ヤンデル先生、コミュニケーションを語る

まとめてみました。
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博物月報さんの考察

博物月報 @hakubutu

ヤンデル先生の連ツイ、本筋もさることながら、「半年で勉強できる病理学なんてたかが知れているが、コネを作っておくくらいなら半年でできる」「医者に本当に必要なのはすぐれた事務処理能力と鋼の精神力である」というフレーズが、医者とか医学の枠を超えて、心にしみる。

2014-10-14 15:14:28
博物月報 @hakubutu

あと、この連ツイ、あえて「。」を使っていない。二文が連続するときには全角スペースにしている。これ、たぶん意識的にやっているんだろう。「。」がつくと文章がひとつひとつ構造的に区切られてしまう。それを避けて、語り流すような雰囲気を出そうとしているのかもしれない。

2014-10-14 15:19:52

ヤンデル先生、さらに核心を語る

病理医ヤンデル @Dr_yandel

先ほどの連ツイ、受け取り方は自由だが実は俺にとっての「本当の核」は、幼少期の「困ったことがあっても、どうにもならないときがある」という諦念……もっといえば、「たぶんこいつらとはわかりあえないし、そういう奴らのほうが多い」というあきらめなのだ

2014-10-14 15:21:52
病理医ヤンデル @Dr_yandel

その後、「仕事に困らないレベルでのコミュニケーションスキル」までは構築したし、これは理念と理論、精神力でどうにかしたと自分では考えている この部分を拾って「自分はできる」「自分はできない」というエアリプも見られる しかし……

2014-10-14 15:22:36
病理医ヤンデル @Dr_yandel

仕事での交流はともかく、俺は今でもその意味での「コミュニケーションスキル」は低い……というか、世の中の過半数の人々の「型」とは不適合なままだと思っている 結局子供の頃に感じた「どうにかこいつらとわかりあえないのか」という「望み」は叶わないままだった 努力してもどうにもならなかった

2014-10-14 15:23:47
病理医ヤンデル @Dr_yandel

でも、それでもいい、ということを言いたいのだ 「コミュニケーションがヘタクソなままでも働いて良い、世の中にいてよい」、ただし「仕事をする上で必要なくらいの能力ならがんばればなんとかなる」という双方を言いたいのだ

2014-10-14 15:24:42
病理医ヤンデル @Dr_yandel

後者だけとりあげて「ヤンデルはコミュ障なおったんだ よかったね」というのは、(まあ自由なのだが)発信者としてははなはだ不本意であるし、何より「コミュ障を治さないと生きていくのがつらい」と認めるようで非常に心苦しい まあ実際生きていくのはつらいがそれにしたってだ

2014-10-14 15:25:19
病理医ヤンデル @Dr_yandel

解決しないことはいくらでもある、楽しい思い出を戻って作ることはできない、それでもとりあえず36歳のヤンデルは業務上のコミュニケーションまではなんとか作り上げてやっているから、今コミュ障で不安なやつの不安のうち半分くらいは将来なんとかできる 残りはあきらめろ 本当はそう言いたい

2014-10-14 15:26:34

それに対してこんな意見も。

KITAYAMA Takeshi @kitayamatakeshi

@Dr_yandel 以前書いたのですが、青年海外協力隊の訓練で「異文化を理解する事は出来ない。しかし、理解出来なくても相手を信頼する事は出来る。仕事をする上ではそれで十分」と言われました。同じ事をおっしゃっている用に思えます。 twitter.com/kitayamatakesh…

2014-10-14 15:27:48
KITAYAMA Takeshi @kitayamatakeshi

青年海外協力隊の訓練で「異文化を理解する事は出来ない。しかし、理解出来なくても相手を信頼する事は出来る。仕事をする上ではそれで十分」と言われた。例えば、電車の中で隣に座っている人が何を考えているかを理解する必要は無くて、その人が突然襲いかかってこないという信頼があれば十分だと。

2014-09-06 00:27:35

「諦め」に関してはこんな視点も。

タビトラ @tabitora1013

他人の感情に鈍い人に対してはしかたないし、変わるもんでもないだろうなと諦めてるんですけど、そういう人に限って距離をとろうと後ずさってるのに鈍いゆえに気づかず、「私はあなたのためを思ってただけなのに…(泣)」って勝手に傷ついていくのがめんどくさいし自分の感情には敏感なんだなって

2014-10-14 16:11:06

「人見知り」「会話の技術」という観点から、rionさんの考察。

r i o n @ri_on0044

毎週のようにプライベートで「多数の人と会っている」人が、自分を「人見知り」だと言うのは不思議だなぁと思う。私とはその言葉の意味が違うんだろうなと。私にとって「人見知り」という言葉には、「他人に緊張する」と共に「よほど望まない限り、知らない人に会おうとはしない」の意味も含む。

2014-10-14 09:15:55
r i o n @ri_on0044

「会おうと思えば誰とでも会えるけど、簡単に心は許さない」状態を「人見知り」と呼ぶ事もできるのだなぁと気付いて、納得した。私は「他人に対して割ける労力」のキャパが狭い。「親しくなった1人」に対してなら注ぐのは苦にならないが、「まだ親しくない複数人」に対してはとても難しくてしんどい。

2014-10-14 09:19:48
r i o n @ri_on0044

「あなたに会いたいです」と言われても、私が相手に会いたくなければ断ってしまう時も少なくない。それが複数人で会う場なら尚更。他人と会うなら1対1の方がまだありがたい。相手がどういう人かゆっくり見たい。複数人だと同時処理が難しい。でも逆に、私が会いたければものすごく頑張る場合もある。

2014-10-14 09:22:45
r i o n @ri_on0044

「他人に対して割ける労力」は人によって差がある。仕事上ならできる事でも、プライベートになると難しくなったりする。より多くの他人に対して労力を割ける人は強いなぁと思う。人間愛がある。と同時に、「複数人の他人に対してそこまで労力を注げない自分」を自覚する。やっぱり私は人見知りである。

2014-10-14 09:29:00
r i o n @ri_on0044

Twitterを始めたおかげで、個人的には驚くほど変化はしてきた。知らない世界の知らない人に会う機会をわずかながら作れるようになった。それだけでも大きな変化。

2014-10-14 09:39:17
r i o n @ri_on0044

他人との「技術としての会話」と、「自分の心を尽くした会話」は違う。私は「技術としての会話」があまり上手くない。でも、誰に対しても心を尽くして会話していたら精神的に参ってしまう。また、これらの問題とは別に、「私が私の経験や過去の話をするとドン引きする人がいる」問題もある。

2014-10-14 17:40:55
r i o n @ri_on0044

「人と会話をする」には「自分の喋り方」「話題の選択」「相手が何を話したい事の推測」が必要になる。私は「喋り方」以上に「話題の選択」が苦手なのだと気付く。だから相手が喋りたい事を聞く方がずっと楽。この辺りは、他人の観察と真似でかなり向上する。「演劇」はその集大成みたいな技術。

2014-10-14 17:46:21
r i o n @ri_on0044

でも「他人の話を聞く」方に徹し過ぎると、「話した人は満足」するけど「私個人に興味を持ってもらえる事は少ない」のよね。「自分に興味を持ってもらう」為にはやはり「喋り方」も重要になってくる。見方を変えれば、「自分に興味を持たれたくないなら、人の話を聞いていた方がいい」というのもある。

2014-10-14 17:50:00