中村光夫が最初の小説「『我が性の白書』」を途中まで書いたと小林秀雄に言うと小林さんが「それなら馬鹿々々しいところはすぎたろう。よかったね」と言われたそうで、根拠はないのだがこの「よかったね」が「か」に上昇アクセントのあるものだった様な気がして、意味なく小林さんがふいに好きになる。
2014-04-05 19:35:11ボルヘスの文に唐突にかなりの軽蔑の調子でポール・モランの名が書かれる。まあそれだけのことですが、『夜ひらく』の堀口大学訳で一時日本でももてはやされたこのどことなく胡散臭い外交官作家に何か我慢し難い経験がボルヘスにあったのか・・・時代的なこととしてぼんやり考える。
2014-04-06 15:40:42ビオイ・カサーレスはボルヘスの親友にして共作者、或いはその長篇の一つをブランショが分析したということで敬遠?されるかもしれませんが、特に短篇は知的に(!)ちょっと手の混んだハーレクインロマンスと言ってもいいもので、これは悪口ではなくて、もっと読まれると楽しいもんだと思います・・・
2014-04-13 00:05:43カサーレスが『豚の戦記』を書き上げた時、以降出す本にみんな豚の絵が表紙に描かれるから題名を変えろとボルヘスが言ったというエピソード。無論そうはならなかったがそうであれば楽しかったのに。何せ彼の今手に入る原書文庫はゴヤやらボッシュやら、デザインはシャレてて奇麗ですが・・・豚が・・・
2014-04-13 00:26:11・・下着のパンツ濡れ姿で海から上がって来る「男子」という光景はかなり頓馬なものだがその頓馬さのハレーションだけで出来た短篇として三島の『剣』は記憶され『英霊の声』もまた光景の頓馬さに欠けていない。三島由紀夫という作家は頓馬さの煌めきの小説家として記憶される筈だ。これは賞賛である。
2014-04-13 03:17:28全くどうでも良いことだが「我が師の御」と言えばワープロも反応するように「和菓子のオン」という謎の食べ物であり、それを団扇で煽いで焼く・・・焼ける和菓子を見て「尊し」は貧乏臭いですが、まあ食べ物は大切に・・・・。とまあ、おっさんダジャレめきますが、子供はそんな風に覚えるもんです。
2014-04-13 15:55:12サン・マルタン『クロコディル』届く。十八世紀末の神秘思想家?による寓意小説。大革命前夜のパリに現れた鰐様の怪物と「魔術師」との大闘争・・残念ながらすぐ読む余裕なし。まあ、十八世紀ならヴォルテール『ミクロメガス』やらこの手の奇想そのものに何ら驚く必要はないが、さてどんなものか・・・
2014-04-14 11:12:37僕はいわゆる「奇書」というのに、「結果として奇書」となってしまった書物はともかくとして、あまり期待しません。人間の「奇想」自体は意外に退屈なものです。例えばカフカの『変身』でも朝起きたら虫、なんてこと自体は退屈なことで、あれが異様となるのは細部においてなのは言うまでまりません
2014-04-14 11:42:58・・・例えば記憶のうろ覚えですが、島尾敏雄さんの、それは思い出書きのエッセイなのですが、石川淳さんのところに或る雑誌の援助を頼みに行くのが、近所に行くと犬がいて、それで恐ろしくて行けないので石川さんに電話するというだけのものですがこれは僕には、「奇文」の一つです。
2014-04-14 12:01:41以前も引用しましたが、この季節になると頭の中で、石川淳さんの戯曲『おまへの敵はおまへだ』の中の女が歌う歌の一節がしつこく鳴る感じになります。「飛ぶクラゲはひとりで光る/ひとりで飛んでもそこは世界」・・・その歌詞を全部写してみたいのですが結講長い・・・写してみましょうか・・・
2014-04-15 10:49:21「わたくしは高く陸の上にゐても/海の光はわたくしから/クラゲは深く海の底にゐても/陸の光はクラゲから/飛ぶクラゲは歌ふわたくし/光るわたくしはめくらのクラゲ/クラゲよおまへはわたくしの鏡/このわたくしはクラゲの鏡/わたくしよクラゲよ/おまへの・・・/
2014-04-15 10:53:30おまへの友は・・・・/おまへの敵は・・・/−−−おまへの敵はおまへだ。」これは狂った女が歌いつづけ、それは最後に少女たちの歌声にかわります。それも写しましょうか・・・そこのさっきの一節がはいります・・・
2014-04-15 10:56:21「飛ぶクラゲはひとりで光る/ひとりで飛んでもそこは世界/透きとほる海の底は/陸の晝の白い夢にかよふ/夜になれば・・・/夜になればひとは目ざめて起きて/白い夢のクラゲをさがしさまよふ/ひとが海のほとりに手をかざせば/クラゲは波に浮き波にかくれる/星は海に落ち/クラゲは空に飛び/
2014-04-15 11:07:50ひとは死に/またうまれて/海と空のあひだに/ひとの立つところ/クラゲも星も/夜の世界は一つ/海の底から/空のはてまで/飛ぶクラゲの/光は雲に/影は水に/飛びめぐる夜間飛行/いなづまは波にくだけて/世界のをはりか/世界のはじめか/骰子をなげうて/火の柱」。
2014-04-15 11:09:20この劇の初演は1961年の筈ですが音楽は誰が担当したのか・・・武満徹さんだったような気もしますが、さて今は調べる気力がない。武満さんなら聴いてみたい気もします・・・
2014-04-15 11:26:38何度も言いますが、僕は例えばロラン・バルトを敬愛しますが、彼の周囲に蝟集する「研究者」の「研究」はあらかた好きになれない。何とも言えない「あられもなさ」。これはフランス本国のことであっても同じ。
2014-04-17 09:26:09少なくとも或る種の「小説」「小説家」について「学会」やら「研究会」で「語り合う」のは果てしなく「淫ら」であるか「あられもない」ことで、例えば「ナボコフ学会」などという噂を聞くだけで何か知れない寒気がする。
2014-04-17 10:03:12むろん、クレランドやら『我が秘密の生』やらなら何ら淫らさなく、まさに公の研究討論会に適してもいようから、どんどん研究会でも読書会でもひらけばいいと思います。
2014-04-17 10:41:43保田与重郎や小林秀雄といった人のその文の「内容」はともあれ彼らの書く文柄の、「いい感じ」「厭な感じ」はさておくとしてそれが或る抑え難い「身体的錯乱」を帯びている限りにおいて彼らは”書く者”であったとは思う。人のことは言えまいがこの「当然の素養」を持つ「批評家」が意外に少ないのだ
2014-04-18 07:36:25島尾敏雄さんは批評家の文について「しかし(彼らの)妥当な顔付のことばを組み立てるうちがわの仕組みを私は想像することもできない」と書く。要は「理屈」は分かっても批評家自身が「ことば」とどんな抜き差しならない「身体的脳的錯乱」を生きているのか「感じられない」と言っているわけだろう。
2014-04-18 07:43:15バルトの書いたものに研究者は彼らの「研究の居場所」を見出したかのように振る舞う。一方バルトはと言えばそこにおいて常に絶えず殆ど絶対的に「居場所」を失い、そのことにおいて書いていたはずであるだろう。
2014-04-18 07:51:16確かエドガー・ポウの『ベレニス』だったか、それを訳した大岡昇平さんの訳文の変な「下手さ」に戸惑いつつ妙に感心したことを不意に思い出す。大岡さんには時々「自身の文を見失う」ようなところがあった気がする。明晰と言われながら大岡さんの文は奇妙に主述の配置がばらけることがある・・・
2014-04-18 08:54:05誰もが知るようにルクレティウスの『物の本質について』は愛の神ウェヌスへの美しい讃歌から始まる。この「古代唯物論哲学詩」は全質料世界への恋狂いとして書かれるわけである。もっとも、岩波の訳者は如何にも野暮天学者の解釈を披瀝してしまう・・・まあ、訳文は古色のついた立派なもんですけどね。
2014-04-18 09:07:51丸谷才一は『恋の日本文学史』とかいうオシャレな(?)小著を著しているが、要はうっすらとしつつも執拗な色情性こそが「日本文化のエチカ」であるだろうという結論、まあこんなこたあとうの昔にショービズ界の常識で、特に文学的博学探査の必要な推定ではないでしょう。
2014-04-19 16:03:32平野威馬雄/西江雅之という強力な二人の対談を本棚から見つける。平野先生は言うまでもなく怪人平野レミのお父上、僕らの世代?は平野先生が先でその娘さんとしてレミさんを知った・・・。
2014-04-22 15:09:20