吉本隆明論 #吉本隆明

吉本隆明の思想についてメモしていきます。
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クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

そしてこのような心的世界の本質にたいして、末端を可能性としてたえず開放しているようにみえる感覚は聴覚と視覚だけであるために、このふたつの 感官は、他の感官にたいしても、また動物の感官にたいしても特異な位相をしめすようになたとかんがえることができる。”(吉本隆明)

2013-11-11 17:26:47
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

再:”なぜ、人間は聴覚と視覚に特異な位置をもつようになったのか? ・・・心的な存在としての人間は、不可避的に関係の意識を<多様化>し、また<遠隔化>してゆく存在である。意志によって拒絶する以外に、心的世界をせばめてゆくことも、停止のままでいることもできない。”(吉本隆明):続

2013-11-11 17:24:53
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

この抽象的な仮像性は、その<概念>(価値=自己表出)の抽象度に応じて、あらゆる聴覚像や視覚像(意味=指示表出)と《錯合》することが可能になる。(注M) #吉本隆明 #心的現象論

2013-11-10 20:10:03
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

《意識》の純粋化(抽象化)を媒介として、<身体>の時空性から構造的(脳構造的)に疎外され、あたかもそれ自体で成り立つかのような<仮象>の 時空性を獲得することになる。(吉本隆明) #吉本隆明 #心的現象論

2013-11-10 20:06:08
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

”また動物の感官にたいしても特異な位相をしめすようになたとかんがえることができる。” (吉本隆明「聴覚と視覚の特異性」『心的現象論序説』)← <多様化>し、<遠隔化>し・・・つまり人間が狩猟時代に身につけていた自然感覚(原感覚) は、”(吉本隆明)続 #吉本隆明 #心的現象論

2013-11-10 20:04:31
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

”停止のままでいることもできない。そしてこのような心的世界の本質にたいして、末端を可能性としてたえず開放しているようにみえる感覚は聴覚と視 覚だけであるために、このふたつの感官は、他の感官にたいしても、”(吉本隆明) #吉本隆明 #心的現象論

2013-11-10 20:03:14
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

”なぜ、人間は聴覚と視覚に特異な位置をもつようになったのか? ・・・心的な存在としての人間は、不可避的に関係の意識を<多様化>し、また<遠隔化>してゆく存在である。意志によって拒絶する以外に、心的世界をせばめてゆくことも、”(吉本隆明) #吉本隆明 #心的現象論

2013-11-10 20:02:15
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

↓《疑似了解》(疑似的に<自己>を了解しようとする時間的な流れ)は《考想化声》や《作為体験》という <幻聴>や<幻視>(<幻覚>という心的パターン)を形成する。(注M)#吉本隆明 #心的現象論

2013-11-10 16:43:16
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

”そのまま《時間》として感ずることができるということである。・・・このばあいの《時間は疑似了解》の作用を代理しうるとみなされる。”吉本隆明 「聴覚と視覚の特異性」『心的現象論序説』) #吉本隆明 #心的現象論

2013-11-10 16:42:37
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

”聴覚と視覚にあらわれた人間の心的な特異性は、聴覚と視覚の空間化度だけが、そのままで《構造的時間性》に転化しうるものだという点に帰せられる。ひらたくいいかえれば、聴覚と視覚のばあいにはある対象を<聴く>ことと<視る>ことは、”(吉本隆明):続 #吉本隆明 #心的現象論

2013-11-10 16:41:17
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

↓ 言葉の<韻律化>と言語における<像>の発生について語られている。

2013-10-12 11:47:46
芦田宏直 @jai_an

昔、高橋和巳が吉本に、「学問というのは究めれば究めるほどわからないことが増えて困ります」と言ったとき、吉本が「そんなことないよ、ここまでは終わったと言えることもその都度増えていく」と答えていたことを思い出す。

2013-09-22 11:04:31
芦田宏直 @jai_an

信心の薄い私は、この良寛の「懶し」を「人はながーい時間をかけてやっと新人になる」「最後の時点でなれるものが新人」だと言う以外にさしあたり言葉が見つからない…年季というものは慣れること、熟練・熟達することの逆なのだということ。(新刊390頁)

2013-09-22 10:53:21
芦田宏直 @jai_an

…吉本の自己表出論の〈自己〉=〈作者〉は、〈主観〉や〈主体〉なのではない。蓮實重彦は、吉本的な挙措、つまり作品の意味を作者に帰属させること、そしてまた帰属性という思考そのものを柄谷と同じように糾弾したが、これも間違い。(新刊http://t.co/Sd8NI3z0DW 399頁)

2013-09-22 10:45:05
芦田宏直 @jai_an

〈表現〉=表出=文学というものは、不可能なものに賭ける営みなわけです。それを吉本は〈悲劇〉と呼んだ。この〈悲劇〉を読み解くことは、作者の〈内面〉に帰属するのではなくて、〈大衆の原像〉に帰属する…吉本は〈大衆の原像〉を作者や言葉の〈帰属性〉とも後々言い代えています。(新刊398頁)

2013-09-22 10:42:55
芦田宏直 @jai_an

私には世紀の対談と思えるくらいの『海』(一九八〇年)の吉本=蓮實対談でしたが、蓮實はまるで大学生か大学院生のように紋切り型のポストモダン作品論しか展開できない。学生のような対応に、吉本は「本気かね」とでも言いたげにどんどん蓮實を追いつめていく。(新刊401頁)

2013-09-22 10:40:33
芦田宏直 @jai_an

指示表出の解体浮力に抗うダイナミクス、つまり作者の〈往相〉(指示表出から自己表出へ)と〈還相〉(自己表出から指示表出へ)の動きを読み取ることこそが吉本にとっての「悲劇の解読」だったわけです。(新刊http://t.co/1joVGudmM6 400頁)

2013-09-22 10:38:11
芦田宏直 @jai_an

ライプニッツ的な「主体」や「内面」も小林秀雄的な「自意識」もすべて吉本から言わせれば「機能主義」でしかない。それは〈大衆の原像〉=〈類〉を忘れた認識論的な跳ね上がり現象なのです。(新刊http://t.co/bBwWQrU21s 400頁)

2013-09-22 10:36:20
芦田宏直 @jai_an

たいがいの言表は、指示表出に解体している…。それを吉本は当日のETV特集出演では「ファンクショナリズム」(機能主義)とも言っていました(これまた誤解されやすい言い方で正確にわかる人は少ないと思いますが)。それこそ、蓮實が糾弾して止まない「制度」「風景」に近い…。(新刊400頁)

2013-09-22 10:34:38
芦田宏直 @jai_an

自己表出は、それがそうあらざるを得なかったという〈必然〉と共に存在しています。つまり〈個〉が〈類〉を担わざるを得ない〈必然〉を吉本は〈悲劇〉と呼んだ。そのように自己表出は悲劇の自己表出であったわけです。(新刊http://t.co/24k6gDTXLj 400頁) 

2013-09-22 10:32:53
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

<生まれること>と<死ぬこと>と、そしてその間にある<全生活過程の底を貫く人間の価値>は「ただの人間」ということにしかない、ということが、いくつかの人の死を真近に見て、すこし分かりかけてきた。昨日も、独りのご老人が亡くなった。身寄りがただの一人もいない、ただ独りだけの人間の死・・

2013-09-20 21:32:49
芦田宏直 @jai_an

吉本の〈自己表出〉論は、もともと〈指示表出〉における機能主義的な言語論を意識していたわけです。ハイデガーも、サイバネティクスを最後まで機能主義と見なして闘ってきましたが、吉本もそうだったのか、それを私なりに整理しなければいけないなと思いました。(新刊276頁)

2013-09-17 16:30:28
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「音楽は郷愁だから」という原点 :「独解、吉本さん」より http://t.co/wma7uKPf23;聴覚は本来的に(鼓膜という感官の存在様態によって)<受動性>として現象する、ということが踏まえられている。それは「郷愁」「デジャブ」「幻聴」の受動性の根源でもある・・・

2013-09-14 21:28:07
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

まとめを更新しました。 「五十音図論あるいは原言語論について #コトバ #言葉http://t.co/5EbKnzHLDj

2013-09-14 20:43:06
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