アカデミックなものとのつきあいかた(その2)
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研究職にいる人々のほとんどは研究シードが途切れることがあってもそのままいつづける。その間くらい支援活動したらいいのになーと思う。と思っていたら、やはり研究所の経営的な観点からそういう話がでてきている。みないやいやなのかどうかはわからない。
2010-10-08 01:19:07実際にはマージナルな人々はいないのに、 どういうわけか研究支援業務が分離されその業務を担当する人々がいてその人々がカテゴリーとしての 支援者の肩書きを必要とはじめているのだが、 自分はそれが行き過ぎてそして固定して組織化するのが困るのではないか、ということだな。
2010-10-08 01:32:56自分自身、研究支援事業・ビジネスを立ち上げることにも付き合ってきたわけだが、そのあたりをいじってくる経営者と思いのままにさせる経営者がいて、それはそれで機能している一方、悩んでいる社員もいる。だが、間違いなく悩んでいるとと認知している人が多く、自分の仕事って何?といってくる。
2010-10-08 01:40:04その時にいつもこういう話をするわけだが、学歴が高い人ほどこのやりくりが大変のようだ。特に感じるのは理系ではないというのもその特徴といえる。あくまでも自分の経験した範囲だが。
2010-10-08 01:46:26個人的には、支援業務的な動きをする時にだって研究してるだろうに、と思う。支援というテーマの研究を。 そうでなければあんなに鮮やかに処理をやってのけるなんてまねはできないよ。
2010-10-08 02:06:13仕事を自分の意識だけで決められたら何といい世界だろうといいたくなるが、実際はそうではなくて、人が決めてくれるからできる、というサイドがあって、この両サイドのせめぎあいが自分を創るんだといつになったら気づくんだ?
2010-10-08 02:11:16何かを「単なるさびしがり屋」(かまってちゃん、などと言わないだけマシか)とか,「単なるマスターベーション」とか言う場合,そこで言いたいのはむしろ,別のコレではない,ってことだろうと思うのだが,そのコレを言わないでおくというのは,ひょっとして自分の言いたいことがわかってないのでは.
2010-10-08 01:10:40「人生とは遊びである」とか「人生とは研究である」とか言う場合,おじちゃんが指してるものには遊びとか研究とかじゃなくて人生って名前がついてるんだよって言いたい.あるいは,xは人生である iff xは遊びである,ってことが言いたいのか.なら「1人遊び」は「1人人生」なのか? ひどい!
2010-10-08 09:18:34そういえば、昔大学院生やってるひとに、ブログ教えたら、「なんでそんなに本読むの?」と驚かれたことが覚えているだけでも二度はある。
2010-10-08 16:55:19そのときはそれだけだった(と思う)が、いまになって思うに、読書にたいする考え方のちがい、は「科学」にたいするそれや「研究」にたいするそれと並行して、考えてみることもできるのかもしれない。
2010-10-08 17:06:46おそらく、趣味として「読書」といった場合、その読書のなかに「専門書」はあまり想定されていないのだろう。けれども、なぜそうなのだろうか? 最近の「科学」や「研究」をめぐる議論をみていると、そこには事実的でなく規範的な理由があるように思われる。
2010-10-08 17:15:44