宮崎駿『風立ちぬ』の演出について

やっとまとめることが出来ました。正直、まとめるつもりも無かったので、断片的な呟きばかりで読みにくいですが…宜しくお願いします。
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武田真悟 @shingo0627

と、言うかですね…先ほど挙げた菜穂子の瞳の光が2つになるシーン…その全てで二郎の瞳の光は一つなんです(!)それだけでは収まらず、例えば、自宅療養中に窓から駆けつけ菜穂子を抱き寄せる時や駅のホームで抱き合う時など、二郎の返しのアップショットすら無いんです。。

2014-10-13 04:12:53
武田真悟 @shingo0627

菜穂子の瞳の光が2つになるところで、抜けている所がありました…。 相合い傘をするところと、結婚の告白をするところです。もちろん、どちらも二郎の目は変わりません。

2014-10-13 04:24:46

二郎は菜穂子に対して全く心が動いていない!

武田真悟 @shingo0627

まぁ、一つだけ例外があるのですがそれは後述します。その前に一応、二郎の瞳の光が2つになるところを挙げると…

2014-10-13 04:46:45
武田真悟 @shingo0627

映画の冒頭、朝目覚める時。流れ星を見つめる時。夢の中で戦争の景色が見える時。カプローニと語らう時。母親に起こされて設計士になると決断する時…これで少年時代は終わって次は大人になって。。

2014-10-13 04:47:43
武田真悟 @shingo0627

大人になって…飛行機設計図を書く時。最初のテスト飛行の時。設計をまかされる書類を喫茶店で見る時。ドイツ人カストルプと戦争の話をする時。電話越しに菜穂子が喀血した知らせを聞く時。電車の中で作図をしながら涙を流す時…。

2014-10-13 04:48:24
武田真悟 @shingo0627

これだけ、挙げてみるとたくさんありますし、二郎も心が全く動かない人物というわけでは無いようです。最後の2つは菜穂子に関することですが、二郎ひとりの時であり、その目で菜穂子を見つめることはありません。菜穂子といる時は頑にそのような目になることはありません…一カ所を除いて。

2014-10-13 04:49:05

二郎の心が動く時…それは?

武田真悟 @shingo0627

それがラストシーンです。 戦闘機の飛行成功シーンで初めて自分の好きな事をしている最中に山の方(=菜穂子の方)を見る経験を経た二郎が、ラストシーンになって「生きて…」と言う死んだ菜穂子を見つめる時、ついに瞳の光が2つになるんです。

2014-10-13 04:52:31
武田真悟 @shingo0627

そして、二郎はもう十分だと言わんばかりに目を瞑ります。思えば、この映画の始まりは「寝ている」=「目を瞑っている」二郎から始まりました。

2014-10-13 04:53:03
武田真悟 @shingo0627

まさに「見れなかった/見なかった」人物が最後には「見える/見る」ようになったんです…これ、全部僕の妄想だとしたら出来過ぎだと思うんですよね。。。 以上が、この映画の主題が「見ること」であるとする一応の理由なのですが…いかがでしょうか?

2014-10-13 04:54:33
武田真悟 @shingo0627

実は二郎は目を瞑った後、もう一度目を開いて、周りを見渡すんです。まだ少しだけ映画は続くんですよね。。 それに合わせて、この話ももう少し続けますが…少し休憩です。。

2014-10-13 04:58:34
武田真悟 @shingo0627

疲れた…と言うか、我ながら狂ってる!!!

2014-10-13 04:59:05
武田真悟 @shingo0627

ここからは僕の憶測というか、読解も混じりますが…最後に残るのは、では何故「見ること」なのか?という話です。

2014-10-13 05:33:01

何故「見ること」なのか?

武田真悟 @shingo0627

だあれが風をみたでしょう〜 ぼくもあなたも見やしない。 けれど木の葉をふるわせて 風はとおりぬけて行く。 だあれが風を見たでしょう〜 あなたもぼくも見やしない。 けれど樹立が頭をさげて 風はとおりすぎて行く。 -クリスティーナ・ロセッティ『風』-

2014-10-13 05:43:18
武田真悟 @shingo0627

劇中に紙ヒコーキを作りながら二郎が呟いていた詩です。 この詩にはやはり触れておくべきだと思うんです…。

2014-10-13 05:43:58
武田真悟 @shingo0627

つまりですね…二郎って、最後に「風」を見れましたよね?詩では誰も見れないことになっているはずの「風」を。 だって菜穂子って「風」になって消えていきますよね? 「…生きて」と言い二郎にあの目で見つめられた瞬間、菜穂子は満足そうに微笑みながら文字通り「風」になり消えて行くんです。

2014-10-13 05:45:43
武田真悟 @shingo0627

見えないはずのものを見ること、見えるようにすること…それは正にアニメーションそのものではないでしょうか?宮崎駿としてはそれが念頭にあったと思うんです。思えば、劇中、想像する頭の中が実際に可視化したり、その可視化された想像を実際に他人と共有できたりする描写が多発していました。

2014-10-13 05:46:51
武田真悟 @shingo0627

だから引退作と銘打つこの映画で「見ること」というアニメーションそのものの主題をテーマに描こうとしたのではないでしょうか?詩が語るように「風」は誰も見ることが出来ません。でも、雲がするすると流れ、草がさらさらと揺れれば、そこに見えなかったはずの「風」が見えるようになるんです。

2014-10-13 05:48:16
武田真悟 @shingo0627

映画の最後はそんな風景が描かれています。 雲は流れ、草原を影が進み、草が揺れる…つまり「風」が流れている。。 二郎はそんな風景を名残惜しそうに眺めながら映画から姿を消します。 その姿はまさに宮崎駿そのものだと思うのです。

2014-10-13 05:53:51
武田真悟 @shingo0627

以上です。今まで『風立ちぬ』についてしつこく話し続けてきてすみませんでした。断片的になりましたし、飛び飛びになりましたが、だいたい言いたい事は言えました。本当にどうもありがとうございました。

2014-10-13 06:01:40
武田真悟 @shingo0627

やっぱり作家は自分のしたことを分かってもらいたがっていると思うんです。でもそれがあまりに分かられていないのも宮崎駿が引退を決意した理由なのかなと思います。この一連が少しでも見ることの役に立てば…その輪が広がれば宮崎駿が前言撤回して長編を作ってくれるかもしれません。そう願ってます。

2014-10-13 06:10:45

どうもありがとうございました!!

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