カルテル鎮守府の解説
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というわけで、カルテル鎮守府の日常を解説していきたいと思います。 登場人物を重点的に解説していきます。 #カルテル鎮守府の解説
2014-07-28 22:24:24まずはこの話に欠かせない実在人物について簡単な解説をします。 今回はラッキー・ルチアーノ、マイヤー・ランスキー、ベンジャミン・シーゲル、ミッキー・コーエンの4人について簡単に紹介します。 #カルテル鎮守府の解説
2014-07-28 22:28:16ラッキー・ルチアーノ 1897年11月24日~1962年1月26日 本名はサルヴァトーレ・ルカーニア。 別名はチャールズ・ルチアーノ コーサ・ノストラの最高幹部で、古いしきたりをとりやめ、新たなビジネスの風を吹き込んだ組織の改革者でもある。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-28 22:32:52(続き) さて、物語の中では彼はグレート・メドウブ刑務所に収監されている。 彼は1936年に逮捕され、ダンネモーラ刑務所に送られた。 収監中も権威は衰えず、面会に来た仲間を使い、組織の指揮を執り続けた。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-28 22:38:39(続き) そして第二次世界大戦が発生し、海軍との密約、取引をする。 そして、ニューヨークに近いグリーンヘヴン刑務所に移った。 その後、1942年にグレート・メドウブ刑務所に移った。 さて、面白いのはここからである。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-28 22:42:43(続き) それは、収監中のルチアーノが1943年7月、シチリア島で目撃されているという噂だ。 ジョージ・パットン率いる米軍が、シチリア島に上陸し、パレルモへ進撃するより前に来て、手助けをした....という話である。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-28 22:48:01(続き) この噂を知ったうえでジャック・ヒギンズの『ルチアノの幸運』を読むと面白いので皆さんも機会があったら是非読んでほしい。 戦後は、戦争中の功績が認められ恩赦が許可された。 しかしアメリカ市民権がいなかったためイタリアに強制送還される。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-28 22:51:09(続き) さて、送還後の彼は順調に麻薬ビジネスを大成させた。 1960年代において彼は麻薬王と言って過言ではないほどの権威ある存在になっていた。 しかし1962年1月16日、ナポリ空港で心臓発作を起こして死亡する。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-28 22:55:01(続き) ルチアーノをもっと知りたい方のためにWikipediaの記事を置いておきます。 ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9… #カルテル鎮守府の解説
2014-07-28 23:05:53マイヤー・ランスキー 1902年7月4日~1983年1月15日 本名はマイェル・スホフラニスキ 幼いころから、ラッキー・ルチアーノと仲が良く、彼の右腕として活躍した。 長年に渡りマフィアの重鎮だった大物である。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-29 15:07:57(続き) 彼はベンジャミン・シーゲルとも仲が良く、彼がラスベガスにフラミンゴ(現在のフラミンゴ・ラスベガス)を建設する際には資金援助をした。 後にシーゲルがラスベガスでの事業に失敗した際に擁護を続けたが、シーゲルはその後殺害された。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-29 15:22:04(続き) 特筆すべきは、ランスキーはかなりのやり手でアメリカやキューバでギャンブル事業を成功させたことである。 60年代にも様々な投資で3億ドル儲けたという話がある。 しかし1970年に脱税容疑をかけられる。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-29 15:25:53(続き) ランスキーはイスラエルに逃亡するが、2年後にアメリカに強制送還される。 だが、送還後まもなく釈放され、1976年には高齢を理由に告訴を取り下げられた。 後年はマイアミに在住し、1983年1月15日に肺癌で死亡。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-29 15:29:14(続き) ランスキーは経済感覚が秀でていて、マネーロンダリングの創始者とも言われている。 『ゴッドファーザー PartⅡ』のハイマン・ロスはランスキーがモデルとされている。 ランスキーをもっと知りたい人へ ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E… #カルテル鎮守府の解説
2014-07-29 15:33:41ベンジャミン・シーゲル 1906年2月28日~1947年6月20日 渾名はバグジー。 性格は荒っぽく気分屋だが社交的で女好き。 今のラスベガスの生みの親とも言える。 ちなみに『ゴッドファーザー』のモー・グリーンはシーゲルがモデルである。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-29 16:06:33(続き) ランスキーの解説で記述したように、シーゲルはランスキーと仲が良く、仕事の手伝いをしていた。 ちなみにシーゲルは1938年、当時ギャンブルが違法だったカリフォルニアで、海の上で友人と船の上でカジノを開いたが大損している。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-29 16:11:05(続き) カリフォルニアで勢力を確立したシーゲルはギャンブルが合法化されていたラスベガスに目を付ける。 当時のラスベガスは小規模なカジノしかなかった。 そこでシーゲルは前述のフラミンゴを建設するため、ランスキーなどから資金援助を受けた。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-29 16:16:36(続き) 結論から言うと、彼のラスベガス進出は失敗だった。 フラミンゴの建設にも予想以上の金がかかり、完成後も経営がうまくいかなかった。 その結果赤字で休業することになる。 しかし、ランスキーなどから最後のチャンスを与えられ、再オープンした。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-29 16:20:17(続き) 再オープン後は少しずつ利益を上げるものの、その頃には仲間からの信用を失っていた。 さらに愛人のヴァージニア・ヒルに多額の現金をヨーロッパに持ち逃げされてしまう。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-29 16:23:38(続き) そして1947年6月20日の夜、ヒルの邸宅でソファに座り新聞を読んでいたところ、ヒットマンのエディ・カニッツァーロに暗殺された。 彼の死後、フラミンゴとラスベガスは繁栄を遂げた。 彼の夢が今のラスベガスの基礎となったのだ。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-29 16:29:23(続き) シーゲルについてもっと知りたい方へ ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99… #カルテル鎮守府の解説
2014-07-29 16:30:16ミッキー・コーエン 1913年9月4日~1976年7月29日 本名はマイアー・ハリス・コーエン。 彼はこの物語では殆ど登場しないので、本当に簡単な説明のみとします。 物語の最初の方で名前が出ましたが、あれはミスです。 そんな重要じゃないです。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-29 16:44:32(続き) 当時の彼は、ランスキーとシーゲルの仲間であるルー・ロスコフの手下で、シーゲルの用心棒などの仕事をしていた。 後にフランク・カーボの下で賭場を支配するも、暴力的なやり方が州と連邦政府に目を付けられてしまう。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-29 16:53:24(続き) このあたりからコーエンはたびたび命を狙われることがあった。 自宅を爆破されたりもした。 1950年、コーエンは脱税の罪で懲役4年の実刑判決を受ける。 1961年にも脱税で有罪になり、一時期アルカトラズ刑務所に収監されていた。 (続く) #カルテル鎮守府の解説
2014-07-29 16:56:16(続き) ちなみにアルカトラズでも囚人に殺されかけたことがあるらしい。 1972年にアトランタ連邦刑務所から出所した。 1976年、睡眠中に死亡。 コーエンのことをもっと知りたい方へ ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F… #カルテル鎮守府の解説
2014-07-29 17:06:50