スタジオジブリ最新作「かぐや姫の物語」についてのエトセトラな考察

高畑勲監督の新作「かぐや姫の物語」にまつわるいくつかの私的考察をまとめました。 若干ネタバレ、かな。念のためご注意を。 単なる書き殴りの考察です。 粗はいっぱいです。
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テリー・ライス @terry_rice88

かぐや姫についてはブログ記事かかないとなあ。まどマギも合わせて。

2013-12-02 20:15:25
テリー・ライス @terry_rice88

ちなみに高畑監督はいわゆる左の人だけど、今回、あんまりそういう事実関係は作品に関係ないかな。いや、御門の描き方はいかにも左の人らしく「世間知らずな権威と欲望の象徴」という描きで「バブリー」な格好しているかなと思うくらいで。

2013-12-02 20:17:43
テリー・ライス @terry_rice88

でもね、農村に帰ることも、都市に根付くこともかぐや姫という「人間」は出来ずに終わるし、男女の逢瀬すらも初手の選択で大失敗してるわけだから、考えうる「人間の幸せという可能性」を全て潰してるんですよね。むしろそういうのは諸過去作で既に描いてて、高畑監督的にはなぞる必要がないわけで。

2013-12-02 20:21:28
テリー・ライス @terry_rice88

だから左の人にありがちな「野に帰って、原初の営みを為せ」というのすら、完膚なきまで全否定してる。その辺りを幸せな形で描いたのが「おもひでぽろぽろ」で、敗北させつつも、心の在りどころとしての「野生」を描いたのが「ぽんぽこ」で正直、再び描く旨味はまったくないのよね。

2013-12-02 20:26:07
テリー・ライス @terry_rice88

だからさー、「かぐや姫の物語」の評について、「左寄りな農村回帰」って評価してるのもかなり的外れだと思うんですよ。

2013-12-02 20:27:54
テリー・ライス @terry_rice88

そもそも政治的思想的な右と左を超越してるんですよね。そういえば、「かぐや姫」を立てる企画段階で「方丈記」だったり「童歌と農村」だったり、「鳥獣戯画で平家物語」だったりがジブリ内で立ち消えになっていったわけですが、その辺りの方向性が全て「かぐや姫」に集約されている。

2013-12-02 20:32:58
テリー・ライス @terry_rice88

高畑監督は教養人として「都市」で生きることも「農村」で生きることも、「苦しみ」としては同質のものであると「かぐや姫」を通じて、描いちゃってる。その語り口はどうしようもなく辛辣で容赦がない。さらに「家族」間でもその「苦しみ」はついて回ると喝破してるんだから、白旗を挙げざるを得ないよ

2013-12-02 20:43:12
テリー・ライス @terry_rice88

原作クラッシュ作品として賛否両論ある(自分はそうも思わないが)「ホーホケキョとなりの山田くん」の「あるがままの家族こそ幸せ」という歳時記にも似た描きすら、1ミクロンたりとも許してないんですよ、「かぐや姫の物語」は。これを戦慄しなくてどうなるんだって話です。

2013-12-02 20:48:22
テリー・ライス @terry_rice88

あとね、何でかTL上では批判の多いクライマックスの音楽についても。高畑監督の音楽好きというかアンテナは物凄くて、あの場面も恐ろしいくらいに「正確」に使用してると思うよ?まあ、どういうシーンなのかは見ていただきたいと思うんですが。

2013-12-02 20:54:02
テリー・ライス @terry_rice88

まあ、それを語るにはポピュラーミュージックとしての「ワールドミュージック」と意味を持った音楽としての「ワールドミュージック」の二面性を説明しないといけないと思う。

2013-12-02 20:55:29
テリー・ライス @terry_rice88

ワールドミュージックが主に注目されだしたのは80年代、ざっくり言うと80年代後半からですね。もっと以前には60年代のヒッピー文化などでインド音楽がもてはやされるという流れもあるけど、そこら辺語るとおもくそ長くなるで割愛する。で、時代背景から語るとですね。

2013-12-02 20:58:28
テリー・ライス @terry_rice88

80年代後半って、既にロックもポップスも飽和状態になってて、半ば魅力が形骸化してた時代なんですよね。いわゆる音楽としての求心力が失われつつあった。で、先見性のあるミュージシャンが目を向けたのが第三世界の音楽だったというわけです。いわゆる「原初の響き」を求めたわけです。

2013-12-02 21:01:14
テリー・ライス @terry_rice88

ここでいう「原初の響き」っていうのは音楽が本来持つべき「魅力」みたいなものです。つまり失われた「ロック」や「ポップス」の魅力を第三世界の音楽を触媒にして復活させようとした、というのが「ポピュラーミュージックとしてのワールドミュージック」なんです。

2013-12-02 21:03:34
テリー・ライス @terry_rice88

その辺りの流れを形作ったのがパンク&ニューウェーヴのレゲエミュージックだったり、ダブだったり、黎明期ヒップホップだったり、旧来の音楽を蹴破るかのように生まれ出た「新しい音楽」たち。ワールドミュージックはそれらの音楽と結びついて「ポップ化」していった。

2013-12-02 21:05:48
テリー・ライス @terry_rice88

この辺りの音楽センスのよさが出ているのが、日本だとYMOだったりや、サディスティック・ミカ・バンドなどエキゾチックミュージックの面々になります。ザバダックとかチャクラとかシンセサイザー音楽とか、上手いことワールドミュージックの旨味だけを生かした音楽を作るアーティストなわけです。

2013-12-02 21:08:49
テリー・ライス @terry_rice88

その一方で「意味」を持ったワールドミュージックとはなにか。これはポピュラー化するワールドミュージックに対して、より「厳格」な音楽です。西洋音楽の始まりもまた、この「厳格」な音楽でした。

2013-12-02 21:11:55
テリー・ライス @terry_rice88

では、「厳格」な音楽とは何か。つまり音楽の起源とは何かに至っていくわけなのですが、音楽が奏でられる「祭り」を想像してみましょう。なぜ「祭り」は行われるのか。民俗学的には「ハレの日」「ケの日」とか言われますが、祭りは「ハレの日」です。年に一度、行われる祝いの日です。

2013-12-02 21:15:23
テリー・ライス @terry_rice88

その年の豊穣を祝い、感謝する「ハレの日」に音楽は奏でられます。何のために「音楽」は奏でられるのか。人々が踊るためでもあるでしょう、しかし違うのです。踊ることも音楽を奏でることも一方向に向かっているのです。

2013-12-02 21:18:00
テリー・ライス @terry_rice88

そう、音楽は「天」を崇め奉るために奏でられる。そのような側面こそが音楽が「厳格」たりえる所なのです。西洋音楽、クラシック音楽もまた園出自は「宗教音楽」なのです。そこから派生してゆき「旋律」や「リズム」を楽しむものに変わって行った。その事実を見逃してはいけません。

2013-12-02 21:21:45
テリー・ライス @terry_rice88

「厳格」な音楽とたとえたのはつまりそこなのです。ワールドミュージックがポピュラー化する中でも、「厳格」な音楽はその領域を今もなお保っているのです。ほら、日本にも雅楽とかが大衆音楽とは別に生き残っている。あれもまた「儀式の音楽」として生き続けている。

2013-12-02 21:24:36
テリー・ライス @terry_rice88

確かに久石譲の音楽的出自はシンセサイザー音楽にあるわけだし(ナウシカのサントラは彼のシンセ時代の傑作だと思う)、そこを突っ込まれても致し方ないわけですが、そういった音楽遍歴を持った彼に改めて「ポップに聞こえる宗教音楽」を奏でさせたら、昔の地が出てしまっただけなんじゃないかなあ。

2013-12-02 21:27:55
テリー・ライス @terry_rice88

でまあ、その音楽が流れるシーンがぶっちゃけ「厳格」すぎて、その「ポップさ」が異様な雰囲気を醸し出してる時点でもうそれを見させられる側としては完全敗北ですよ、ごめんなさいとしか言えない。

2013-12-02 21:31:45
テリー・ライス @terry_rice88

このように明確な「意味」を持って奏でられる「厳格」な、なおかつ「異様な雰囲気」を醸し出す「音楽」としてはおそろしく「正しい」使い方じゃないかと思うのですが、いかがなモンでしょうかね・・・?

2013-12-02 21:36:59
テリー・ライス @terry_rice88

まあ、これだけ語っても、あくまで断片的な語りでしかないんだけど。「かぐや姫の物語」という日本古来の老若男女だれしもが粗筋だけは100%知っている物語にどれだけの情報量詰め込んだんだって位の作品なわけですよ。

2013-12-02 21:41:10
テリー・ライス @terry_rice88

というわけで一気呵成に呟いてしまった・・・。まあ、続きはブログで話したいなあ・・・。

2013-12-02 21:41:50