選択の瞬間は唐突に現れ、選択の結果は想定を越える。それでも、不確実で流動的で想定の外にある未来に向けて選択を行わなければならない時、確固たる基準は想定できる未来を固定化して提供してしまう。基準すらその都度創りあげる思考が伴わなければ選択という行為は機能しない #melc2014
2014-04-17 20:36:08どうしたら選択を楽しめるのかを話し合った時、どんな結果がきても楽しめるかかどうかだよね、という意見が響いた。アメリカの気構えと同じかな。何が来るからわからない、何がきても楽しんでやる!ぐらいのワクワクと覚悟が私には足りないのだと思った。楽しめるようになりたい。#melc2014
2014-04-17 22:14:14選択をする際に今と未来のどちらに焦点を当てるかで選択の結果が変わることがわかった。将来こんなふうになってほしい、そのためには今どのような選択をするべきか、という順序で考えると良いのではないかと私は思った。 #melc2014
2014-04-17 22:46:40想定通りにいく=良い、想定通りにいかない=悪い、という考えは無くすべきだ。未来なんて何か起こるか本当にわからない。想定外のことが起きてもそこからまた何か思いつくかもしれない。 #melc2014
2014-04-17 22:54:36自分の価値観をパブリックに表現すること。価値観を共有できること。しかもタンジブルに表現することができるようになりたいと思った。 #melc2014
2014-04-17 22:57:20今日の対話の時間に印象的だったのは、選択をするとき目的を基準に決めると言う意見。自分がどうなりたいか、どういう未来を創造したいかを基準に目の前の選択を見る。そうすると、一見遠回りに見えても目的にはつながることがある。 #melc2014
2014-04-17 23:04:11初めてのカフェゼミだった。隣に座った芦沢さんって人がワークショップを社会人達と運営しているって目を輝かせて教えてくれた。カフェってのはお茶とか休憩の場だと勘違いしていた。こんなにもコミュニケーションができる場が身近にあったことに気づかされた。#melc2014
2014-04-17 23:06:30私の普段の選択基準はワクワクするかしないか。今だけを基準に判断していると思っていたが、よく考えるとそうではない。未来の自分の変化やなりたい自分になれるというワクワクも基準には含まれていたなと分かった。 #melc2014
2014-04-17 23:09:41選択するのが難しくなってしまったのはこの選択で全てが決まってしまうと思ったからかもしれない。「あの時こうしていれば…」と考えすぎてしまう傾向にあるのかも。それよりどんな結果がでてもそこから自分にとって楽しいもの、いいものに変えていけばいいんじゃないか。 #melc2014
2014-04-17 23:13:57#melc2014 チョイスすることは判断だという言葉を振り返りで聞いて思ったことがある。選択することに不安を感じていた。迷ってるときはモヤモヤしているし、いざ選んでもハラハラしてる。どちらも落ち着かなく判断できないことが日常でもあると思った。大事なときこそ自分で選択するべき。
2014-04-17 23:16:04#melc2014 スリーテンは何となく苦手意識(?)のようなものがあって、ひとつひとつの発言がいつもより慎重になっていた。それでも自分の意見を持って話すときはモヤモヤ。そのあとに班で話をしたときはたのしいモヤモヤだった。この感覚はパズルやってるときみたいな感じ。たのしさが勝る。
2014-04-17 23:23:26スリーテンは無責任に決められると、あれやこれや制約条件を外していって考えて、結果はどうでもよくて、人の意見をきいたり考えることが楽しかった。でも責任をもたされると違った。全部間違いだし、全部正解にみえる。そうなると、信じられるのは自分の感覚だけだと感じた。 #melc2014
2014-04-17 23:30:51#melc2014 選択することが大事なのではなく、選択して出てきた結果が大事。いままでやってきたスポーツに当てはめれば結果が大事なのは当たり前。プロセスは自分にとって大事で、結果は見られるもの。 結果までのことを言い訳するのはよくないが、意味付することは意味のあること。
2014-04-17 23:32:36「選択をして後悔するかもしれない」という話が出た。では逆に今まで納得のいかない選択をしたことはあるのか?私はない。なぜなら、どの選択も今の私を形成する一要素。先を見ると不安に思うかもしれないが、後から振り替えるとその選択にも意味はある。 #melc2014
2014-04-17 23:35:56#melc2014 なぜ判断基準を自分で決めてしまうのかと考えたときに、無意識だと思った。しかし、スリーテンをやってるときの頭の中は、選択しやすいよう、都合のいいように、環境を整えようとしていた。ここで制約をつけていることに気がついたが、そのままいったら消去法で考えていたと思う。
2014-04-17 23:38:16#melc2014 何が正解かわかんないから自由に決められる。決めた後に出る結果を見て自分で正解か不正解かを決めればいいのかな。”やってみなきゃわかんない”から”やってみる”、”選んでみる”。何が起こるからわかんないから怖いじゃなくてわかんないからわくわくする。
2014-04-17 23:38:23制約のない選択について、私はスリー・テンの10人中7人しか残れないから外す3人を選べというのも制約に感じた。最早、シェルターを壊したい。家族も友人もいなくて、いつ出れるかも分からず、不安や恐怖の中で生きていくなら私は大切な人たちとの時間を選ぶ。 #melc2014
2014-04-17 23:43:19ゲームだから形式にこだわらない自由にワクワクにチョイスできる。いざチョイスした結果は責任を取らなければならないになると本当に自由にチョイスできるのかな。やっぱり、自分の中のどこかにチョイスすることを拒んでいるのではないか。#melc2014
2014-04-17 23:44:05書いてあること以上の情報を勝手に想像していた。つまり自ら制約を設けて、選択肢を絞っていた。自分の人生でも勝手にあーだこーだと理由をつけて可能性を狭めていたのかもしれないと思う。深く考えもせず後から言い訳をつけて正当化してしまったこともある。これではダメだ。 #melc2014
2014-04-17 23:45:07スリーテンをやった時、一回と二回目のチョイスは変えなかった。それは何か意味あると感じる。インタンジブルになるけど、まだ答えは出せない。#melc2014
2014-04-17 23:51:47スリー・テンの際には、自分の中で若さという基準を決めてて、10人中1人しか選べなかった。けれども、制限時間という大義名分を言い訳に、無理やり3人を選び出していた。 #melc2014
2014-04-17 23:52:19人は、気づかないうちに基準、制限を設けていて、それに縛られた結果ベストな選択を下せないでいると思った。けれども、提出期限などを設けたりすると、人は集中力が増し、期日までに仕上げようとするモチベーションが上がる矛盾がある。 #melc2014
2014-04-17 23:54:36#melc2014 上京するか地元に残るのかの選択に正解も条件もなかった。高3の時は自由に選んでいいと言われてどっちにするのかわくわくしてた。でも今は正解がないことに違和感を感じる。
2014-04-17 23:55:46制約を取り払ってみると選択は難しく感じた。しかしその選択の幅が広がることによって未来の在り方が一体いくつあるのだろうとちょっとワクワクした気もする。選択を楽しむには「こうしたらどうなる?」みたいな実験をしている気持ちがあるといいと思った。自分の将来に関しては #melc2014
2014-04-17 23:55:53