「ロリコンへの恐怖」と「同性愛への嫌悪」の違いについて(鮫島真子氏・青識亜論)
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「ロリコンと子を持つ親の関係」を論じるにおいては、「恐怖を感じている人々」が排斥に走るのは「当然」と述べる一方で、「ゲイを嫌い・気持ち悪いと思う」人々には、「違うものは違うものとして干渉しない」ことを求めておられる(ように読める)のですが。
2014-12-23 14:13:36「ロリコンへの恐怖」が「間違った前提認識」に基づくものだとするならば、その認識に基づく排斥や規制は差別であり、弾圧と呼ぶべきものなのでしょう。
2014-12-23 14:19:59@age3plus いいえ。それはその後のやりとりで鮫島さん自身が明確に否定されておられますから。ただ、「ロリコンに恐怖を感じる親御さん達」に対する立場と、「ゲイを嫌悪する人々」に対するそれが、どうにも不整合であるように思われたので、「不思議だ」としたわけです。
2014-12-23 14:42:11furio @furiorio さんの「恐怖を感じるのは勝手」は「違うものは違うものとして干渉しない」態度を求めているだけですよね?
2014-12-23 14:20:02@dokuninjin_blue そうですね。たとえ「人を食いそうな顔」をしていたからと言って実際そののような行動を起こしたり、「食ってやるぞ」というような恫喝をしたというのでもない限り、しょっ引かれる筋合いはないということです
2014-12-23 14:36:20.@age3plus なるほど。しかし、単にそこに存在するだけで「恐怖=抑圧」を与えられるというのなら、いったいどういう共存の方法があるのでしょうか。鮫島さん自身はどう思われますか?
2014-12-23 14:55:24例えば、同性愛者や在日コリアンによる犯罪は現に存在するわけですが、そのことをもってヘテロ男性やネトウヨな人たちが「あいつらは危険だ、排斥しろ」という言説に対して、「根拠の無い決めつけだ」という以外に、なにか反論の仕方があるでしょうか?
2014-12-23 14:47:01.@age3plus 「犠牲者は一人でも多すぎる」、このロジックはおかしいでしょう。それはロリコンやポルノグラフィの犠牲者なのでしょうか? それは性犯罪の被害者であり、ロリコンという属性全体に拡張すること自体がすでに詭弁であると私は思いますよ。
2014-12-23 15:04:05.@age3plus 例えば、在日コリアンの犯罪者がいたとしましょう。しかしその事実は、「彼が」犯罪者であったのであり、「在日コリアン一般が」犯罪者であったのではありません。
2014-12-23 15:05:16.@age3plus 「在日コリアンを排斥しなければ同じ犯罪が繰り返される」という主張には、「被害妄想だ」「ごく一部だ」という以外になんの反論の仕方がありましょうか?
2014-12-23 15:05:23鮫島さんは、「寛容な社会である為には不寛容な態度に寛容であってはならない」というお立場を表明されていますが、「単にそこに存在するだけで「恐怖=抑圧」を与えられるから、排斥せよ」という訴えは、明白に「不寛容な態度」だと思われます。 @age3plus
2014-12-23 15:00:44私は「不寛容への不寛容」を寛容な社会の条件だとは思いません。しかし、少なくとも鮫島さんのお立場からは、寛容な社会であるためには、ロリコンに対する偏見やその差別的信念の表明をこそ、不寛容として「排除すべき」と結論すべきではありませんか? @age3plus
2014-12-23 15:02:26.@age3plus ここでは規制の運動論ではなく、鮫島さん御自身の立場の整合性を問題にしているのですよ。不寛容を排除せよと単に訴えたところで、不寛容はなくならないでしょう。
2014-12-23 15:14:08