渡邊芳之先生ynabe39の「「反対するときに対案を出す必要がある場合と出す必要がない場合はなにで別れるか」というのは整理しておいたほうがいいな。」

もちろん「対案を出す必要がない」のがデフォルトで「対案を出す必要がある」のが特殊だと思うが。 by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

千の風になって。

北海道帯広市 · twilog.org/ynabe39

渡邊 芳之(わたなべ よしゆき、1962年4月22日 - )は日本の心理学者。帯広畜産大学人間科学研究部門(人文社会・体育学分野)教授。博士(心理学・東京国際大学)。 佐藤達哉、尾見康博との共同研究を中心に心理学論、心理学史、人格心理学や血液型性格分類の批判的検討などの分野に論文・著作を持つ。趣味はレコード蒐集。
http://ja.wikipedia.org/wiki/渡邊芳之

渡邊 芳之 -帯広畜産大学-
http://www.obihiro.ac.jp/ichiran/watanabe_yoshiyuki.html

 

渡邊芳之 @ynabe39

「反対するときに対案を出す必要がある場合と出す必要がない場合はなにで別れるか」というのは整理しておいたほうがいいな。もちろん「対案を出す必要がない」のがデフォルトで「対案を出す必要がある」のが特殊だと思うが。

2014-10-20 06:26:48
渡邊芳之 @ynabe39

「対案を出す必要はないが出しておいたほうが人間関係上はプラス」ということがあるので面倒だ。

2014-10-20 06:27:36
渡邊芳之 @ynabe39

「反対するなら対案を出す必要がある」典型的なパターンは「大きな目標や方向性では一致していて,そこへ向かう方法を議論している場合」だろうな。「ラーメンを食べることは同意しているがこのラーメン屋は嫌だ」というときには別のラーメン屋を提案すべきだろう。

2014-10-20 06:31:14
渡邊芳之 @ynabe39

原発でも感染症研究施設でもゴミ処理場でも自分の家の近くにできない限りは「反対しているのは住民エゴ」と思う。

2014-10-20 06:37:50
渡邊芳之 @ynabe39

「代案を出せ」という要求自体が「大きな方向性では同意しろ」という要求なんだから,大きな方向性で同意できない場合には代案など考えてはいけない。

2014-10-20 06:40:57
渡邊芳之 @ynabe39

「反対するなら対案を出せ」というのは「人の話は目を見て聞け」みたいなのと同じような道徳規範なのだと思う。人の話だって相手の目を見ないで聞いたほうがいい場合はいくらもある。

2014-10-20 06:42:39
渡邊芳之 @ynabe39

まあ「どう変えるか」が問われるときには「現状維持」「何もしない」というのも立派な代案である,ということもはっきりさせておくといいね。

2014-10-20 06:44:42
†TAMIØ@おとぎ舞台クラリッサ† @Tamio_elessar

@ynabe39 失礼します。昼食の例でいう「マクドナルドに行こう(というと皆代案を出す)」みたいな「代案を出したくなる言葉」を「代案が欲しい側」が使っているかどうかも関わってるでしょうね。 個人的には昼食以外でも「マクドナルド」みたいな代案を促す言葉ほしい時があります(笑)

2014-10-20 07:24:38
渡邊芳之 @ynabe39

なにかについて理解するとどうしてもそれをやっている人の味方をしてしまうのは人情だから,ケンカする気の人はわざと相手を理解しない。

2014-10-20 07:30:53
渡邊芳之 @ynabe39

「理解しても代弁者にはならない」のが学者。

2014-10-20 07:31:30
渡邊芳之 @ynabe39

「代案を出させる」のが目的か「代案を出せと責める」あるいは「代案を出さないからと無視する」のが目的か。

2014-10-20 07:36:39
渡邊芳之 @ynabe39

「そんなによくわかっているのにどうして私たちの味方をしてくれないのですか」と言われてもヘラヘラしていられるのが学者。

2014-10-20 07:40:08
渡邊芳之 @ynabe39

ヘラヘラとニヤニヤは学者人生では非常に大切な技術である。

2014-10-20 07:41:12