日中戦争から明治体制についての、司史生氏と整備兵氏の深夜の語らい

日中戦争の動員問題から始まり、何故その破綻は起きたのか? 日本の政治的意思決定から、明治体制が抱えていた欠陥、そして明治体制の批判者北一輝にまで至る司史生氏と整備兵氏を中心とした対話が大変刺激的でしたので、まとめてみました。
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司史生@減量中 @tsukasafumio

だがその程度の兵力ではソ連と戦えない、列強の近代化に追随できないと背伸びをあがいた結果が、日中戦争そして太平洋戦争だったわけで。

2014-09-22 00:22:25
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio しかも自国だけでの自存自活態勢を夢見て…

2014-09-22 00:25:01
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei どう見ても無理な背伸びを、しなければならないものと決め込んでしまったわけですよね。そこは同盟関係まで踏み込んだ国策を確立できなかった政治家の責任もあったと思います。その結果、フラストレーションを溜めた幕僚の暴走を掣肘できなかった。

2014-09-22 00:31:17

文民政治家と軍人

司史生@減量中 @tsukasafumio

失敗の直接的な淵源は大正末なんだろうけど、北伐とか関東大震災とか、たしかに手にあまる事態が続発したからなあ。

2014-09-22 00:33:55
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio 文民政治家は政争の影響で中堅軍人から信用されてなかったり軽視されていたりでしょうし、高級将校が彼らを抑えられれば良かったんでしょうが…

2014-09-22 00:34:21
司史生@減量中 @tsukasafumio

軍人政治家の田中義一と宇垣一成ですら、それができなかったわけですしねえ。 RT @seibihei 文民政治家は政争の影響で中堅軍人から信用されてなかったり軽視されていたりでしょうし、高級将校が彼らを抑えられれば良かったんでしょうが…

2014-09-22 00:36:54
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio 田中義一が現場に振り回されて、張作霖爆殺事件の処置をトーンダウンさせてしまったのは象徴的ですね。

2014-09-22 00:40:00
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei やはり中央の部課長人事を掌握して横断的に省部を押さえてしまったしまった一夕会のやり方が前代未聞だったんでしょう。

2014-09-22 00:41:10
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei 川田稔先生の著作を見ても、満州事変では若槻内閣と連携していた宇垣派の陸相と参謀総長が、幕僚の動きに押され続け、ついに勢力を追い落とされました。

2014-09-22 00:45:44
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio 一夕会「あなた方長州閥が幕末にやったことですよ」みたいな世代間抗争が、組織の中で起こってしまったんでしょうねぇ…上意下達ではない軍隊とか官僚組織という理不尽

2014-09-22 00:45:50

日本の意思決定と伝達

司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei 今でもそうでしょうが、政府の足を引っ張る幕僚や官僚を更迭させられず統制が効かないというのは、法令以前の日本の組織原理の弱点なんでしょうね。連携した下の動きをどうにも動かせない。

2014-09-22 00:49:02
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio 「根回し文化」が逆に働くとそうなっちゃうんでしょうね。「徳治」に優れたカリスマ的人物が出現すれば変わるんでしょうが、それは近代社会における解決法じゃないw

2014-09-22 00:51:11
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei やはり江戸時代からの文化慣習の根強さなんでしょうね。ドイツから導入した近代的な参謀制度が、意思決定者である司令官を御神輿化した幕僚統帥になってしまったのは。

2014-09-22 00:58:56
司史生@減量中 @tsukasafumio

東京裁判の検事団も、幕僚への追求が不徹底なところを見ると、日本の組織原理はよくわかってなかったんじゃないかな。

2014-09-22 01:01:22
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio 制度作ったり教範翻訳したり教官呼んできたりはしたものの、さすがに組織運営をどうするべきか、になると文化的背景が強く残らざるを得ない…当時だけではないし、日本だけの問題じゃないんでしょうけど

2014-09-22 01:02:49
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei 笠谷和比古先生の所説によるならば、日本的組織は戦国大名が起源、つまり国人領主層と形成された合意により支配が行われ、最前線の「備」の指揮官が戦場のイニシアティブを握ったことが近世に踏襲されたというから、組織文化は根強いものがあったわけで。

2014-09-22 01:11:53
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio 江戸期を経て、御一新という大変革の時代にも生き残り、現代でもなくなっていませんものね。そして、昭和初期にはたまたまそれが大きい影響力を持ってしまう事件が続いてしまった

2014-09-22 01:18:07
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei 硬直化した幕藩制を潰したのも、下士層を中心にした「処士横議」による反抗で、それが公議政体を生み出していく原動力になった。そういう意味で日本的組織原理が革命の原理としても創造的に機能したのも、なかなか打ち消せないところかもしれません。

2014-09-22 01:27:46
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei そもそも長州閥の山県有朋の陸軍や官僚の支配自体、トップダウン型ではなく調整型ではなかったのが強靭さの理由ではなかったかと。トップダウン型リーダーであった大久保は暗殺され、大隈は政変で政府から外野に叩き出された。

2014-09-22 01:31:24
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio 今でも「竜馬神話」が大手を振って通用しているくらいですから…。そこに反論する論理はあるとしても、実際組織を作って運営していくためには今までの組織原理に頼るのが最も低コストでしょうし

2014-09-22 01:32:55
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio 山県は逆にトップダウン型と誤解されることが多いかもしれません。それはむしろ実際の行動よりも「悪役だからトップダウンに違いない」みたいなイメージの問題なのかも

2014-09-22 01:34:19
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei たしかに何もない土壌に接木しても育つわけないですからね。あくまで抽象的な理想ではなく現実に山積する問題を処理していくのが官僚制度ですから。まあ視点を変えると、いまだに部族制に依拠せねばならない中東やアフリカの政府は大変だなあと思いますが。

2014-09-22 01:37:57
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio しかし大正から昭和初期の日本でも、処理に窮する大事件と、統制する側の力の喪失がそれぞれ絡み合ってどんどん悪い方向に転がっていくように見えて…。偶然も大きいとはいえ

2014-09-22 01:43:32