水飴の功罪、あるいは難解な科学をどう伝えるか
@y_mizuno どこまで遡れば気が済むか、という問題はつねにつきまとうでしょうね。あまり遡らずに割り切るのが、アナロジーでわかった気になってもらうという流儀なのでしょうね。
2013-10-15 22:39:12@tani6s ヒッグスに関する説明の、この絶望的な(というか何というか)距離感には頭がいたくて、私は今まで出来るだけ避けてきたのですが、いよいよノーベル賞まで授与されると、授業でも触れないわけにはいきません(文系・社会系の女子大でも)。「気が進まない」というのは理解できます。
2013-10-16 00:35:50科学を伝えるということ
「伝える」ということは本来、送信者と受信者の双方向的な行いだが、実際のコミュニケーションは一対一でなく一対多であり、受け手の予備知識や興味や理解の早さや時間的余裕は多様であり、メディアは一方的・一回きりな発信に終わることが多い。
2013-10-16 11:32:56そんな中で、ヒッグス機構みたいな高度な概念を人にどう伝えたらよいのか? 一部の発信者に説明を任せておいてよいのか? "いいかげんな説明" をどこまで許容するのか?といった問題だと思います。
2013-10-16 11:33:24科学の一般解説記事は正確さの追求より、これを読めばもっと勉強したくなるという書きっぷりを目指すべきだろう
2013-10-15 23:39:04そのとおりだと思います。RT: @morikuni_net 科学の一般解説記事は正確さの追求より、これを読めばもっと勉強したくなるという書きっぷりを目指すべきだろう https://t.co/I1kMEBF6sr
2013-10-16 17:55:24でも我々が「これくらいの前提や言葉づかいはわかりますよね」と思って解説を書くと、あっと言う間に読者をふるい落とすらしいのです。しかも相手の顔が見えないところで書かないといけない。それが悩ましいです。
2013-10-16 17:56:35@tani6s 理論や手法の中身よりも意義や重要性にフォーカスして記述された記事の方が読者を逃がしにくいという印象があります
2013-10-16 21:40:11美しくて難解な対象に人は惹きつけられる。しばしば「深い」と形容される。必ずしも有用であることは期待されてないが、往々にして役に立つ
2013-10-16 20:55:55必ずしも1つの科学記事が万人に納得される内容を備えている必要はない。多様なレベルに合わせた記事がたくさん用意されていればよい。ていうか、今はまさにそんな時代
2013-10-16 21:02:16発端は田崎晴明先生の問題提起でした
“@HalTasaki_Sdot: ノーベル賞が発表されてもどうということはないと思っていたけれど、これでまた(科学教育者としての)ぼくの「水飴理論」との絶望的な闘いの日々が始まるのだろうか? とりあえず、去年の日記 → http://t.co/gndb9IgE9w”参考!
2013-10-08 20:50:15関連まとめ(もうちょっと専門家向け)
「ヒッグス粒子について説明するとはどういうことか?」をトゥギャりました。 http://t.co/GChvHbX7Ll
2013-10-17 19:07:17