- centurio_P
- 6219
- 1
- 2
- 2
日本で非イスラームでイスラームにシンパシーを抱く人、相互理解を進めるのは良い。しかし富士山麓で折伏を促し、御本尊問題に紛糾する教団に対してはどうか。霊言本を出版する教団に対してはどうか。合同結婚式をする教団に対してはどうか。彼らはもっと平和的なのに、一般日本人の目は冷ややかだ。
2015-01-08 12:18:07そして、テロを起こした首謀者がいなくなった世田谷の教団に対してはどうか。南アジアでは、非イスラームと共生することは、この次元まで想像力が要る
2015-01-08 12:19:48異質な信仰を持つ集団とどう共できるかという答えを持たない日本人が、イスラームとの共生についての模範解答を提示できるとは、全くもって期待できない。
2015-01-08 12:24:05最も大切なものを踏みにじられれば、怒るに決まっているという意見がある。全くその通り。しかし、踏みにじられれば怒ってもよいか、踏み止まって考えねばならない。紛争とは多くの場合、既に互いに踏むにじり合っている段階だ。互いが互いを怒るのが正当だということになる。しかし解決にはならない。
2015-01-08 12:29:10この怒りが殺戮に置き換わった時、何が起こっているかについては説明はいらないはずだが、しかしこれを止めるより、起こすことや、起こってしまったことへの理由探しばかりしている。
2015-01-08 12:33:01フランスのイスラー厶教徒への差別はよく知らている。フランスのイスラーム差別は当然糾弾すべきだが、テロへのシンパシーとは、別の問題であることをよく心に留めなくてはならない。
2015-01-08 12:44:16イスラームだからと言って因縁つけるのがとんでもない話であるように、西洋というだけで因縁つけるような構図あるいはそういう言い方に持っていくのはミスリーディング。
2015-01-08 16:00:43今回のフランスの件は、どうやら出版社側の背徳的風刺が原因ということで大方一致しているようだ。そして、自らそのタネを撒いたのならやむを得ないところもあると。確かにそうおもう。
2015-01-08 16:12:08一部のジャーナリストが「表現の自由に対する挑戦だ」という姿勢を見せているが、表現の自由について、正直相手の信仰対象を踏みにじってまで守るべきかというと、それも全く同意しない。
2015-01-08 16:14:20しかし暴力や殺戮に対してブレーキを促すよりシンパシーを促すなら、そこはブレーキをかけねばならない。仕方がないという流れは作ってはいけない。
2015-01-08 16:18:13これを思い知ったのが、バングラデシュ・コックスバザールのモスリムによる仏教徒村襲撃事件だった。発端はフェイスブックにクルアーン冒涜の記事を載せたのが、その村出身の青年だということだった。
2015-01-08 16:20:26モスリムが村を焼き討ちにし、仏教寺院は壊滅。現地の警察もモスリムということで、詳細を明らかにするどころか、暴動に協力していたらしいと。
2015-01-08 16:22:40その後の調べで、仏教徒の青年がクルアーンを冒涜した記事をフェイスブックに投稿したのは全くの濡れ衣で、現地の工科大学の学生二人の犯行であることが分かったという。
2015-01-08 16:24:58つまり「イスラーム冒涜」は、でっち上げられるものであり、スリランカ人家政婦が、サウジでその疑いをかけられ、処刑された。大統領が交渉したが、無駄に終わった。
2015-01-08 16:27:53今回の件は出版社側の挑発ということで、話は非常にクリアだが、しかし、政治や利権でカモフラージュされたら、果たして「冒涜したなら殺されて当然」という理屈を認め続けられるだろうか。
2015-01-08 16:41:18フランスだのアメリカだのイギリスだのが実はヘイトや差別の国で、「海外から見たら日本は遅れている」という物言いの説得力がやや落ちてきた感があるが、こういうことは海外がどうとかは関係のないこと。そうなら日本から実践して何も悪いことはない。
2015-01-08 16:59:59