『古代ガラスにみる技術と心 ~日中韓のガラス工芸~』林佳美さん/サイエンスカフェにいがた第82回
後半開始
お話再開。後半は東アジアの仏教とガラス容器。一つは舎利容器、もう一つは荘厳具(しょうごんぐ) 舎利はお釈迦様の骨のこと。 #ngtsc 仏教用語は読み方が難しいなあ。
2014-11-22 16:23:48舎利信仰は仏教の基本信仰だったそう。 #ngtsc 仏教は基本的にモノを崇めることはないのだけれども、この時代はそうだったのですね。大衆化するためには拠り所、アイコン(あ、これも宗教用語だ)が、必須アイテムですね。
2014-11-22 16:25:42中国の舎利容器の説明。金の小さな容器、銀の中くらいの容器、銅に金を被せた大きな容器の3つを入れ子式にして仏舎利が入っていた。 #ngtsc マトリョシカ!
2014-11-22 16:30:15韓国の統一新羅の舎利容器。派手。ここでガラスの舎利容器が登場。それ以前はガラスの、金、銀、銅の順番に入っていたが、これはガラスの容器で外側を金属で作っていて、ガラスの容器が見えるのが特徴。 #ngtsc
2014-11-22 16:31:51韓国の舎利容器(仏舎利)は塔の中(2層目とか)から発見されています。 #ngtsc 日本はだいたい塔の中央の心柱の下の基礎部分から発見 されることが多いので、韓国とちがうんだな。建築様式や風土にあったようにローカライズされているのかな?
2014-11-22 16:34:24先ほどの「なおはいじ」と異なり、日本にもガラス、金、銀、銅の入れ子式の舎利容器もある。中国、韓国、日本、の類似点は入れ子式で材質も同じこと。相違点は容器の形が。中国は棺型、韓国は宝物殿型、日本は箱型や壺。 #ngtsc
2014-11-22 16:38:23入れ子式の埋納方法の系譜 中国の随の時代に規範化。文書が残っている。随の文帝により、仁寿舎利塔の建立。 #ngtsc 皇帝が規範を示して、みんながそれに従った、という図式
2014-11-22 16:41:04需要を支えた技術基盤 高鉛ケイ酸塩ガラスの生産。スライドは唐三彩。鉛の緑の釉薬の技術を応用して、緑のガラスを作った人がいた。それが、東アジア全域に伝わった。 #ngtsc
2014-11-22 16:44:27奈良、飛鳥池工房遺跡。7世紀後半から8世紀初め。この時代には日本でガラスが作られていた。この時代には舎利容器の需要が伸びたので、需要に応えるために百済から技術導入をした。 #ngtsc
2014-11-22 16:46:45レシピに従って、高鉛ケイ酸ガラスが作られていた。奈良時代のガラスの原料の鉛は国内の鉱山から採掘されたものらしい。輸入原料だけではなく、原料の国内調達もしていた。 #ngtsc すごいな。奈良時代の人、最先端技術を導入して作っちゃうなんて、頑張ってる。
2014-11-22 16:53:157世紀後半は律令国家が成立し、国としての形態が整った時代。大陸から、最先端の文物が移入され、国産化をめざした動きがあった。 #ngtsc
2014-11-22 16:54:22火葬の導入が行われ、骨壷としてガラス容器が使われた。土層から火葬への変化は非常な精神文化の変更が必要。そこで ガラスが大きな役割を果たした。 #ngtsc
2014-11-22 16:56:10祭祀にもガラス器が使われ、中国・韓国では行われていない日本オリジナルの儀式とガラス器が結びついた。現在、この分野の研究が進みつつある。 #ngtsc
2014-11-22 16:57:50話変わって、中世日本のガラスについて。 平等院鳳凰堂のガラス #ngtsc 10円玉の模様のお寺だっけ?小林秀雄のエッセイ美しい建築物を褒め称える文章があったような。
2014-11-22 16:59:23博多でガラスを作って、都に送っていた。対馬の鉱山の鉛を使用。奈良時代は長登銅山周辺の鉛が使われていたが、平安時代の後半には対馬の銅に変わっていた。 #ngtsc
2014-11-22 17:03:4812世紀後半はカリ鉛ガラスに変わるという技術確信があった。ガラス容器の用途も仏舎利容器というのは変わらないが、形態や収納場所(お地蔵様の頭の中)が変わったり、お経を入れる筒ないになったり。 #ngtsc
2014-11-22 17:06:43平安時代の後期の日記にガラスの容器の用途が記載されている。源氏物語の梅枝の段には、紺瑠璃と白瑠璃の器にそれぞれ梅を飾った記述が。道長の日記には子供の誕生祝に瑠璃の器を使った記録がある。 #ngtsc
2014-11-22 17:09:01お知らせ、次回予告など