サークラ現象についてのある議論

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خلود @khulud

ただし,この最後の点はあくまで私による解釈,合理的再構成であって,もしかすると彼じしんの主張とは食い違うかもしれない.個別の点についてもうひとつつけ加えると,彼は「無自覚クラッシャー」を「迫害」してはならないと言っているが,「無自覚」への責任のとらせかたは検討の余地があると思う.

2013-10-09 15:54:46
خلود @khulud

ということで長々と反論・意見を書かせてもらいましたのでよろしければのちほどご覧ください./ @holysen

2013-10-09 15:58:56
خلود @khulud

想像だが,会長は比較的個別の事例をよく見てきていて,サークラとされる女性の意見を聞くことが多かったのでないかな.最初明言したとおり「一方当事者が全面的に悪いという事態はほとんどない」.それで生身の当事者に親しんでいるといきおい,どっちも責められないよねと結論したくなるのでないか.

2013-10-09 16:12:05
خلود @khulud

論じ残したこと,われわれにそもそも対立はなかったということ,そしてここまでの議論の見かけの対立はどのように止揚されるかという,こちらがわからの concluding remarks を用意してはいるんだけども,あまりに連投が長くなるのでいったんは省きましょう.

2013-10-09 17:04:17

第 2 次

ホリィ・セン @holysen

それが分かっているならば、29RT、55favされてしまった元のツイート(まあ自分もfavRTしたんだけど) https://t.co/mo3Wp06oDT は、「十把一絡げの『迫害』の可能性」につながるんじゃないかという点がまず一つで、これは元々言ってたこと。

2013-10-09 21:15:22
ホリィ・セン @holysen

もう一つの点。くるーどさんは「この点ではこちらが悪い」ということを全ての場合に(今回はサークルクラッシュの場合に)評価することが、「問題解決」のために必要だという旨のことを言ったんだけど、これは賛同できない。4ツイートぐらい前のRTも一つの例だし、もう一つ例を挙げる。

2013-10-09 21:20:12
ホリィ・セン @holysen

例えば、『風立ちぬ』は固定的な性別役割規範(男は外で仕事、女は家で待つみたいな)を前面に押し出してた。これは戦前という時代背景を考えればおおよそ事実に基づいているし、時代背景やジェンダー観を理解している人が見れば問題はない。 しかし、かのジブリがやる以上、本当に多くの人が観る。

2013-10-09 21:23:28
ホリィ・セン @holysen

本当に多くの人が観るんだから、時代背景や性別役割分業に対してナイーヴな人(子どもなどもそうだろう)も観るだろう。そして、今の2013年でさえ、性別役割分業は肯定できるものなのだという価値観を植えつけられかねない。これが問題だと思う。(性別役割分業が悪だという勝手な仮定入ってるけど

2013-10-09 21:27:44
ホリィ・セン @holysen

例えば、自然科学では、マクロな捉え方を更にミクロに分析することによって、問題を特定し、「問題解決」に繋がるというプロセスは通常だ。しかし、人間が絡んでくる場合、「誰が悪い」、「誰に責任がある」ということを言ってしまうと別の問題が(すなわち「迫害」の問題が)生じうる。

2013-10-09 21:30:21
ホリィ・セン @holysen

「事実」や「因果関係」を追究して、「どこに問題があるか」を究明することは新たな知見に繋がりうるだろうし、必要にもなってくるだろうが、それを「軽率に公の場で発言すること」には問題があるし、かえって「問題解決」から遠ざかりうるんだということを言いたい。

2013-10-09 21:34:10
ホリィ・セン @holysen

だから、「問題点を明らかにするアプローチ」の社会にとってのメリットはくるーどさんの言うとおりで、デメリットはさっきホリィ・センが言ったこと。これらを比較して、デメリットがメリットを上回ってしまうならば、たとえ事実であっても軽率な発言は控えるべきでは。

2013-10-09 21:37:32
ホリィ・セン @holysen

まあ、もっと大きな問題で、「なんで、一個人に過ぎないオレがそんな社会に配慮しなきゃいけないんだ」ってのがあるけど。

2013-10-09 21:39:35
ホリィ・セン @holysen

「発言の影響力を考えろ云々」みたいなこと言いながら、うまいこと差別的なことも言いたいときあるから、人格二つほしい

2013-10-09 22:09:57
خلود @khulud

さてさて時間も経過しましたしなるべく議論を建設的に昇華するためここで出ている新しい論点について考察しましょう.と,そのまえに,続く議論にも関係をしていくので,比較的瑣末な点とみなされることを恐れつつも,発端となったいちばん最初の点についてもういちど確認をしておきましょう.

2013-10-10 00:50:08
خلود @khulud

はじめからわれわれに対立はない.彼は「サークラ」という語で「一緒くたに叩かれてしまう」無差別な迫害を問題視した一方,私はいちばん最初の発言で「一口にサークラと言っても」と明確に断っている.そして彼は「個別のケースごとだと」評価しうる可能性を「気持ちは分かる」として認めかけていた.

2013-10-10 00:50:41
خلود @khulud

そこで「問題解決」的機能について一見議論が対立しているように見えるのはなぜか.それは,こちらの主張したように一方で調停その他の解決が可能になるのは責任の評価によってのみであるところ,他方で彼が問題視しているのはそれが公に発言されると新たにべつの問題をひきおこす,ということだ.

2013-10-10 00:50:56
خلود @khulud

にわかに論題は社会科学方法論にも及んでいるようだが,「発言」に伴って「問題」が生じる原因はかならず誤読にあると言ってよかろう.サークラ問題について「迫害」を起こすのも,映画「風立ちぬ」の観客がすりこみを受けるのも,注意深くない読み手の解釈だ.そのうえで発信者の責任は追及されうる.

2013-10-10 00:51:56
خلود @khulud

つまり,再確認すると,一方には実際に「問題解決」であるところの営みが,他方では同時に新たな「問題発生」の原因にもなるということだ.そのうえで,その前者のメリットと後者のデメリットとを比較秤量して,必要なら「軽率な発言は控えるべき」というのが彼の結論であったろう.

2013-10-10 00:52:12
خلود @khulud

ところで,社会の事柄についてわれわれが発言をするとき,それはかならず「社会を変えること」を目的としていると言っていい.それを効果的に意図したとおりに成功させるには,読み手による読み,「誤読」,をさらに先回りして読んでいる必要がある.そうでないとき不要な問題を生じさせることになる.

2013-10-10 00:53:28
خلود @khulud

読み手の誤読を予期して書き手の責任が追及されるというとき,それはこの意味においてである.いくら慎重な書きぶりをしてもかならず誤読は生じるところ,その原因の一端を担ったという意味で書き手に責任はある.それは明確に,社会を変える可能性の対価としてこそ支払わねばならないところのものだ.

2013-10-10 00:57:30

@hidesys vs. @khulud

ひでシス @hidesys

サークルクラッシュについてちょっとアレな感じのpostを見かけたのでちょっとツイート。

2013-10-09 22:05:38
ひでシス @hidesys

サークルクラッシュは人と人との関係において起こる問題だ。例えば、ある性質を持った女性がある性質を持った男性たちが主体となっている団体の一員となって、全体の関係性が変化して発生する。どんな人達と結んだ関係においても必ずサークルクラッシュを起こすような女性や男性なんていない。

2013-10-09 22:05:44
ひでシス @hidesys

サークルクラッシュが起こるかどうかはつまりマッチングの問題だ。だから、サークルクラッシュという現象の責任は、その現象においてそれぞれの役割を担った個々人に還元することができない。

2013-10-09 22:05:50
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