藤田直哉「前衛のゾンビたち――地域アートの諸問題」を巡って
反応をいろいろといただいて、ほぼ草稿が完成している単行本版の『ゾンビ論』(仮)もはやく世に出したいなと思ってきました。現代における「ゾンビ」のメタファーの持つ様々な力というものがリアルにあるのだな、と実感しました。
2014-09-08 20:16:57どなたか『すばる』10月号掲載の藤田直哉さんの「前衛のゾンビたち」記事を送ってもらえたりしないでしょうか。(NY紀伊国屋にもありませんで)もちろん、古川さんやエリカさんのも読みたいのけども。
2014-09-08 23:36:24藤田直哉「前衛のゾンビたち――地域アートの諸問題」読んだ。今、「地域アート」状況は概ねそうことになっているのだろうとは思うけれど、状況の問題への批判だとして、その具体例がほとんど挙げられていないのが、なんか微妙。まだ潜在している「可能性の中心」は見ないのな、と。(続く)
2014-09-09 00:49:17続き)誰もが指摘する問題点として、まず「町興し(のツールに過ぎない)アート」ということへの批判がある。それについては、そもそも震災後である今、「素朴」な「絆」ですら必要な程の非常時である、という認識に立てば、アートであろうが何であろうが、必要だ、とも言える。が、それ以上に(続く
2014-09-09 00:57:40続き)共同体が既に壊れている状況をネグって(疑似)共同体を捏造する的なことのかわりに、「共同体の脱構築」的な発想で新たな「公共圏」(のプロトタイプ)を立ち上げる(それが震災前に言われた「新しい公共」ということかは問わないとして)というような役割を担うことは出来ないのか、とか(続く
2014-09-09 01:03:42続き)都市型アートプロジェクトにおいては、今や「社会はない」(すが秀美)ことになってしまってる都市の状況に、何かしら社会性をマウントするのような介入(資本に先導された?「祭り」の捏造ではなく!)が出来ないだろうか、とか。能天気過ぎる?
2014-09-09 01:12:30島貫泰介さんとのやりとり、まとめてみました(ホントは最初から私信じゃなくすればよかったんですが、、、)。藤田直哉「前衛のゾンビたち―地域アートの諸問題」、演劇の問題として考えると。 Togetterまとめ togetter.com/li/717032
2014-09-09 03:08:42、@akitasanjanaiyo 言及いただいた「当事者性の美学」は、「関係性の美学」の悪いところを煮詰めた隘路に嵌る感じがします。「敵対性の美学」もまた社会性や政治性が記述として優位に立ちすぎているので、ぼくは肯定してはいません。芸術の固有性が必要との立場ですね。
2014-09-09 16:21:56あと演劇と美術なら地域アートとの親和性は演劇が遥かに上。 小豆島に関わり続けるままごとさんは地域の人を上手く巻き混んでいる。舞台をどう考えるかと地域の人口密度にも関係はありそうだけど。
2014-09-09 19:56:40『すばる』10月号掲載の藤田直哉「前衛のゾンビたちー地域アートの諸問題」を拝読しました。以下、軽くコメントを。全体としては妥当な議論で基本的に同意できるものでした。おそらく地域アートに対して同じような批判を持っている人は多いでしょう。1
2014-09-09 20:30:13むしろこうした批判がきちんとした形で日本の美術業界であまり出ていないことの方が問題かもしれない。その上でいくつか気になった点について。「アートプロジェクト」と「地域アート」を「同義」としているのはどうなんでしょう?2
2014-09-09 20:31:11「地域アート」と関係のない「アートプロジェクト」も多いわけで。それから「地域アート」の重要な参照先として「関係性の美学」が挙げられていたけれど、日本の場合「関係性の美学」はまだ翻訳されていないしそれほど影響力を持っている印象はないですね。3
2014-09-09 20:32:04ビショップの批判も最近日本に導入されたばかり。あと、これは田中功起さんもすでに指摘していることだが、現代アーティストが批評家と契約して「ブランディング」を行っているという話。そうしたことは僕も聞いたことないのだけど、どのようなことを指しているのか具体例が気になります。地域アート4
2014-09-09 20:32:30そして、「現代アートに理論(言葉)が不足しているという危惧は存在しているようだ」とのことだが、まあ確かに日本ではそうかもしれないけれど、欧米においては必ずしもそうではないだろう。(もちろん昔に比べれば減ってるだろうけど) 地域アート5
2014-09-09 20:33:30例えば、この論文にも名前の出てくるクレア・ビショップがArtificial Hells等で述べていることは、文脈の違いこそあれ、藤田さんの主張に近い。(美術的「質」の重要性、数値化された結果を求めることや68年的ラディカリティの馴致された流用への批判、など) 地域アート6
2014-09-09 20:34:01あともう一つだけ言うと、藤田さんの言う「美」というのが具体的にどういうものか最後まで読んで分からなかったこと。「芸術の固有性」の問題もそれと関連するでしょう。この時代において「芸術の固有性」を主張するのはなかなか大変で、相当複雑な手続きが必要とされるだろう。地域アート7
2014-09-09 20:34:33何度も言ってるけど、Artificial Hellsは本当に翻訳された方がいいですね。とりあえず第1章Social Turnだけでもよいので。文脈は違えど、日本でもインパクトを持ち得ると思う。まあその前に『関係性の美学』の翻訳はどうなってるの?という話だがw
2014-09-09 20:50:25@akitasanjanaiyo 突然@して申し訳ありません。ご感想とても参考になります。批評の介入というのは、たとえばどこもさんがしてらしゃるのも広義の批評であって、つまりそういう外部の、あるいは客観の言葉や意見を排除するという意味だと私はとりました。
2014-09-09 20:51:35@akitasanjanaiyo ただご指摘されている通り本人が批評「家」であるからその意識が強く働いているというのはそうかもしれないですね。
2014-09-09 20:53:01