創られた伝統―8月15日とその「記憶」

8月15日とは、本当はどういう日なのか。
123
屋代 聡 @yashirosatoru

すると、『この写真は特別なものだから呉れる訳にはいかない。しかし、明日(15日)正午過ぎたら社に来て見れば、或いはあげられるかもしれぬ』と云って、又涙を拭った。妙な気分で、その場を去った…」

2014-04-13 18:22:08
屋代 聡 @yashirosatoru

より詳細なものは佐藤卓己『8月15日の神話』、藤原・粟屋・吉田編『最新資料により徹底検証する 1945年/昭和20年』にあります。

2014-04-13 18:22:32

補足ツイートここまで

屋代 聡 @yashirosatoru

また朝日新聞にのった玉音放送を伝える記事は間違いなく予定稿です。というのも、この記事の検証に際し、研究者が最初に朝日に問い合わせた時、朝日新聞応答センターは正直に「8月14日刷了」と回答しているからです。

2014-04-13 00:47:29
屋代 聡 @yashirosatoru

しかしまずいと思ったのか、朝日は後の『社報』で「12時半入稿」と書きかえています。この変更だけでもおかしいのですが、この記事は「宮城前で土下座して泣いている民の姿を描き、自らも感涙にむせぶ」内容です。字数2400字以上。明らかにおかしいのがわかりますか?

2014-04-13 00:48:38
屋代 聡 @yashirosatoru

まず①玉音放送はラジオを通じて流れた。宮城前にラジオ拡声器はない。つまり玉音放送時に宮城前にいる一般人は敗戦を知らない ②玉音放送は音質が悪く、天皇の言葉もよくわからなかった。ゆえに多くの国民は天皇の言わんとすることをアナウンサーの解説まで聞いて理解した。それは「37分」続いた。

2014-04-13 00:49:39
屋代 聡 @yashirosatoru

だから12時の時点で宮城前の人が泣いていることはあり得ない。③仮に玉音放送の天皇の声だけ聞いて記者が帰社したとしても、12時20分にはなる。感動にむせび泣いた直後の記者が10分で2400字以上の記事を書くのは、常識的に考えてあり得ない、ということです。

2014-04-13 00:50:45
屋代 聡 @yashirosatoru

なお8月15日の玉音放送を聴いて、夕方、宮城前に集まった民衆はいてもおかしくありません。しかし先の写真は玉音放送時ではなく、撮影日は8月14日で間違いないでしょう。

2014-04-13 00:51:58
屋代 聡 @yashirosatoru

考えてみれば、玉音放送は、それまで戦争に集中させていた国民の意識を、今度は戦後復興に向けさせるための「身体」動員、民に集合的記憶を植え付けるための国家儀礼だったといえるでしょう。 政府はまさしくあの放送から、復興という戦争を国民に否応なく始めさせたのです。

2014-04-13 00:52:55
屋代 聡 @yashirosatoru

では、この8月15日=終戦記念日の記憶はいかに増幅され、国民のあいだに定着したのでしょうか。これにはメディアが圧倒的に大きな役割を果たしました。

2014-04-13 00:53:48
屋代 聡 @yashirosatoru

8月15日=「終戦特集」というラジオ、TV番組編成は、戦後すぐにはありません。 定着は1954年。 つまり戦後10年、人々は8月15日に、違うものを聴いていたはずです。

2014-04-13 00:54:36
屋代 聡 @yashirosatoru

学校の歴史教育よりも、メディアが流す「8月戦争特番」の方が、我々の戦争にまつわる記憶を創造、増幅します。 もう既に我われの周囲に従軍や戦争経験がある人はほぼいない事に鑑みれば、ほとんどの日本人の戦争イメージ、戦争のパブリック・メモリーは、メディアによって増幅されたものなのです。

2014-04-13 00:55:24
屋代 聡 @yashirosatoru

そしてこのメディアによる8月15日の玉音放送、終戦特番がくりかえし流されることで、「体験していないはずの玉音体験」を(無意識のうちに)語るようになってしまった人も多くいました。個人の記憶というのはそれほど脆いものなのです。

2014-04-13 00:55:49
屋代 聡 @yashirosatoru

こうしてGHQ統治下で避けられていた8月15日が終戦記念日となったのは、この日を国民統合に利用しようとした政治家、14日ないしは9月2日の敗戦の記憶から逃れようとした国民、8月15日に全てが変わったと考えたい知識人の各々の思惑に加え、その日が「お盆」であったことが大きいでしょう。

2014-04-13 00:57:52
屋代 聡 @yashirosatoru

8月15日の戦没者慰霊も、あたかも第二次大戦被害者慰霊のように思われていますが、実は1945年以前から行われていました。つまり8月15日の心理は、お盆の心理、鎮魂にも根差していたのです。 おそらくはこの「お盆の心理」の作用も計算の上で8月15日に玉音放送は流されたのです。

2014-04-13 00:59:30
屋代 聡 @yashirosatoru

子供には学校教科書が重要です。実は1954年までのそれは第二次大戦終結を「9月2日」に重点を置いています。しかし高度経済成長と自治復活と共に「8月15日」が増えていきます。ところが近年、国際法上、終戦ではないという意見が高まり、再び8月14,9月2日がクローズアップされました。

2014-04-13 01:01:26
屋代 聡 @yashirosatoru

ゆえに終戦記念日=8月15日という記述は、高等学校の教科書から消えていっています。その日が「終戦」ではないからなのです。8月14日か9月2日になっている版が多く、8月15日は「天皇がラジオによって知らせた」と客観的に書かれるようになっています。学校教科書の記述も揺れてきたのです。

2014-04-13 01:02:42
屋代 聡 @yashirosatoru

そうしたなか復古的に「8月15日に天皇が戦争を終わらせた」という記憶をすりこもうと躍起になっている教科書があります。 そうです。育鵬社です。詳しくは次を⇒

2014-04-13 01:03:43
屋代 聡 @yashirosatoru

育鵬社の歴史教科書は他とどう違うのか。東京書籍版教科書との比較で浮かび上がらせたのが、次のまとめです。たった2ページを丁寧に比較するだけで、その偏向ぶりがわかります。「@yashirosatoruさんと考える竹富町の教科書採択問題」 http://t.co/glIpiEe8Og

2014-04-13 01:04:57
屋代 聡 @yashirosatoru

以上述べてきましたが、メディアが1954年以降、8月15日を「終戦記念日」として種々の特集を組み、私たちに「戦争の記憶」を醸成してきたのは事実であり、私たちもそれを受け止めてきました。そこには平和主義への真摯な思いもありました。評価すべきことはとても多いでしょう。

2014-04-13 01:05:43
屋代 聡 @yashirosatoru

確かに8月になれば、戦時の加害を伝える記事や番組があふれます。しかし、そうした「8月ジャーナリズム」を注意深く見れば、やはりそれらは「被害」を語ったものが多いのです。

2014-04-13 01:06:33
屋代 聡 @yashirosatoru

確かに45年8月、日本は大変な被害を受けました。そして日本は戦争に負けました。多くの戦没者に祈りを捧げるべきです。 メディアがあの夏の記憶を伝えることに大きな意味があることも認めます。

2014-04-13 01:11:42
屋代 聡 @yashirosatoru

しかし8月初旬に「被害者である日本」が強調されることで、9月2日の降伏文書調印という「敗戦の日の記憶」が薄れているのも、また確かでしょう。 実際、どれだけの方がポツダム宣言受諾、またはミズーリ号上の降伏文書調印という、休戦=敗戦の日を言えるでしょうか。

2014-04-13 01:13:12
屋代 聡 @yashirosatoru

そしてメディアは読者・視聴者の価値観を創る一方で、それらの視線をも意識して番組や記事を作るのですから、国民が先の戦争を真に反省していれば、そうした番組や紙面構成にならないのではないでしょうか。 これに関しては私たちも猛省すべきだと思います。

2014-04-13 01:14:24
屋代 聡 @yashirosatoru

「敗北を抱きしめ」きることは、本当に難しいのです。

2014-04-13 01:14:46