2つの話。享受形式の性質と、ワールズエンドのお酒について。

昨日のことについての個人的な日記です 解る人にしかわからんとです あと、昨日一緒に映画見た人には、2つ目の話の方が重要です
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難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

外世論的観点(素朴実在論的物語論)と非外世的-文脈的観点の違い、この辺まとめとかなきゃな そりゃ勿論既存の批評と大きく離れちゃ打っちゃ離れちゃうが、その距離関係を記述して双方の不可解の原因を呈示する程度には役立つ。

2014-04-30 22:49:14
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

「常識的」という言葉は使わない。「素朴」。そして、その「素朴」はそれだけで幻想的にして神秘的である、という外世論の世界観。

2014-04-30 22:50:25
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

知らず知らず、魔法は起り、向こう側からこちらに響いている。そうした教義の基盤をなんとか探し出さないと。 いやあ、コウが友人でよかったほんと。外世論が視ることが出来ない外部を晒す、と言うのは、自分がやろうとしても出来なかったところだ。

2014-04-30 22:51:21
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

しかし、魔法の世界はあるよ、と言えたにしても、それが実効的であるにしても、 それが響いてんなら、それじゃあ、なんで向こうの影響は作品(=外世表象)通してこっちに来るのに、こっちの影響が向こうに出ていることは分からないんだ、とか言う問い方も、幻想外世論的には面白いが、哲学的ではない

2014-04-30 22:52:33
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

いや、それは逆で、寧ろめちゃくちゃ響いてるんじゃないか ってのも、メタ発言をキャラが行える理由でもあるし、少ない例ではあるがそれこそデップーのように、自分の世界の外を見る能力を持つ奴はいるし。 観念、強度が共有されてる世界は、読者視点で話を語る(キョンみたく)分にも何も問題ない。

2014-04-30 22:53:57
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

まあ、だからといって、いこじになって外世論的な観点から、あらゆる物語の文章的構造というか、 文体的構造、読者の構造を全部外世の関係論的に結びつけちゃうのも、あんまよくないなあ、とは思うんだけども。

2014-04-30 22:54:48
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

一応、外世論の持つ一つの目標として、「外世表象を設定するにあたっても使える言葉にする」ってこと。つまり外世論は、マンガやアニメの世界をそのまま表現するためにある言葉ではあるが、同時に、マンガやアニメの世界の人物が使ってもいいくらいの言葉であるという修辞的な狙いはある。

2014-04-30 22:55:57
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

もっといえば、「それは哲学的な言葉であり、同時にアニメの設定的な響きである」というのがベスト。だから、バランスよく中二病である必要があるんだよね。

2014-04-30 22:56:25
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

大体、「外世」の響きが、タイプムーンの影響だってのはココだけの秘密だ。

2014-04-30 22:56:54
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

外世と強度の関係、 外世と伝統的文脈、西洋の思想文脈の距離(∋批評との距離)。 外世と享受論、素朴な享受におけるアニメや漫画、物語の外世性について。 あと、非-外世的物語が安易に区別されうる原理について。 ↑に関して、ライプニッツの可能世界論的観点。

2014-04-30 22:58:52
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

「シュタゲ」的な分岐性のある世界構造のみがアニメの本質でもなかったし、 そもそもゲームがリアリズムを表象する以前の段階での、世界の外世と言う開闢。

2014-04-30 22:59:45
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

リアリズムの時代変遷という文脈の要求に関わらない、非文脈の文脈。 素朴な虚構の存在論。虚構の解決、虚構と言う認識からの脱却。

2014-04-30 23:00:34
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

”なぜ東方やサンホラは虚構より幻想を好むのか”。 ”なぜファイナルファンタジーは「究極の幻想」なのか”。

2014-04-30 23:00:58
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

外世論の外部としての享受論。 享受論的差異。それがおりなす、享受形式の疎外。 享受対象と、享受形式のミクロ性、非演繹性、一方で、「形式的享受(形式的享受形式)」…つまり、「基軸を持った」「フラットな」享受形式のアプリオリ性。その相克。

2014-04-30 23:02:46
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

意識が何もの(何事か…が無いのは何でナノヨ)かについての意識(フッサール)であるように、 アートを決定づける事項が明確な手法形式である(C.ベル)ように、 享受においても、どのように享受するか、という享受形式がある。

2014-04-30 23:04:14
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

だが、ふつう、「私はかくかくのように享受する」と宣言してから、享受するわけではなく、それ以前に、享受に向っている。ここに、享受を語る事の難しさがある…

2014-04-30 23:04:48
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

何故ならば、享受においてはそのほとんどが、自分が如何なる仕方でそれを受け止めていたのか、を設定してから見ていることがないからである。勿論、そのようにしてから享受することもできるが、その恣意性は、自らの無意識な恣意性とも別のものであり、

2014-04-30 23:05:37
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

それは「最も」、自らの享受形式(というより、自らが”自然に”行っていた当の享受形式)から離れ、”嘘をついた”形式である。

2014-04-30 23:06:25
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

しかし、そこは「美とは何か」を問う事は出来なくても「何が美しいか」を問う事は容易である(Cf:カント)のと似たように、 『どのように享受していたか』つまり享受内容の性質を抽出することから、帰納的・経験的に、自然な享受形式のベクトルを枠づけることは可能である。

2014-04-30 23:08:39
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

哲学風味ないい方を排して言えば、 「どういう観方でものを楽しむのか」を最初から決めて享受するのは稀と言う事。自然でもない。 が、「どう楽しんでいたか」から、「その人(やコミュニティ)の楽しみ方」を推理することはある程度可能と言う事。

2014-04-30 23:10:03
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

だが、これは単純な問題ではなくって。 文脈を理解したり歴史的認識と照らし合わせたり、図像解釈を行ったりなど、より高度なコンテクストに従って対象を理解しようとする方法も、また一種の享受に含まれうる。

2014-04-30 23:10:50
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

そしてこれらの場合、その享受・受容の仕方は前述の形式と違い、「ちゃんとした」形式である。また、そのように見ることを採用し、実践しているため、その形式はアプリオリである。享受のFormってなんていえばええの。

2014-04-30 23:11:58
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

クライヴベルが言うようなSignificant Formとか言うやつは、そういうけれども、Significantにしているのは何なのか、のほうが問いとして重要だ。それは歴史であったり、その流行であったり、権威の状況であったり、文脈の接続だったり、思想だったりといろいろ。

2014-04-30 23:12:54
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