口語俳句って、実は具体的によくわかってないんだけど、最近いわれる「口語俳句」には特に「幼稚さ」が目立つ気がする。「軽さ」というよりも「幼稚さ」というほうがふさわしい。たとえば池田澄子の〈ピーマン切って中を明るくしてあげた〉とか。知らなければ小学生の句かと思うよな。
2014-08-28 00:21:57口語俳句の一つの特徴は、なんらかのコンテキストの設定。五七五の叙述では意味が完結せず、その外に共有されるコンテキストとともに俳句を読むことになる。「お前らが写せと素っ裸で笑ふ」はその状況を想像することではじめて鑑賞が成立する。短歌でいうと、加藤治郎さんなんかのもそう。
2014-08-28 01:31:27@uitogen うーん、ちょっとぴんとこないな。「なんらかのコンテキスト」ってのがちょっとわかりにくい。ちなみに、その「なんらかのコンテキスト」は文語俳句(ってのがあるのか?)では作用しないものなのか?
2014-08-28 01:36:42口語と文語、話し言葉と書き言葉、旧かな新かな、現代文法と古典文法、さらには俳句文法なんて用語もたまに見る。句作におけるこれらの実践の実情って、そんなすっきり整理できるものなのかどうか。 RT
2014-08-28 01:38:13@musashinohaoto ①歴史的な意味と、②多くのひとがそれだと信じているものと、③それの働き(効果)を、整理して考えたいですね。
2014-08-28 01:40:46@tajimaken むろん言葉には多かれ少なかれコンテキストがある。それは文語であれ口語であれ同じ。ポイントは、それが鑑賞においてはたす役割の違い。口語俳句は共時的な表現に傾かざるをえないので、コンテキストが大きく共有されていることを前提としている。
2014-08-28 01:47:17@uitogen うん、前段はわかる。「口語俳句」=「コンテキストの共有が前提」の左辺と右辺はつりあっているのか。これは共時的なものなのか。コンテキストが共有されていない口語俳句は想定できないものなのか・・・?
2014-08-28 01:57:12@musashinohaotoさんの言う「プロトコル」と、@uitogenさんの言う「コンテキスト」は似たようなものか?そもそも「口語俳句」という言葉が指し示しているものは、具体的になんなんだ?わからん。わからんから、俺、寝る。
2014-08-28 02:03:47@tajimaken もちろん理論的にはいろんな可能性がある。しかし私が関心をもっているのは、いま目の前にいる俳人たちの句であり、それ以外ではない。だから、左辺と右辺がつりあう必要もない。いま現在「口語俳句」と呼ばれるものの基本的な傾向は、という話。
2014-08-28 02:03:55口語俳句の参考文献とりあえず、上田信治「闘われているらしい」正・続 【この反応が、天気さんの言う「黒紗希」 ちゃんってヤツなのかもしれません】weekly-haiku.blogspot.jp/2013/01/74.html weekly-haiku.blogspot.jp/2013/01/76.html
2014-08-28 02:29:31現状、口語俳句とは、実は具体的な概念規定あるいは実態などはなく、「伝統俳句」と己を規定した側の創り出したロマン的な仮想敵に過ぎない、なんて見方だってできるだろう。たぶんね。
2014-08-28 02:33:34@musashinohaoto 「鱧素麺食べおわりましたけれども 阿部完市」アベカンや越智友亮や神野紗希や福田若之や佐藤文香や池田澄子の句には「口語」がひょいと侵入する。要は、俳句の規範的語法からのゆらぎ・逸脱・文脈外しの、ある部分を指して「口語俳句」と言うのではないでしょうか。
2014-08-28 03:04:18@ueda_shinji そうですね。単なる文法や仮名遣いの問題ではなく。古くは芭蕉の「さまざまの事おもひ出す桜かな」の「おもいだす」も古典では口語だよなあ、と思ったりします(厳密にどうかはおいといて)。あと口語俳句は、かつての地口のエネルギーを抱え込んでると思いますね。
2014-08-28 09:37:37口語俳句、って、文語/有季/定型、という縛りから自由にっていう発想で書かれている、亜ジャンルに近いものですよね? そこでの、口語、の本来の意味は、そのまま、自由、ってことじゃないんでしょうか? 私見を加えて言えば、そこはかとなく反体制、みたいな印象も受けますね。口語俳句協会とか。
2014-08-28 18:51:07現在の俳句では、口語俳句、の呼称が定着したのですか? 短歌では、口語短歌、は、口語が浸透した結果、呼称かどうか微妙になりつつあります。文語定型からの自由を求める歴史的文脈から離れて、発話的表現から見える、人と人や人と世界の関係のありよう、文章的表現による文体や方法の摸索、等が肝。
2014-08-28 18:58:25@ogiharahiroyuki いわゆる口語俳句は歴史的にも存在しましたが、いまそれが話題になっているのは俳句甲子園という文脈が大きいと思います。他の人はともかく、私にとってはそれが一番の関心事です。 面白いことに、文語/有季/定型のうち、後の二つは遵守される傾向が強い。
2014-08-28 19:35:44@ogiharahiroyuki 「文語定型からの自由を求める歴史的文脈から離れて、発話的表現から見える、人と人や人と世界の関係のありよう、文章的表現による文体や方法の摸索」 これはそのまま先ほど私が話題にしたいまの口語俳句にもあてはまると思います。
2014-08-28 19:36:59ブログ更新■「口語俳句」なんてジャンル、あるんですか? sevendays-a-week.blogspot.jp/2014/08/blog-p…
2014-08-28 20:02:06.@uitogen 短歌も同じ感じでしたよ。破調ながらも定型(前衛短歌の遺産)のなかに口語表現をとり入れてゆくところから現在の口語の短歌がはじまりました。俵万智や加藤治郎や穂村弘。同時期=一九八〇年代の口語の表現を入れた俳句は、有季も定型も壊そうとしていた印象。むしろ歴史的です。
2014-08-28 21:18:25一九八〇年代の俳句が、口語等のゆらぎや逸脱を展開しきれなかったのは、当時からの私の主張ですけど、川柳が、俳句のポストモダン化の結果にかなり近いものとして、あらかじめ存在していたからではないかとも考えています。俳句としての行き場を見失ったんじゃないでしょうか。例えば、江里昭彦さん。
2014-08-28 21:19:08