- suzutuki1980
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前提(まとめ主は「苦笑・微笑は誘われるし、ネットでの批判まで展開しようとは思わないが、人に勧めようとまでは思わない」という立場です)
@fushikiri 笑いませんし微妙なラインですが、「運動まで起こさない」というところですね。やはり「マンガです」から。「大学教授による講談社現代新書」と「マンガ」では、権威のレベルが全然違います。ただ、私は『聖☆おにいさん』を推すことはしません。
2012-06-15 23:39:46「聖☆おにいさん」については、「苦笑・微笑は誘われるけど、これを人に薦めたいとは思わない」。「キリスト教はこんなに軽くていいんだ」と思われたら困る。私の価値観からは、あれは陰でこっそり読んで苦笑するどまりの漫画。
2012-06-16 00:07:44「なぜ目立って怒られないのか」に対する回答(冒頭に紹介した「文学僧侶」さんは難しく考え過ぎだと、まとめ主は思います)
『聖☆おにいさん』、なぜ宗教家から怒られないのか 文学僧侶が解説 newsphere.jp/entertainment/… 難しく考え過ぎです。単に「明らかにフィクションだから」「漫画だから(権威無いから)」です。これが「入門!キリスト教と仏教」とかいうタイトルだったら、怒る人は一杯居ます。
2014-08-21 19:53:31残念ながら知名度の低い正教はともかく、ローマカトリックやプロテスタントについては、「興味持ってくれるだけでありがたい」という段階は過ぎ去って居るのではないでしょうか。今は弁明に努める段階と思います。幾ら弁明自体が日本ではあまり歓迎されないとは言っても、限度というものがあります。
2014-08-21 19:59:47「聖☆おにいさんはフィクションだからいいということ?ではフィクションと称していれば涼月にとっては何でもOKなの?」という疑問が出るかもしれません。さすがに「何でもOK」とは申しませんし、人によって見解は様々と思いますが、私にとってはあの映画「薔薇の名前」もOKの範疇に入ります。
2014-08-21 20:07:17承前)人によっては「冒涜!」と仰る事もある映画「薔薇の名前」ですが(そういう感想も不当とは思いません)、私が小学生の頃に見て感銘を受けたのは、「どうでもいいじゃん」と言う価値観の登場人物が一人も居ない事だった事に起因しています。現代日本ではそういうのは物語としてすら成立しません。
2014-08-21 20:09:06@suzutuki1980 フィクションかノンフィクションかで読者の受け取り方も変わるのだから、判断基準が変わるのは当然ですよね。逆にフィクションでも『ダ・ヴィンチ・コード』みたいに「事実に基づく」と称し読者もそう受け取ってる場合は、批判対象になっても仕方がないかと思います。
2014-08-21 20:11:03そう、ダ・ヴィンチ・コードは「フィクション」を殆ど自称していませんからね…。きちんと「フィクション」と謳っている、あるいは直ぐにフィクションと分かる設定にしてあるかというのは、「多少間違って居ても構わない」が適用される重要な条件ですね。 @kanedaitsuki
2014-08-21 20:13:02@suzutuki1980 日本ではあまり知られてないんですが、作者のダン・ブラウンは、インタビューなんかで小説に書かれていることは「事実」と断言してますし、キリスト教(特にカトリック)の基礎を掘り崩す目的で書いたとはっきり言ってますからね。
2014-08-21 20:15:16まとめ主とは見解が異なるものの興味深い見解
『聖☆おにいさん』が日本で無問題なのはイエスも釈尊も、実は人口の1%未満の弱小宗教(キリスト教と上座仏教)の教祖でしかないから。親鸞と日蓮と大川隆法が都営住宅の隣人で、怖い嫁を愚痴りあう、という類のマンガが出て初めて、日本人はムハンマド風刺画事件を笑えるのでは?
2010-05-20 22:24:32