先日、花見について呟いた時に、花見とは「創られた伝統」であり、靖国も然りというリプをいただいたのですが、まさしくその通りです。今回は、靖国に関連して、8月15日についてつらつら述べます。
2014-04-13 00:18:16「古代や中世に遡る日本古来の伝統がある」と思う人が多いと思いますが、皆さんが思っている伝統―茶道、華道、柔道、相撲、和食、神道、初詣、国旗国歌、祇園祭など―こんなものは全て近代の「発明」です。江戸期にあったものを換骨奪胎して、まるで我われのルーツに関わるように思わされているだけ。
2014-04-13 00:21:25これらは「伝統の発明」「伝統の創造」という現象で、近代国民国家が国民を統合する時期によく見られます。私たちが何気なく過ごしている「記念日」や祝日もそういうものです。
2014-04-13 00:21:57暦を策定することが権力者の権限であるだけに、終戦記念日に限らず、おおかたの記念日や祝日・祭日というものは、政治性を免れません。それは国民の生活習慣強制やリズム付与、心性醸成と不可分であり、だからこそどのような政治権力も暦を司ろうとし、独自の記念日を持つのです。
2014-04-13 00:23:02近代国家はこれを意図的に利用し国民統合に利用します。ただしこうした記念日は、一方的に権力者が押し付けただけでは長続きしません。これを国民に定着させるには種々の文化装置が必要となります。教育、象徴、メディアなどを動員し、また人々の生活習慣にあわせた微調整があって初めて可能なのです。
2014-04-13 00:24:25戦争は国際間で行うものですから、終戦の日は国際的に一致しなければならないはずです。ゆえに国際法上、それは8月14日(ポツダム宣言受諾日)か9月2日(ミズーリ号上の文書調印)になります。例えば、戦後すぐ『京都新聞』は終戦を8月14日とする記事を出しています。
2014-04-13 00:26:24そもそも1952年の占領終結まで「終戦記念日」なるものがメディアで報じられることはほとんどありませんでした。そして占領下では9月2日・3日が「記念日」として多く取り上げられていました。天皇が15日にラジオで知らせようが何だろうが、連合国にとってはどうでもいいことだからです。
2014-04-13 00:27:02一方、8月14日、9月2日はともに、日本側からすれば屈辱の日、「敗戦」記念日です。だから占領がおわると、右派勢力はこれらの日を否定し、天皇が戦争を止めることを自ら宣した8月15日を「終戦」の日にしようとしたのです。
2014-04-13 00:27:51興味深いのは、左派もこれに乗っかって、「8月15日」を終戦または敗戦記念日としたことです。彼らにとっても“あの日から新生日本は始まった”という「8月15日革命」論は受け入れやすかったのです。
2014-04-13 00:28:24当然彼らは史実や天皇や軍部の責任を追及する立場から、8月14日か9月2日であるべきとわかっていたはずなのに、「8月15日終戦」を受け入れたのです。
2014-04-13 00:29:25しかし玉音放送は生放送ではありません。事前に録音されNHKで流されました。また各報道機関も知っていました。だからこの日の朝刊は配達が送らされる特別措置が取られました。 玉音放送は、天皇による戦争終結宣言を国民が起立して聴くという、一種の“政治ショー”の演出だったのです。
2014-04-13 00:31:04これが玉音放送です。8月15日の酷暑のさなか起立して、現在とは比べ物にならないほど低音質のラジオで、字幕なしで天皇の言わんとすることを理解できた人はわずかでした。多くの方はその後の和田アナウンサーの「解説」で敗戦を知ったのです。http://t.co/f7hD9fqbF6
2014-04-13 00:38:10ちなみに45年8月15日当日の各紙夕刊には「玉音にぬかずく国民」の記事が掲載されました。12時の放送を聴きアナウンサーの解説を聴き、その後、街の様子を記事にしていたのでは間に合いません。つまり玉音放送の記事は前もって書かれ、写真もそれに合うものが事前に用意されていました。
2014-04-13 00:39:36例えばこれは新聞社が8月14日に撮影されたもの。たまたま宮城(皇居)前にいた人に土下座シーンを撮るから座るよう依頼したのです。まだ日本の敗戦は一般国民に知らされていません。だからこそ観光客らしき者が大勢写り込んでいるのです。http://t.co/u0cz1ggIJv … … …
2014-04-13 00:44:49(注)以下しばらく補足ツイート分
【訂正】 昨日、呟いたこのツイートがリンク切れでしたので、内容をまとめます。 >この捏造写真のモデルは次のように証言しています。http://t.co/V1aysoqY3m … … …
2014-04-13 18:16:33玉音放送を聴きながら土下座している写真が、実は8月14日の撮影だったということは、この写真撮影に参加した人の証言が残っている。この人は青森県の教員だった花田省三さんである。http://t.co/u0cz1ggIJv … … … …
2014-04-13 18:18:191945年3月以降、花田氏は東京で通信関連の仕事についていましたが、8月14日、ネオン管を調達する仕事で、皇居前の明治生命ビル(6階が日立製作所の事務所)を訪れました。その際の出来事を次のように証言しています。
2014-04-13 18:19:14「そこを出て、『宮城前に来たのだから拝んでいこう』という気持で二重橋の方へ歩いていったところ、丁度『写真』の位置で、腕章を巻いたカメラマンに呼び止められ、『写真を撮りたいので、そこに土下座してほしい』と云われた。…続
2014-04-13 18:20:09他に写真のように多くの人々が座らされ『撮影しますからお辞儀をして下さい』と云われて撮られたのがあの写真です。後を振り向くと、件のカメラマンが腕で涙を拭っていたので『何か様子がおかしい』と思い、又『何かの記念になるかもしれぬ』と思って、『写真ができたら譲って欲しい』と頼んでみた。続
2014-04-13 18:21:18