鈴木創士まとめ1 別の人生の可能性としてのランボー: 詩と音楽
- ttt_ceinture
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嘘だろうと言われたので再び★二十年ほど前私は、仕事のために必要なのに、どの教会、専門書店を探してもどうしても見つからなかったカトリックの『ミサ典書』(公教会祈祷文)をエロ本しか置いていないような古本屋で見つけた。それはビニ本の山の上に鎮座ましましていた。 神が私に示した奇跡!
2010-02-08 21:30:51@sosodesumus なるほど、やっぱりダサいですか。言い遅れましたが、先生の『ランボー全詩集』買いました。全詩集は粟津則雄訳とで二冊目になります。ちなみに、エチオピアのハラルでランボーが住んでいた家に行ったことがあります。彼の時代そのままの風景が広がっていて、感動いました。
2010-02-12 16:23:17@Boyakimasse どうもありがとう!! ハラルの家に行ったのですか? 素晴らしい。感動するでしょうね。ランボーの幽霊はそこにとどまっているのでしょうか? 奴の亡霊が…
2010-02-12 16:30:47@sosodesumus ハラルの家は木造の洋館で、普通に現地の人が住んでおります。テラスから眺めると、寂寞たるハラルの街と群青色の空が広がっていました。おそらくランボーが見たであろうおなじ風景…今も網膜に焼き付いています。亡霊ではなく、コーランの声が町に漂っていましたよ。
2010-02-12 19:12:09そうですか。あなたが見た寂莫たる風景はかつて詩を捨てたランボーの目が見たものだった…屋根の上を漂うコーランの調べには右脚のないアルチュールの半透明の体が重なって、溶けて混じっていたわけですね。「あばよ、俺は空を飛ぶ種族の出身さ、あとのことは知らねえぞ…」@Boyakimasse
2010-02-12 19:28:49@sosodesumus 「あばよ、俺は空を飛ぶ種族の出身さ、あとのことは知らねえぞ…」ああ、すばらしい。きっとランボーは全く同じように口ずさんでいたでしょう。アフリカの大地は、果てしなく身を軽くさせるところがあるのです。孤独も焦燥もまるで大地と空に溶けてしまうかのように…。
2010-02-12 19:59:20ランボーの墓ってエチオピアにあるのか。たしかジュネの墓はモロッコのうらぶれた岬にあるんだったな。墓は突端部としての岬から海に向けて亡霊を放ち続けるのだろうな。
2010-02-12 16:38:00@ttt_ceinture おまけにジュネの墓は、一度墓荒らしに「泥棒」されたのです! 作り直したようですけど、とても寂しい浜辺の丘にあります。ジュネの遺体はたしかガリマールの社長アントワーヌ・ガリマールも付き添って空港まで恭しく送られ、そこからモロッコへ旅立ったのでよすね。
2010-02-12 16:49:01@sosodesumus ホワイトのジュネ伝などが助けになりそうですね。運ばれる遺体、盗まれる墓標、というのは不謹慎ながら面白いな。ジュネは死後もポストカードのように運ばれ続けているのか。
2010-02-12 17:06:52@ttt_ceinture ランボーの墓はフランスの片田舎にあります。エチオピアにあるのは、ランボーがかつて住んでいた家です。 僕が幽霊なんて言うものだから…
2010-02-12 16:51:41@sosodesumus ランボーについてはまた私ははやとちりをしてしまったようですね。彼は詩人をやめた後何を考えて生きてたのか気になってる。案外、執筆停止していたジュネみたいな感じだったのかな……。
2010-02-12 17:08:45@ttt_ceinture いや、ジュネは最後に『恋する虜』を書いたけど、ランボーは詩を清算した後一行も詩を書きませんでした。今度、「ランボーと戦争機械」という文章を書いたので、出たら教えます。
2010-02-12 17:17:12@sosodesumus ええ、その二人の差は知ってはいるのですが、空白期間の只中に(のちには空白と扱われるけど次に果たして書くのか書かないのかも不明な時期に)ある人が、現在の自身と書くことの関係をどう考えてたのかに関心があって。「最後に書かなかったジュネ」もありうるのかな、と。
2010-02-12 17:27:12@sosodesumus しかし詩となれば、手紙に添えて書いてもいたランボーが「全く」書いてないのは絶縁の印象がやはり濃い。あの生涯は不思議。「ランボーと戦争機械」とはまた惹かれるタイトル!読んでみたいものです
2010-02-12 17:31:18@ttt_ceinture ジュネは実際に書いたし、ランボーは書かなかった。この差は何なのでしょうね。二人とも自分の書いたものが身体の中を猛スピードで駆け抜けていったことは確かだけど。書かなかった、書けなかった作家たちについてはビラ=マタス『バートルビーと仲間たち』が面白かった。
2010-02-12 17:34:41@ttt_ceinture スペインの作家エンリーケ・ビタ=マタス『バートルビーと仲間たち』新潮社です。そういえば、ソクラテスは一行も書いてないわけだし…
2010-02-12 17:38:58@sosodesumus ああ、ビラ-マタスも積んであるので、読もうと思えば読めます。バートルビーと書くことの小説と聞いて。ついおしゃべりで散らしてしまい、書く習慣や技法が剥離しがちな私は、ついそういう点に関心持っちゃいます。差異と反復直前ぐらいのドゥルーズの空白とか。
2010-02-12 17:44:49@ttt_ceinture この本はかなり面白かったですよ。デュシャンの秘密結社のこととか…かくいう誰かも書かない、書けない人の部類に…ところで私にとって「作家」の原型的イメージは、新約聖書の福音書を書いたあれらの福音記者たち(福音史家とかと訳されるけど史家ではない)にあります。
2010-02-12 17:52:04@ttt_ceinture …彼らはいわば「超越論的ジャーナリスト」であり、出来事を創出し、そのただなかにいて、出来事について、「私」が書く、、そう、ただそこで書くためだけに、そこで出来事の到来をかきしるすためだけに…
2010-02-12 17:57:19@ttt_ceinture …私とは、ヨハネであり、マルコであり、ルカであり、マタイであり、誰でもなく、そして誰でもない人の…
2010-02-12 17:59:25@sosodesumus 書くことと出来事の創出か……。出来事が語られる際に付随して生じる「私」ですよね。書くことで出来事が到来し、到来を受けて書き、というような創出。「超越論的ジャーナリスト」は、いわばジャーナル、出来事が刻印する/される日付の創出となるのかな。
2010-02-12 20:46:36@sosodesumus デュシャンの秘密結社!? そんなものがあるんですか。書く書かない問題は深淵めいていて、「へんに書き慣れるよりは書かない方が」「やはり書き進めながら思考が展開すべきかも」「一人の人間、書かなきゃいけないものはそんなに」とか入り乱れてきます。
2010-02-12 20:15:45追伸 デュシャンの入っていた秘密結社…ビラ=マタスの本を探しても見つらねえ…また妄想かと思って諦めかけていたら訳者あとがきにあった!別の本『ポータブル文学小史』に書かれてあるそうです。 他にはフィツジェラルド、ベンヤミン、ロルカ等も入っていたそうです。俺の妄想じゃなくてよかった。
2010-02-12 20:59:01