カオスラウンジの作品について著作権や商標権についてクレームをつけてくる人のほとんどが「第三者」。そして、《福島第一原発麻雀化計画》を「不謹慎だ」という人たちも同じく、ほとんどが「第三者」。
2013-12-31 16:27:30もっと言えば、なぜカオスラウンジがこのような作品を作ったか、実際にどのような作品なのか、というこちらの「当事者性」はすっ飛ばして、ネットの断片的な情報だけで批判する。これが、「被災者に寄り添う」という想像的同一化が招く「炎上」の姿だ。
2013-12-31 16:28:57震災や原発事故は、厳密に言えばバラバラな体験で、みんなが直接の当事者ではない。だからこそ、それぞれが、自分の「当事者性」を生きるしかない。勝手に「被災者に寄り添う」という当事者性を作りあげるのではなく、「自分にとって震災とはなんだったか」を考え、生きるしかない。
2013-12-31 16:30:50ぼくたちにとっては、震災後に自分たちの活動によって炎上したことが最も当事者性のあることだったし、今やそのふたつは、いろいろな意味で切り離せない。だからこそ、《福島第一原発麻雀化計画》では、ぼくたちの当事者性に観客を招き入れる、という試みをやってみた。
2013-12-31 16:31:52《福島第一原発麻雀化計画》は入り口で「同意書」にサインをし、部分的に自分の権利を明け渡さなければ鑑賞できないことになっている。これは想像的な同一化ではなく、局所的であれ、きわめて具体的に、カオスラウンジの炎上に参加することだ。
2013-12-31 16:37:51復興への未来図を描くためにほんとうに必要なのは、被災者への想像的な同一化じゃない。ネットやマスメディアの「空気」を媒介に、どこまでも曖昧に「当事者性」が広がってゆくことによって、今の日本の表現はすっかり骨抜きになってしまった。選挙と同じような「誠実さ」のゲームになってしまった。
2013-12-31 16:42:37考えてみれば、想像的な同一化によって被災者の気持ちを代弁することほど無責任なこともない。それはいつでも解除できる同一化だ。それぞれがバラバラな「当事者性」を生きること。にも関わらず、連帯できる可能性を探ること。アートは、そのようなものであるべきだと思う。
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