《「日本の伝統的な文化」は継承すべきものなのか》

「日本の伝統的な文化」というものに対する私の基本的な立場をまとめました。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

このまとめ(と関連まとめ)に入れたツイートは、 「『地域の文化や伝統』とは、どんな立場の人が『認定』する、どれ位の『継続性と普遍性』を持つものなのか」という、30年以上前からの個人的テーマに関するものだ。 togetter.com/li/785003

2015-02-22 10:21:58
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私は大学在学中に、民話民俗学研究サークルに所属していた。 もともと、叔父である故遠藤庄治氏(沖縄国際大学 「南島文化研究」 民話・昔話の研究者)の影響もあって、民話研究を志しての大学進学だったが、旧来の民話昔話の研究には、納得がいかない部分があり、迷いながらの進学でもあった。

2015-02-22 10:59:35
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

その大学のサークルで私がぶち当たったのは、東京周辺住宅地で生まれ育った人たちの、 「日本古来の伝統的な文化や生活とそれを支える『日本人の善良さ』への憧れ」だった。 そのサークルに所属する学生で、実家の住所に「大字(おおあざ)」が付くような「伝統的ないなか」に住んでいたのは私だけ。

2015-02-22 11:55:40
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私が入学した年度には、以前からサークルで事前調査を行っていた北関東のある町に「民俗調査」を実施した。民俗学者が行うような調査ではなく、指導する教員もいない。 それぞれが研究したいテーマを見つけ、その仮説を実証するための「民俗調査」だった。

2015-02-22 12:20:36
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

しかし、私と同じ年度に入学し、サークルに入会してきた学生たちは、ほぼ皆、「日本の昔の素朴な生活に触れたい」というのがサークル加入の主な動機だった。 そこには「日本の昔の人たち、その『伝統』を受け継いで生活している人たちは素朴で善良だ」という事が自明の前提となる感覚があった。

2015-02-22 12:29:57
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

その前提の中には「『昔の日本の村落共同体』は、暖かく優しく、ムラビトをいたわり合い助け合い、全体の『和』を重視するものだった。強者は独善的にならずムラビトの意図を十分にくみ上げ、弱者は他のムラビトから支援されて生活していた。それが、機械化や工業社会化で崩壊しつつある」もあった。

2015-02-22 12:49:54
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私は、他のサークルメンバーが言う「日本の村落共同体」に生まれ育った。父の仕事のメインは「材木店経営」だったが、自分が所有する田で周囲の住民と共同しながらのコメ作りもしていたし、ムラの寄り合い(町内会の会議)にも出ていたし、墓地を管理する寺の檀家としての行事にも参加していた。

2015-02-22 14:09:04
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

畑には、自宅では消費しきれない量の野菜やモモ・カキなども栽培していた。父や祖母が山菜やきのこを、所有する山から取ってくることもあった。GW前後には、川沿いにある所有する竹やぶからタケノコを掘ってきた。 自宅で消費しきれないものは、親戚や近所におすそ分けした。私も近所に行った。

2015-02-22 14:13:47
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

おすそ分けに行くと、その場で相手の家で収穫した野菜などを「お返し」で渡されることもあったし、後で何かを私の家まで持ってきてくれることもあった。一回のモノの往復だけを取り上げた場合、厳密な市場価値で考えると不公平なところはほぼ必ずあったと思われるが、複数回の往復で帳尻が合えば良い。

2015-02-22 14:20:30
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

さらには、農作業規模の大きさなどで考えてあまり対等でない家同士のモノの往復だと、最終的な帳尻が合わなくても許されるような慣習でもあった。その不足分は、農作業の協力などでチャラにできた。例えば、「善意」で畑の土手の草刈などをしておけば、不足分は解消できた。また解消しない場合もあった

2015-02-22 14:26:07
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私は、親たちから見れば次の世代の人間であり、いずれムラを出て行く事が決まっている次男でもあったためだろうか、近所や親戚の人の「本音」も多少聞かされた。 いわく「あの家は、昔『水のみ』(貧しい農家を差別して呼ぶ言葉)だったから、礼儀を知らない」 いわく「あの人は恩知らずだから」

2015-02-22 14:29:33
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

いわく「あの家は昔からの金持ちだから、之ぐらいのことは当たり前」 いわく「あの人(女性)は『子持たず』(出産しない女性。一般的に『うまずめ』と同じ意味の差別語)だから、家では何も言えない」 いわく「あの家は「あどおっかさま」(再婚)だけど姑が問題だからうまくいかない」

2015-02-22 14:38:13
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

これらの陰口の飛び交う社会の、いったいどこが、「古き良き日本の伝統的村落共同体」だと言えるのだろうか? ついでに横路にそれるが、前述のような言葉が飛び交う社会では、「表向き整えれば、真意がどうであっても許される、内心の問題」として人権や差別の問題を考えていたこともわかる。

2015-02-22 14:42:41
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

ムラの寄り合いである「部落の集会」(福島県の多くの地域では、農業、特にコメ作りで協力し合う共同体を「部落」と呼んでいる)に関する私の家族内の仕事は、それほど酒に強くない父を、集会の途中で「家で用事ができたから」と呼びに行く役だった。私が行くと父は「呼ばれたから仕方ない」と早退した

2015-02-22 14:48:21
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「部落の集会」を覗くと、あらかじめ座席が決まっていた。家にはそれぞれ「格」があり、その「格」が上の人から順に、上座から席が決まっていく。「格」の基準は、共同体への貢献度(道路や水道工事への協力や寺院・神社、祭りへの寄付金の額)と、「格」を保持している長さで決まる。

2015-02-22 14:54:39
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

基本的に、没落していなければ最上位は「庄屋」が占める事が多い。もちろん、「庄屋」とは、時代劇に登場する、江戸時代の制度で名字帯刀が許される、あの「庄屋」のことだ。 年の為に付け加えるが、私が書いている話は、1975(昭和50)年前後の経験だ。明治維新直後や敗戦直後の話ではない。

2015-02-22 14:58:43
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「部落の集会」にメンバーとして出席が認められていたのは、1世帯で1人、その家の主人たる男性だけ。敗戦前の制度でいう「戸主」。山崎正和の用語で言えば「家長」だ。その集会で、「部落」のルールの制定や変更が決められる。集会に参加できない若い世代や女性には、発言権が無い。

2015-02-22 15:07:01
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

この「部落の集会」に次の世代が参加するときには、これまで参加していた人物は「隠居した」とみなされ、その決定権のすべては次の世代に譲られたとみなされる。参加する次の世代の人間は、よほどの事が無ければ長男(男子がいない場合は、婿養子)だ。それ以外に譲るときには事前の根回しが必要だ。

2015-02-22 15:11:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

ムラの有力者たちに十分な根回しをせずに、長男以外の子どもに世帯の代表権を譲ると、その世帯の格が「上のほう」だと、他の世帯の代表者から承認されないこともあった。 「長男だから跡継ぎになった人たち」の集まりに「長男で無いのに跡継ぎになった者」が参加するのだから、穏やかな気分ではない。

2015-02-22 15:15:21
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

さて、このような世帯代表制度と、世代交代習慣を持つ社会が、 「男女平等、兄弟姉妹間の公平、個人的人権の尊重」を定めた日本国憲法の下で、30年以上も継続していたのが私が生まれ育った「村落共同体」だった。 私の知る限り、この集落の制度は日本国憲法の基本精神から大きく逸脱していた。

2015-02-22 15:26:34
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

北関東の都市近郊の農業を中心にした町内会も、私が生まれ育った地域と同じような、日本国憲法の基本精神を逸脱した習慣と制度で運用されているのではないか。 私は大学入学後に加入した民俗学研究サークルで民俗調査を行う際に、そのような仮説を立て、それを確認するような調査項目を作った。

2015-02-22 15:30:42
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

実際に聞き書きを実施した結果、私の仮説に沿った回答が集まった。 調査対象の町内会の地域内には、農業に従事しない人々が住む新しい集合住宅があったが、その住宅の住民たちは「ムラ入り」の儀礼を経過していないので、「火事と葬式」以外については、共同体の構成員として認められていなかった。

2015-02-22 15:40:21
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「火事と葬式」以外は参加させない、というと、分かる人にはピンと来る。 これは「ムラ八分」の状況における、「残り二分」として特別に対応する事項とされる内容の俗説とぴったり当てはまる。(実際の「村八分」では厳密には異なる対応になる事が研究されている) この「町内会」は昔の感覚のままだ

2015-02-22 15:48:06
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

このような「村落共同体」の運営は、 私が知る限りでは「イノシシ鍋を食べること」や「イノハナご飯を食べること」よりも、 相当広範囲で普遍的で長期間続いている、 言い換えよう。 この「村落共同体」の運営手法は、間違いなく「日本の伝統的な文化」だ。 これを継承すべきだとは私は考えない。

2015-02-22 15:53:07
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

このような「日本の伝統的な文化」に対して、私は肯定的にはなれない。 一方、このような「村落共同体」の運営を、日本国憲法施行前も今も、選択して続けている集落や町内会も、多数存在する。 私が大学生時代に所属したサークルの多くのメンバーは、このような「村落共同体」を絶賛した。

2015-02-22 16:01:42