ライプニッツのモナド論の形成をめぐって
なんぞこれすばらしく整理されている。 「『モナドロジー』(1714)の概要」(LABYRINTHUS IMAGINATIONIS)d.hatena.ne.jp/theseus/201410…
2014-10-24 01:55:22【pdf】稲岡大志「モナドロジー前史――中期ライプニッツ哲学における点とモナドをめぐって」(シンポジウム「モナドロジー300年」)researchmap.jp/?action=cv_dow…
2014-10-28 19:23:52モナドロジー前史に関しては、いなおかさんの発表とぼくの発表で、内在的にはだいぶサーベイできていると思います。もちろんこれでもごく一部ですけれども。 池田真治「〈自然の真のアトム〉としてのモナド—ライプニッツの原子論との対決—」researchmap.jp/mu59qqtrk-1774…
2014-10-28 19:56:07「モナドロジー」の影響史について、日仏では、タルド、フッサール、関哲ではベルクソンがとりあげられたにとどまった。 影響史としては、ルヌーヴィエとかマーンケとかまだ十分検討されていない。 哲学史的前史としては、実にいろいろある。誰かブルーノとか、プロクロスとかをとりあげてほしい。
2014-10-28 20:03:49池田さんの原稿を読んだ。ライプニッツのモナド論の形成を、初期・中期・後期に区分した上で、特にライプニッツの「原子論」への対応に即しながら概観するものだ。および、ガーバーの既に古典的な著作での議論が、幾つか批判的に検討されている。
2014-10-28 23:21:37初期のライプニッツは、一方でデモクリトス・エピクロス的な古代原子論を否定しつつ、ゼンネルトやガッサンディによるキミア(化学=錬金術)の文脈で登場した新しい原子論を支持していた。ライプニッツによって、このキミアの伝統にたつアトムは「泡体」あるいは「事物の種子」とも呼ばれるように、
2014-10-28 23:22:27単に(「アトム」の原義である)「不可分」であるという性質だけでなく、多様な質や力を持つものとして理解されていた。興味深いのは、この「泡体」あるいは「種子」と呼ばれるものが、より小さな不可分なるものによって構成されたものであると考えられていたことである。
2014-10-28 23:23:00中期においては、アトムにかんして、「泡体=種子」を構成すると考えられた、より小さな不可分者の存在の根拠が何なのかが再考される。ライプニッツは、この不可分者の根拠を、不可分な何らかの物体的なもの(ここで物体的なものというのは、結局は「延長するもの」ということだと思う)ではなく、
2014-10-28 23:23:55「力」に求めた。この「力」をライプニッツは「実体的アトム」とも呼んだ。哲学の伝統に即して、スコラ学的な「実体的形相」の概念がライプニッツによって召還されるのも、延長する物体に還元されない力を彼が考えていたためだ。
2014-10-28 23:24:13後期の、つまり『モナドロジー』の観点に立てば、この「不可分性の根拠=力=実体的形相」と「モナド」との関連を探りたくなるが、まだこの時期には、「単純性」をその重要な特徴とする「モナド」の概念は採用されていない。
2014-10-28 23:24:34中期において、物体を構成する不可分者の存在は「実体的アトム」と呼ばれ、それは端的にいえば「力」であり、その力に付けられた名前が「実体的形相」だった。池田は、この中期のアイディアと、後期の「単純性」を特徴する「モナド」の概念を架橋する部分を最後に論じる。
2014-10-28 23:25:04ある論者(フィシャン)は、既に「実体的アトム」の概念が提出された時点で、単純で不可分な実体としての「モナド」の概念は準備されていたという。そして、「モナド」の概念が現れても、ライプニッツはそれを「形相的アトム」「本質的な点」とも表現していた。
2014-10-28 23:25:36これが明確に原子論への反対が述べられるのは、1696年の「不可識別者の原理」という論考においてだ。ここでキーになっているのは、もはや単に物体の不可分性や力といったものではなくて、「不可識別者同一の原理」と呼ばれるライプニッツ特有の形而上学的な原理である。
2014-10-28 23:26:01池田は、ライプニッツの原子論への対応を検討した後に、「物体的実体」と「モナド」の関係について、ガーバーの議論を参照しつつ論じる。
2014-10-28 23:28:57個人的に興味深いと思ったのは、基本的に二点だ。一点は、ガーバーによって、特に中期のライプニッツは物体的実体を盛んに論じたこと、その過程でスコラ学的な実体的形相の概念を再導入したことは論じられてきた。しかし、池田の議論を見ても、不可分社の根拠が「力」だとされた後に、それを実体的形相
2014-10-28 23:31:10として言い換える必然性がどこにあったのか、一周して考えて見ると、よく分からないことだ。中世的な質料形相論が葬られた理由の一つは、物体の原理が、十七世紀には、不可視な「力」へと求められたからだと思うので、それを改めて形相という概念で形容することが、どういう意味があったのだろうか?
2014-10-28 23:35:00二点目は、少なくとも池田の整理に従うならば、中期から後期への不可分者をめぐるライプニッツの思考を大きく分けるのは、不可分性や力といった物理的なものではなく、「不可識別者同一の法則」というライプニッツの重要な形而上学的な原理によってであり、この問題を考えると、
2014-10-28 23:36:54結局、「実体的アトム」から「モナド」論への転換の背景にあったのは、アトムそれ自体をどう考えるかというよりも、この世界と神がどのように関係しているのか、という神学的な問題だったのだろう、と考えることができる。
2014-10-28 23:38:42とするならば、このライプニッツの神学的な教義が、このモナド論の変遷と呼応しているのか、あるいはどちらかがどちらかの原因であり結果なのか、単にパラレルなだけなのか、その点について、もう少し詳しく知りたい、と感じた。
2014-10-28 23:39:56@adamtakahashi 極めて的確な整理と、わたし自身気付いていなかった論点への配慮、たいへん感銘いたしました!どうもありがとうございます。後ほど、コメントなどをお返しできればと思います。
2014-10-28 23:45:51池田さんの議論の後半をよく分かっていないうちに感想を書いてしまったかなと思い、再度読み返してみたけれど、大きく筋から逸れることは言っていなかったようだ。
2014-10-29 17:44:47興味深い点として二点挙げたけれど、一点目の「実体的形相」の問題については、(ガーバーもアーサーも扱っていないような・・・そんなものあるのかな?(笑))新資料を読み解くでもしない限り、今の研究状況で言われていること以上のことは、おそらく言えないと感じている。
2014-10-29 17:46:47