暴力に対する暴力による抵抗の是非
「専守防衛で済まない場合、自衛のため暴力に訴えうる」 「正当防衛は自衛の結果としての暴力行為に用いる言葉であって積極的な攻撃は許されない」
2015-01-05 19:31:00「目に見えて迫る脅威(暴漢とか)に対して、こちらの被害を最小限にするために『意図を持って』暴力を振るうことの是非」が「アカン」のがまつけーさん。「多少なら良くね?」が私。
2015-01-05 19:48:41潜在的な脅威にすら「最小限の攻撃で」となるとこれはもう私にとっても「アカン」状態なので、まつけーさんが危惧する「危険な思想」ってのはこれだと思われる。目の前にある迫った危機に対してやるのも潜在的脅威にやるのも程度問題に過ぎず同一線上である以上は。
2015-01-05 19:52:38するとその場合、今まさに襲われている女性や子供に許される抵抗とは何かという問題が出てくる。助けを呼べれば良いが、そうでなければ意図を持って暴力を振るう他無いのではないか。
2015-01-05 19:56:51いざ目の前に危険があった時に身を守る手段として暴力以外の道がなかったら、それはもちろん暴力を振るう正当な理由になると思うし、振るうべきだと思う。 ただ、自分の身にいつか振りかかるかもしれない危険に備えて武器を探そうとする思想は、隣人としてコワイなぁと僕は思うのです。
2015-01-05 20:02:49まあ確かに隣の席の人が「昔襲われたので護身用に」って8cm以内の刃物持ち歩いてたら「マジかよこいつ」ってなるけど、女性がスタンガン持ってる分にはさほど怖いとは思わない。その用意された暴力を自分にとって危険とみなすかどうかって話になるのか。
2015-01-05 20:07:50防犯ベルは大男を倒すことはできないけど、大男を倒せるお巡りさんを呼び出せるかもしれないので、大男を追い払えるかもしれない。この抑止力は、自らの暴力を伴わない防衛手段だ。もちろん抑止力は万能ではないけど、平和を志向する社会ではこちらが推奨されるべきだと思う。
2015-01-05 20:10:42なぜなら、暴力を振るう準備をしている人がいたら、周りの人は安心できないからだ。身の危険が迫った時にボールペンを振り回すのはいいんだけど、だからといって「私は身の危険を感じた時に刺せるようにボールペン持ってます」って宣言するのが健全かというと、たぶん違うというのが僕の感想。
2015-01-05 20:17:10「有事が起き、他に手段が無ければ意図的な暴力もやむなし」でとりあえずそっちの結論は出た。暴力を振るわれるという有事に備えて暴力を準備する事の是非。
2015-01-05 20:19:02別に言ってること(身の危険が迫ったらボールペンを刺す)を実行に移した時に直ちに非難するつもりはないけれど、それを口にする行為は、大げさに言えば社会的不安を煽ってしまう。自分が暴力を振るうことを想定していない健全な一般人からすると、その人こそ潜在的暴力犯に見えてしまうと思う。
2015-01-05 20:28:18今の理屈を国際的な軍事バランスの話に拡張すると、昨今の日本における「普通の国」を目指す法改正や憲法解釈の変更は、周辺他国からすると偏見を抜きにしても不穏な動きに見えるのは当たり前だと思う。その政策が間違っていると言っているわけではないけど、周りは緊張するよね。
2015-01-05 20:36:30暴力の準備は容認しつつ、それを表明することで周囲に与える不安を問題視する方向性で合っているだろうか。その場合、「私はこうやってます」というアドバイスも問題視されることになって、結果被害の拡大を防げないという事になりはすまいか。
2015-01-05 20:45:36自分の自己防衛手段を公表することが他の悩める人へのアドバイスとなる可能性はあるし、その結果誰かが助かる可能性も否定はできないけど、国民全員に暴力が認められていないはずの日本社会において、有事のこととは言え自らの暴力行使を前提とした対応を考えるのは、倫理的にグレーだと思う。
2015-01-05 20:55:22大前提:暴力も抑止力も無い方が良い ①脅威に対しては原則として抑止力などの暴力以外で対応すべき。他に手段が無ければ仕方ないが意図的に暴力を振るうべきではない。 ②ただし、抑止が効かず目の前に早急な対応を要する驚異がある場合は意図的な暴力での対抗もやむを得ない。
2015-01-05 21:08:27③潜在的脅威に過剰反応するのはアウト。起こり得る脅威に対して暴力を準備することは倫理的にグレー。 ④そういった準備はひっそりやる物で、それを吹聴することで周囲は不安を覚えるのでリスクは覚悟せよ。
2015-01-05 21:11:32