口語がノイズのように混入する効果の追求という意味で、西東三鬼や飯島晴子と、越智友亮と神野紗希と佐藤文香と福田若之たちは、同じ場所にいると思うので @tajimaken
2014-08-31 09:13:53@ueda_shinji 幼いことが駄目というより、そういった抑圧の結果として搾り出されたような言葉が必要だと。「幼い」にしろそうでないにしろ、そのプロセスがないと、逆に俳句の「大人たち」が肥大化するような気がします。いま自分自身も含めて→
2014-08-31 09:15:31→俳句に感じる「幼さ」は、あまり「大人」をおびやかすような質のものではないかな、とは思います。「反芸術」が「芸術」の側からの承認で成り立っているような状況は、ちょっとアレかな、と。
2014-08-31 09:17:29@ueda_shinji 確かに「同じ場所」なのでしょうけれども、個人個人の差は当然あります。その差が大事だと思います。そうした若手たちを一塊で承認するだけだと足りないように思います。
2014-08-31 09:21:00@ueda_shinji いまのところ、いとまとめに見えているからですかね。もちろん、実際はそうでないことは知っていますが。その細かいところの話は、twitterで書くのは嫌ですね。ま、そもそも→
2014-08-31 09:27:08→そこを抑圧しようとは思いませんけどね。っていうか、抑圧されないでしょ、僕がつぶやいた程度で。抑圧されているとすれば、僕自身のなかに強いそれを感じますね。
2014-08-31 09:27:57まあ、ごめんなさい。ぼくは素十・爽波・島田牙城といったひとの一味なので「幼さ」の擁護には、まわるのですわ。@tajimaken
2014-08-31 09:31:38@ueda_shinji あ、いえ、こちらこそ、すいません。この話はできれば、上田さんと直接話しをしてみたいところです。僕も若い頃から俳句をしていて、いまこの年齢になって、→
2014-08-31 09:33:35→気づいたら「大人」になるか「子供」のままでいるのか、「大人」と「子供」しか選択肢がないところにいて、抜け道を探しているようなところがあるもので・・・
2014-08-31 09:34:00RT @10_key: @ueda_shinji @tajimaken 俳句におけるナイーヴネス(幼さ)は両面価値的と思います。その場合のナイーブは生硬ということとはちょっと違っていて…。しかし、それが口語的要素と直接結びつくんでしょうかね?(田島さんの指摘は、二つを結びつける
2014-08-31 10:01:57半分同意します。下降と上昇、反芸術と芸術はひとつのものの中にせめぎ合ってこそだから RT @tajimaken: @ueda_shinji 幼いことが駄目というより、そういった抑圧の結果として搾り出されたような言葉が必要だと。
2014-09-01 01:45:50自分は、フェイク(技巧)も音痴(下手)もファンキー(天然)も、一句において、ひとまず差別しないのです。抑圧があろうがなかろうが。まぐれ上等。技法化はあとからでいい。でも、田島さんの「ひとまとめに見えている」は、ちょっとあんまりですよ。池田澄子を小学生俳句みたいって言うんだから。
2014-09-01 02:00:00これは分からない。反芸術はもともと芸術。俳句になってない「反」俳句に意味はない。でこの場合「大人」って? RT @tajimaken: →俳句に感じる「幼さ」は、あまり「大人」をおびやかすような質のものではないかな、とは思います。「反芸術」が「芸術」の側からの承認で成り立っている
2014-09-01 02:06:53けっきょく、口語、関係なかったんじゃないかw RT @tajimaken: →そこを抑圧しようとは思いませんけどね。っていうか、抑圧されないでしょ、僕がつぶやいた程度で。抑圧されているとすれば、僕自身のなかに強いそれを
2014-09-01 02:17:08同意。おたがい、歯を食いしばって、どうにか生き抜きましょう。あるいは、いい俳句書きましょう。お騒がせごめんなさい。 RT @tajimaken: →気づいたら「大人」になるか「子供」のままでいるのか、「大人」と「子供」しか選択肢がないところにいて、抜け道を探しているような
2014-09-01 02:22:10