00:33:45さっき「倫理」「常識」という言葉が出ましたが、その「倫理」「常識」自体に揺さぶりをかける。それが、「異世界本格」の特徴かな、と思います。
2013-08-14 00:35:48そもそも京極作品ならば、やはり彼岸の論理と言った方が良い様な気はします……。登場人物が誘われやすいというのはありますが、一歩間違えば容易に渡ってしまえる様な理論世界なのではなかろうかと。
2013-08-14 00:36:37実際、雨宮の理論を増岡は理解出来てしまってますし、陰摩羅鬼の伯爵は彼岸の理論という距離感にいたからこそ、憑き物落としで中禅寺側の世界に行けたのではなかろうかと。ミステリでは無くて怪談の理論ぽくなりますが。
2013-08-14 00:38:01ただ、その揺さぶりがないと作品としては成功しないのではないか、というのが私の雑感です。どんなに良くできた嘘つき村のパズルでも、本格推理小説とは呼べないように。
2013-08-14 00:40:49→その異世界でないと成立しない事件が起こっている、という点は同じであっても、「犯人の発想は読者の常識の範疇に収まっている(論理部分は現実世界そのまま)」場合と、「犯人の行動はその世界の住人でないと思い付かない発想に基づいていた(読者の常識とはずれがある)」場合とがあって、→
2013-08-14 00:41:06狂人の論理って、要は「過程は正しいけど結論や前提が一般的には受け入れ難い理屈」のことでしょう? 異世界本格における論理は「特殊な前提に立った理屈(過程は正しく、結論は前提に準ずる)」。
2013-08-14 00:41:11例えば、西澤保彦の『殺意の集う夜』なんかは大量殺人犯が、自分が殺していない唯一の人間は誰が殺したのか推理する物語。 これは読者に「ここまで狂っていますよ」という手札を見せているのよ。いわばオチから始まっているのね。そのオチまでを隠し続け、伏線を貼るのが「狂人の論理物」の面白い所。
2013-08-14 00:42:15→後者の場合は読者の常識と犯人の発想の間に大きなずれがあるという点において、狂人の論理と共通しているのではないか、というのが言いたかったことです。
2013-08-14 00:43:03逆説ってのはよくわからんですなぁ。「一見誤りに見えるけど、ちゃんと考えたらあってる」みたいなのを言うのか、その逆なのか。
2013-08-14 00:43:18@K_misa_maguro 横槍で申し訳ありませんが、狂人の論理といわゆる異世界本格ミステリとは、表面的な効果は似ていても、本質的には別のものだと思います。
2013-08-14 00:43:27