籔下彰治朗さんの講演録
26)地方のわれわれはドブ水につかっているのに、こんな優雅な取材ですましてしまうのか、なんて思っていました。変なものを書いたら笑ってやろうなんて、思い上がった気持ちでおりました。
2014-08-29 00:05:3527)十月九日です。これも忘れません。朝刊社会面をつぶして、疋田ルポが載りました。見た瞬間、思わずうなっちゃったのです。声が出ないんですね、衝撃で。
2014-08-29 00:06:0728)不可抗力だとわれわれは書きなぐっていた。大企業、MやD(★原文は企業名)なんかの企業も、自治体も、農水省も建設省もそう大合唱をしていた。だから五千人も死んだのだ、などと言っている。ところが疋田さんのそのルポルタージュは「機械は残った」と書いている。
2014-08-29 00:07:4129)つまり工場全体の敷地が初めから2メートル以上もかさ上げされていた。その中でダイナモやなんかの一番重要なところはさらにかさ上げされていた。一方で工場周辺にいっぱいある社宅、これは一般社員用です、間違っても高級幹部のじゃありません、その社宅は大波に襲われ、おおぜいの人が死んだ。
2014-08-29 00:08:2030)そして、会社の幹部、出先の工場ですけれども、は全部、名古屋市の東郊、名古屋をご存じの方はわかるでしょうが、千種区という最高の住宅地域に住んでいた。だから、水なんかに全然つからないし、一人とて死んだり、けがしたりしていない。死んだのは一般社員、工員だけであった。
2014-08-29 00:08:5731)しかも、彼らの社宅とか市営住宅は水にのまれて何千人と死んだのに、工場は初めからかさ上げがしてあった。水が押し寄せても、その水は全部、社宅のほうへ流れ込んでいくんです。なだれをうって。しかし、工場はすぐに水が引いてあっという間に復旧した。疋田さんのルポはそのような内容でした。
2014-08-29 00:09:2232)お恥ずかしいけれども、私は毎日ボートをこいで泥海で取材を重ねていました。スクリューのあるボートはだめなんです。ごみが引っかかって走れない。だから何キロも何キロも手こぎのボーロで行くわけです。そして屋根の上から食料をくれ、着物をくれと言って合掌している人たちなんかを見てきた。
2014-08-29 00:09:4934)だけれども、その目を持たない私には、高級社員が全部、千種区にいることも、一般社員や市営住宅の低所得の人たちがみんな低地に置かれていたことも、工場が生き残って、最も大事な機械はさらに生きのびていること、これも見ていた。そばを通っているんですから。
2014-08-29 00:10:4036)つらくて、つらくて。こんなつらい抜かれ記事の記憶はありません。ちょうどみなさんと同じ入社二年目。月こそ一カ月ずれていますけれども、同じときです。県庁を担当させてもらって、いっぱしの書き手のつもりで大きな顔をしていて、前線へ飛んで、このざまです。
2014-08-29 00:11:4638)しかも、私が許せないほど犯罪的な記者であったのは、あの地帯が海抜マイナス、あるいはゼロメートルであることを知らなかった。おそらく、そこに住んでいた住民も知らなかった。新聞記者が知らないで書いたんだから、わかるわけがない。
2014-08-29 00:12:3539)だから、いきなり夕食後の不意打ちで五千人が死んでいったのです。非常に露骨な言葉、どぎつい言葉で申せば、新聞記者の無知と不勉強は犯罪だと思います。【以下略】
2014-08-29 00:13:0240終)上記で、全体の約4分の1くらいのお話です。今後、朝日に入社された方で、続きを読みたい方がいましたら、何年先でも声をかけてください。籔下さんの講演録はもう1本持っていますので、そちらと併せて、コピーを差し上げます。なお、籔下さんは1999年1月4日、63歳で死去しました。
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