ウテナからユリ熊嵐に通低する世界観についての思考と考察と思い込みについて。

幾原作品に対するとりあえずの理解を自分の脳味噌の整理のため徒然なるまま書き連ねた文章の未整理なまとめであります。
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戸田 @9889141

⑳監督はセラムンの頃から一貫して「共同体」について語っている。庵野×サトジュンとの対談でもガイナックスのスタッフが年齢が近いからか「価値観が一体化してる」「皆の妥協点が同じという感じがフィルムから伝わってくる」と羨んでいるし…

2015-04-07 21:48:59
戸田 @9889141

21、受賞した31話が比較的スタッフとコミュニケーションが取れた事を喜んでいた。

2015-04-07 21:52:01
戸田 @9889141

22、一般的な共同体=透明な者たち=氷の世界に対する「よりよい共同体を手に入れること」を幾原監督はセラムンSD交代時の五十嵐監督との対談でも語っている。

2015-04-07 22:01:12
戸田 @9889141

23、幾原(セラムン以降主人公が複数の作品が増えた事について)「それはたぶん、実際に目に見えたり感じたりできる共同体の在り方に、子供達が不信感を持っていたりするからじゃないかな。」AM「共同体…学校のことですか?」幾原「学校もそうだし、会社とか町内会とか家族もそうだよね。」

2015-04-07 22:07:14
戸田 @9889141

24、幾原「日本では共同体を作るという意識がものすごく希薄「共同体は社会から与えられるものである」という幻想が蔓延している。~会社にも社員証や社歌があって、自分が与えられた共同体の一員であると絶えず再認識させられる。」AM「一種の洗脳ですね。」

2015-04-07 22:13:41
戸田 @9889141

26、幾原「…そのなかでセーラーチームというのは、誰かに与えられたものではない自分達で作り上げられた共同体に見えるかもね。(略)アニメで友情ものが支持されるのは、子供達が与えられた共同体を無自覚に嫌がってるからなんじゃないかな。」

2015-04-07 22:20:14
戸田 @9889141

27、五十嵐「でも、日本という国は共同体を作るのが、とても難しい国ですよね。」幾原「用意された大きな共同体の一員であることが、安定であり幸せであるという、妙な幻想があるよね。でも、それを幻想として振り払うのは大変な困難と苦痛が伴う。」

2015-04-07 22:25:02
戸田 @9889141

28、幾原「ただ、間違いなく言えるのは、共同体を出て、たった一人で生きていくことはとてつもなく大変だってこと。だから、常によりよい共同体を得る為の努力はし続け無くてはならないというシンドさも伴う。」 pic.twitter.com/g3Lg9RaEsD

2015-04-07 22:29:28
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戸田 @9889141

29、この「よりよい共同体を見つける方法論」というのがウテナからユリ熊まで一貫した幾原監督の抱えるテーマだと思うが、それを描く手段として監督は一人の人間が環境に対しどう動く物かというサンプルとしてキャラクターを置いてゆく。

2015-04-07 22:50:46
戸田 @9889141

30、どんなに個性的に見える人物も取り巻く環境(社会)とのレスポンス=生存戦略によって形成されたものなのであって原理的に違う物ではない…という所まで人間や社会を解体して結果としてある現在の状況を説明する。

2015-04-07 22:56:12
戸田 @9889141

31、まあこれが、幾原作品に描かれてる「人間存在とその集合としての社会」であり、それを背景、前提としたキャラクタードラマが幾原作品である、とわたくしは受け取って居るのであります。

2015-04-07 23:06:23
戸田 @9889141

32、ウテナ、ピンドラの「わからなさ」をこね回した結果として。

2015-04-07 23:07:37
戸田 @9889141

あ、でもピンドラ直前、ウテナリマスターDVDのときのコミッカーズの写真もとったのだった。あれも百合とかユニセックスについて「新しいコミュニティを獲得しようという気分が出てると思う」とかピンドラの オチまで語ってしまってるような濃いインタビューですわい。

2015-04-07 23:16:04
戸田 @9889141

コレなんかも本当にユリ熊までふくめた言説であるなあ。マンネリと一貫性は区別したいし、幾原は同じことしか言わないんじゃなく未だにウテナからこっちこの視点は有効である事を恥じるべきじゃないか?まあ普遍的って事は変わりようが無いんだけど。 pic.twitter.com/kYpgPfSGJ1

2015-04-07 23:25:24
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何となく言い足りてなかったユリ熊嵐に関して「オチがアドゥレセンスと同じだ」という意見が散見され違和感を覚えたことと、諸星大二郎「夢の木下で」を語るうち何となく繋がってしまったので付け加えた。

戸田 @9889141

「夢の木の下で」だったかな?大昔世界を隔てていた壁が、人々が壁に対する信仰を失うにつれていつの間にか無くなってしまったってのは、よくわかる気持ちがよく分かるが、何がよく分かるのかがわからんなあ…信仰が壁を保ち、壁が信仰を保つサイクルがいちど崩れるともう戻れないって事かね?

2015-04-14 01:31:49
戸田 @9889141

壁は檻であり自分達を守りつ縛りつけているが、いざ崩れてしまえばもう戻れない。壁の中がよかったかは知らないが壁を失った世界の人間は永遠に帰れない場所として恨みがましい目で憧れつづける…よく分かるなー。こーゆーのを胎内回帰願望と言うのかな?

2015-04-14 01:41:42
戸田 @9889141

幾原監督は荒野を目指しているかと言われれば違うのだろうが、この社会に生きる者からすれば主人公の行く先は荒野にしか見えない。それは「だって社会は変わらないんだから」という意識が前提だからだな。

2015-04-14 01:49:50
戸田 @9889141

幾原監督はアドゥレセンス黙示録で描いたラストから主人公がどう進むかを考えるに当たって「荒野で生きられる位主人公が強くなる」ではダメだと思ったんだろうなあ。強い人間は特別だから。

2015-04-14 01:55:18
戸田 @9889141

それでピンドラ、ユリ熊では「荒野の土壌開発」を主題にしてるように見える。世界を構成する者に自覚を促すことでまかれた種としての主人公達がその土地で根を張って生きていけるか…いけるかどうかは土壌=アンタラしだい、という。

2015-04-14 02:02:45